最強英雄建国記〜国に裏切られた英雄は荒地に国を建てることにした〜
@kisiro
第1話
五百騎同士がぶつかっていた。絶えず形を変えながら相手を飲み込もうと動き回っていた。
アキバツは丘の上からそれを見下ろしていた。調練の一環で武器こそ調練用の棒であるものの馬から突き落とされた者は死人扱いとして戦場から離脱し、模擬戦が終わるまで走らなければならない。
どこかに別働隊がいるはずだ。視線を戦場に縦横無尽に走らせる。見つけた。向かい側の丘陵の間に見え隠れしている。
逆落としを仕掛けるつもりなのだろう。
向こうの指揮官はゴロで、まだ若いながらも指揮に卓越したものを見せる。しかし、まだ甘い。
アキバツは千いる部隊のうちの半分を静かに離脱させた。
ゴロの千騎が丘の上に姿を表した。下の部隊に向かって駆けていく。速い。アキバツは五百を千騎と味方との間に割り込ませた。千騎の動きが止まる。しばし押し合いが続いた。ゴロもなかなか巧みに部隊を指揮している。アキバツは左右を前後に微妙にずらし、交互に押させた。
相手の威力を受け止め、こちらの力と倍増させて返す技だ。ゴロの前進が止まり、徐々に下がり始めている。
しかし、まだ崩れない。見事なものだ。だが、時間をかけ過ぎた。
ゴロの部隊に衝撃が走った。回り込ませていた別働隊が側面を突いたのだ。
アキバツは一度距離を置き、突っ込んだ。初めは踏ん張っていたが千騎が徐々に崩されていく。ついに旗が倒されゴロは地面の上に投げ出された。
鼻先に棒を突きつける。
「まだまだ修行が足りんな。」
アキバツの声は聞いている方が陰鬱になる程暗く、低く威圧的であった。本人は意識して出している声ではない。絶望に沈んだ心が自然と発させるものだ。
「…次は負けない。」
ゴロは悔しそうに歯を食いしばっている。
負けた六百騎は正午くらいの今から昼飯抜きで日没まで走らなければならない。
アキバツは幕舎に戻った。安普請の木製で、隙間風が絶えず入ってくる。特に今の季節は冬であり、特にショウリョウが飛ばされたユナハ州はヨルムンド帝国の最北端に位置するためその寒さは身を切るほどだ。
兜を脱いだ。新雪のように真っ白な髪がこぼれ落ちる。
汗を拭い食堂で昼食をとった。
本日のメニューは羊の肋肉を骨ごと甘辛く煮込んだ物で、付け合わせに穀物をすり潰して塩と水と練り合わせたグスクが二つ付いている。
このグスクは兵糧として考案された物なので、歯で砕けないほど固く、大抵は汁に浸して柔らかくしてから食べる。
ちぎって皿の底に沈める。
その間に骨を掴んで肋肉にかぶりついた。
煮る前に一度炙っているので、口の中でほろほろと崩れ旨みが広がっていく。
特に山椒がたっぷりと入っているため体がぽかぽかしてくる。
肉を食べ終わった頃に、グスクがいい具合にふやけてきた。
上からさらに山椒をかけ、一気に流し込んだ。
食堂は馬の手入れを終えた兵たちで賑わっていた。
席を占めていては悪いと早々に席を立ち、自分の部屋に戻った。
しかし、食堂を出て自分部屋へ向かう途中に胃が逆立つように熱くなった。外へ飛び出す。軽く下を向いただけで込み上げてくるものを抑えきれなくなった。吐き出す。まだ胃に入ったばかりで原型を留めている肉片が地面に飛び散る。胃の中のものを全て吐き出しても気分は一向に良くならなかった。むしろ悪化した感すらある。最近は何かを食べても胃が受け付けないようになっていた。それだけでなく寝つきも浅くほぼ一時間おきに覚醒しては眠ることを繰り返す。まるで夜が寸刻みで訪れているようだ。アキバツの元来肉付きが良く精悍な顔が流刑地に飛ばされてからは、げっそりと痩せて目元には濃いクマがへばりついている。
部屋に戻ってしばらく書類仕事をしていると控えめなノックが三回鳴って、秘書のセシリアが入ってきた。
