甲虫


 明子のことを、他の友人には話すことはできなかった。

 実際、話すこと自体は出来た。明子は菜緒以外の前でも終始あの調子である。だから、明子のことを話さないのは、相手がいないから、という理由ではなかった。

 たいてい話す相手が、甲虫の背のようにきらきらとした好奇や嫌悪の光を角膜の下に覗かせているのがわかるからだ。

 もちろん、どちらが口火を切るか、ただ迷うばかりの相手もいる。そんなときはただ二人とも「どうしちゃったんだろうね」「明子ね」とばかり繰り返す。それらは、終始不毛で実のない会話の応酬となり幕を閉じるが、そういう相手の方が、菜緒はむしろ気が和らぐような気がした。ただ、心配だけがそこにあるのがわかったからである。

 菜緒が、その「甲虫の視線」に気づいたのは明子のことを共通の友人に話していたある時のことだった。

 互いに腹の探り合いのような会話、「明子ね」「やっぱりまた?」と当たり障りなく、心配の素振りを見せ合うだけの会話は、ただ不安を見せるだけの友達と何らかわらない。しかし。

 なぜだかその友人とは、やっぱり話すことはできないという実感を、話そうとするたびに深めてしまうことに気づいた。この時菜緒は相手の目に――もしかしたら互いにかもしれないが――友人が変わってしまったことへの「不安」以外のものを見つけたからだ。

 それは「愉悦」「好奇心」といった類いのものと――それと、紛れもない「嫌悪」の情だった。

 彼女たちと話す目を見るたび、それらが、玉虫の艶のようにきらきらと、心配のフィルムの下からちらつく。すこしでも、明子の奇行に対する情報を手に入れたいとする残忍で無邪気な光。食い物にする、獲物を待つ蜘蛛の目。

 菜緒はその目に耐えられなかった。明子に対する義憤と、友人達の嫌な部分を見たことへの失望そして同時に覚えたのは屈辱感だった。義憤や失望はよかった。まだ自分が正しく明子へ友情を抱いていることへの信頼を深められた。しかし、屈辱感。これは、喉に刺さった小骨のように菜緒の心に不快さをじくじくとためさせた。甲虫のようにきらきらとした彼女たちの好奇と嫌悪の目。その妙になまめいた光が、自分にも当てられ始めていることに、気づいてしまったからだ。


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