エンタングルメント~共鳴

水原麻以

第1話

「畜生! どうして俺だけフォロワーが少ないんだ!」

 粉々に割れた液晶画面に青白い影が揺らめいていた。今はもう使えない二つ折り携帯。西暦20XX年の東京では資源ゴミにもならない。

 とっくに寿命が尽きて充電できない筈のバッテリー。それがパンパンに膨らんで、なお電圧を保っている。

 秋葉原の片隅に人垣ができている。遠巻きに見守る野次馬に向かって過去の遺物がわめいた。

「どいつもこいつもフォロワー数何万と稼ぎやがって! リア充炎上しろ!!」

 人々はその言葉の意味が理解できない。体内埋め込み型のマイクロチップが普及した時代。顔を合わせるだけで交友関係がリストアップされる。

 顔見知りとマブダチの違いは親密度の濃度で色分けされる。昔のようにフォロー返しをしたり、結婚前提の交際を申し込んだりする手続きじたいが消滅していた。

「何がパーリーピーポーだ馬鹿野郎!」

 群衆に通話主の怒りは通じない。キョトンとした少女が無意識に手をのばした。

「触っちゃダメだ!」

    青白いビームが間に割り込んだ。少女はギョッとして腕を引っ込める。振り向くと黒づくめのゴスロリ娘が佇んでいた。歳は十四、五といったところか。拒食症かと思わせるような痩せ型で、彫の深い顔に不気味な死の影が落ちている。

「何ぞこれ? それってインスタ映えすんの?」

 バッテリーの切れた携帯が容赦なく罵倒する。

「死語は冥府あっちでほざけや」

 ゴスロリ少女がゆっくりと右手をあげると、携帯がふわりと宙に浮いた。

「おっ、おっ、んの? 殺んの? じゃあ、俺も殺っちゃうよ!」

 携帯の背面カバーが外れて、ジュクジュクした汁がしたたり落ちる。

「危険です! さがってください!!」

 ゴスロリ少女が言い終えぬうちに人だかりがかき消えた。

「おっ、おっ、ガチバトル? たぎるなぁ~~♪」

 電話口の男は期待に胸を膨らませる。少女は消えそうな瞼をさらに細めて、こう言った。

「お前なんか浄化ころす価値もない」

「うるせえ!」

 閃光が無人の街を赤く染め、同時にエメラルドグリーンのとばりが路面に降りた。

 ゴスロリ少女は力士が張り手を食らわすようなポーズでビームを放っている。その先には光の三原色がうずまいている。

浄化ころす価値はないけど成仏クリアしてもらうわ」

 カラフルな繭の表面から内側に向かって無数の稲妻がほとばしる。その焦点で「へ」の字が激しく開閉している。

    「そ、そういう仲間意識でいつも俺をイジめる。それがお前らの絆かあっ?!」

 携帯電話のあぎとが開いた。

「あちゃあ」

 そのあまりにも痛々しさに少女は頭を抱えた。人間が努力して絆を深める時代はとうに終わった。マイクロチップが意志疎通を助けてくれる。

量子共鳴エンタングルの恩恵に浴せないからといって!」

 八つ当たりは許せない、と少女は憤りをぶつけた。マイクロチップからビームをふるって携帯を引きずりおろす。しかし、相手はわけのわからない憎悪の集合体である。

 そもそも物理則を無視した存在だ。一筋縄ではいかない。軽々と重力のくびきから逃れると、彼女の頭上で静止した。

「リア充、爆発しろ!」

 えっ、と怯む間もなく強烈な閃光が路地裏を照らす。爆風がペール缶やビールケースを表通りに吹き散らす。違法建築がきしみ、電飾看板が雪崩のように降ってくる。

 気づいた時、ゴスロリ少女はアスファルトを踏みしめていた。その手がグイっと引っ張られる。彼女の鼻先には見知らぬ男がほほ笑んでいた。とくだん美青年というわけでもないが身長はかなり高めで、優しい瞳とさっぱりした短髪が清潔感にあふれている。