豊かな銀色の髪が眩しく、均整の取れた豊かなスタイルが控えめで清楚な服装と相まってこの世のものとは思えぬ程の美貌を際立たせている。
しかし、一番目を引くのは常に閉じられていて、決して開くことのない両瞼であろう。
盲目だ。しかし、優雅で迷いのない所作がそれを一切感じさせない。
「ふむ、どうした?」
アキバツが話しかけるとセシリアは実に嬉しそうに笑う。顔も若干赤くなっている。
「はい、実は先程王都からの、もっと言えば宰相のケンギチュウ様からの使者がいらしていました。」
「なに?あの腐れ者からか。」
ヨルムンド帝国は約三百年前に英雄リョンが十二カ国に分裂していた国を再び一つに統一して建てた、帝を頂点とする官僚制の封建国家であり、宮殿がある王都は帝のお膝元として長らく繁栄を謳歌していた。
しかし、光射すところには必ず影があり、繁栄の裏側で静かに腐敗が政治を蝕んでいた。
商業の活発化により人民間での貧富の差が広がり、また人口の増加により税制が滞り始めた。
そして極め付けは現帝まで三代続いた愚帝の放蕩と宦官の重用である。
すでに国庫は底をつき、それを補うため人民に重税が課され、賄賂は横行し、官位は売買され、朝廷には既に正義が無く、忠臣は虐げられ佞臣が称えられる歪んだ政治体系が確立されていた。
ショウリョウは下民の出ながらも、盗賊の鎮撫や外敵の討伐などで抜群の功績を立て、若くして将軍の位に登ったが高級官吏への賄賂を拒んだため罪を捏造され、地方へ左遷された。
ショウリョウはそのことについて一切後悔はしていない。
極寒の地でただひたすら力を蓄え、牙を研いでいた。
いつか来たる時のために。だが、来たるときは訪れるのか。この国は内側から変えるには腐り過ぎていないか。幾度となく浮かんだ疑問を胸のうちに沈める。
ショウリョウにとってこの国は自分の生まれ故郷であり世界でもあるのだ。この国が滅べば己の肉体も滅ぶ。そう思い定めていた。
「アキバツ殿、よく来てくれた。」
呼び出されたのは宮殿の一室であった。
ショウリョウの目の前に座るケンギチュウは二年前とあいも変わらず醜い姿をしていた。
太って風船のように膨らんだ体を重そうに揺らし、男根を断たれているため何重にもついた顎には髭が一切なく、声は幼子のように甲高い。
「いえ、して御用件は。」
「ふむ、実は近々陛下はキンリョウ国への侵攻の詔勅を下される。しかも、ガテイ様が総帥を任されることになった。そこで、この国でも屈指の戰上手であるアキバツ殿にもこの北伐に参加してもらいたい。」
ガテイはヨルムンド帝国の第八王子で現帝が晩年になって、愛欲に溺れた寵姫との間で授かった息子である。
帝はこれを大層喜び、ガテイを溺愛した。
周囲には数十を超える教師やら従者らをつけ、食事から権限まで他の王子たちとは別格の扱いをした。
既に成人している英邁な皇太子を廃し、ガテイを王位につけるのではないかとと噂されたほどだ。
当然、ここまで甘やかされて育ったガテイの性根が腐らないわけがなく、その行いは傲慢、暴虐を極めていると言う。
「ほう、それはまた急なことで。しかし、昨年も十万を超える兵を出したばかりではありませんか。未だ民は疲弊から立ち直れずにおります。今はまだ出兵を控え、国内の安寧を図るべきでは?」
キンリョウ国はヨルムンド帝国の北に位置する大国で、領土を巡り数十年間に渡る血みどろの戦いを繰り広げてきた怨敵でもある。
これまで一進一退の攻防を繰り広げてきたが近頃は負け続けだ。その理由は大きく二つある。一つは言うまでもなくこの国の腐敗である。軍制はとうに崩壊してかつての精強であった軍の面影はどこにもない。そして、もう一つは名将クルハユの存在である。
クルハユはキンリョウ国の軍制を改革し、これまでにない軍を作り上げた。用兵も自在であり、アキバツは直接戦ったことはないがクルハユがヨルムンド帝国軍を破った記録を見るだけで鳥肌が立つ思いだった。
「分かっておる。しかし、彼奴らの侵攻は年々激しさを増し、国境に接する地域の民は塗炭の苦しみを味わっておる。為政者として、この国を憂うものとしてそれを見過ごすわけにはいかぬ。わかってくれるな?」
(よく言うな。この狸ジジイが。)
ショウリョウは表面上は恭順に、しかし、心の中では静かに嘲笑った。
そもそも、今民が地獄のような苦しみを味わっているのは他ならぬケンギチュウを筆頭とする悪官汚吏どものせいではないか。
賄賂によって官職を独占し、その使った金を取り戻そうと民から税を巻き上げ、本来国の事業に費やされるべき国費でさえ自らの懐に入れる。
近年、外敵による侵攻が活発化しているのもこいつらが国境の警備に使う金を惜しみ着服しているからに他ならない。
そんな畜生共が民のためなどと宣うのは反吐が出る。
しかし、そんな畜生どもに嵌められて北辺に逼塞させられている自分は何なのか。アキバツはもう疲れていた。
亡き父の志を継いで国の改革を志したのはいつの頃か。
あの頃の奥から漲るように湧き上がってくる、民が一粒の麦を慈しめる未来への展望などとうに思い出せなくなっていた。
アキバツはケンギチュウの話を全て聞き終え部屋を出て行った。
「よろしいのですか?ケンギチュウ様。あのような下賤なものを聖戦に加わらせて。」
側で聞いていた従者が、先程までショウリョウがいた空間を汚らわしそうに眺めている。
後であいつが使った調度品をすべて廃棄せねばと密かに決心しているのだろう。
アキバツは身分階級において、奴隷の一段上に位置する下民の出だ。
貴族階級出身の人間からしたら、いくら功績が高かろうとショウリョウは地べたを這いずる虫としか思えないのだろう。その点はケンギチュウも同感であった。
「よいよい。彼奴は戦しか能のない獣だ。獣には獣の使い道があるのだよ。」
「なるほど。して、利用価値が無くなれば即座に処分すれば良いと言うわけですな。」
アキバツが保持している部隊は間違いなくこの国で屈指の精強さだろう。
それを使い潰すまで使ってやればいい。
今回もあのバカ皇子の護衛役として成功すれば再び地方に飛ばし、失敗すれば責任を全て押し付け始末すればよい。
ケンギチュウはアキバツを道具とすら思っていなかった。
ただの使い捨ての何かだ。
ケンギチュウはそれから従者を下がらせ、一人酒を呷った。
それにしても…。ケンギチュウは二年振りに再開したアキバツの眼を思い浮かべた。
全てを見通し、全てを呑み込むような深みを湛えた眼。
燃えるような色は濁りきっていた。
腐った国を変えんとしていた英雄の風貌は見る影もなく、常に浮かべていた見る者を引き込む自信に満ちた笑みは頑迷な無表情へと堕ちていた。
アキバツにも分かったのだろう。この国を変える無謀さが。
あの眼に射抜かれている間、自分の体の震えを抑えるので精一杯だったのに、今や何の脅威も感じなかった。
国を思い、憂いつつも何も出来ず辺境で異民族との小競り合いを繰り返すしかなかった退屈さと己への失望で腐っていったのだろう。
このままいけばかつてあれほど我々を恐怖させた英雄は無害な男へと成り下がる。それが最も望ましい。できればあの時に殺しておきたかった。しかし、帝が許さなかった。帝は明君に憧れる暗君だった。功績高いアキバツを殺すに忍びなかったのだろう。
何かのきっかけでアキバツが再び目覚めないとも限らない。光覇王とまで呼ばれた最強の男が戻ってきた時、それこそケンギチュウ達の終わりだと予感が告げていた。
「臥龍が目を覚ますか。」
やはり殺しておいた方がいいのかも知れない。いや、最大の不穏分子とも呼べる存在は消しておくべきだろう。
いつの間にか瓶を一本空けていた。しかし、酔いは全くなかった。
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