「危なかった」

 彼は少女を軽々と御姫様だっこすると、カツカツと足を鳴らして滑るように走り出した。

    「ちょっと! アンタ、誰?」

 少女が睨んだ瞬間、個人情報がジャブジャブしぶきをあげて互いの間を往復した。


 狩猟業者レガシーハンターことクロンダイク。旧態依然とした半導体部品から希少金属レアメタル不揮発性記憶リメンバーをサルベージしている。

 電子遺産滅却士リセマラの肩書を持つエナメルにとっては迷惑な存在だ。かつてSNSや動画配信など個人の距離が必要以上に近づいた時代があった。極限を越えた結び付きは高度に知能化した端末機器に情念を付着させた。いや、機械が持ち主に似すぎたと言う方が正しい。もっとも早い段階から人は音声アシスタントやコンシュルジュといった疑似人格に主権の一部を委ねていたのだが。

 とにかく、自業自得というかなるべくして成ったというか、正しく処分されなかった情報端末が人々の生活を脅かし始めた。エナメルは行政の委託を受けてそれらをクリアしている。

 だが、レガシーハンターときたら端末に付着した事情などお構いなしに回収する。彼らは単なる資源ゴミとしか見ていない。クリアされない情念も環境悪化の一因となるというのに。

「まぁ、そういう批判は耳タコだ。だがな、善は急げって言うぜ」

    クロンダイクはまどろっこしいクリアより元凶を破壊する方法を主張した。

「元から断っても解決しないわ。っていうか、おろして!」

 エナメルはスカートの裾から足をばたつかせる。

「KTTコモドアのOrz69iか。難敵だな」

 クロンダイクがさっと上体をそらした。肩の数センチ先を光条が駆け抜ける。

「意志疎通というより情報収集に特化した機種よ。オンライン小説とかブログとか、そういう承認欲求を満たすニーズがあったみたい」

 エナメルが視野の隅に商品カタログを表示した。同じ光景をクロンダイクも共有している。

「とりあえずどこかに落ち着こう。そろそろ腕が痺れてきた」

 彼はデリカシーの無さを露呈した。欠片どころか微塵もない。

「うっさいわね」

 エナメルは真っ赤な顔をそむけた。プイっとふくれたしぐさがかわいい。

 しかしクロンダイクは彼女の女らしさには目もくれず、同じ方向を見すえた。古神田こかんだの交差点に電気自動車が渋滞している。

「そうか! 電子書籍家保存村オールディーズか」

「そうよ。まだ開いてる時間帯。いくらアイツでも聖地を攻撃できないでしょ。走れる?」

「バカにするな」

 背中越しに揶揄されてクロンダイクはスピードをあげた。電気自動車の合間を縫って古びた鉄筋コンクリート造りをめざす。

    オールディーズは電子書籍作家の動態保存を目的とした文化施設だ。ほうれい線や白髪交じりの高齢者が昔懐かしいデスクトップパソコンと向かい合っている。今ではキーボード操作で文章を紡ぐ行為を執筆と呼ばなくなった。心に思い描くだけで流れるように文字が整列する。クロンダイクが玄関に飛び込むと一階の壁に豆腐サイズのカーソルが点滅していた。

 カウンター席は年配の「小説家」で埋まっている。四人掛けのボックスも「自称作家」たちが積み上げた資料を読んだり、原稿用紙をにらんでいる。

 クロンダイクは待合スペースのソファーにエナメルを投げ捨てた。

「ひゃん☆」

 はずみでスカートの奥が丸見えになる。もっとも膝頭をフリフリのドロワースで隠れている。

「順番をもらわにゃ困るのう」

 古老の一人がクロンダイクを叱責した。しかし、連れらしき女性にたしなめられた。オンライン予約が当たり前の世代に「行列を作る概念」を理解しろという方がおかしい。

 無表情にクロンダイクになりかわってエナメルが謝った。

「実はかくかくしかじかで」

 彼女が経緯を手短に釈明すると老夫婦はたいそう懐かしがった。

「69iか、今でも持っとるよ。ほれ」

 夫が色褪せた端末を取り出した。現役バリバリで稼働しているらしく、メール編集画面に下書きが残っている。

「「その69iをクリ」……回収しようと思っているんです」

 クロンダイクとエナメルが同時に処遇を述べた。

暴走バーストか。力業ではどうにもならないよ」

 老婦人がかぶりを振った。

「クリアできないって、どういう?」

    エナメルが耳を疑うと、大音響が答えた。自動ドアのガラスが粉々に砕け散った。けたたましい警報が悲鳴にかき消される。

 逃げ惑う人々を容赦なく閃光が狙い撃ちする。

「「69i?!」」

 エナメルがマイクロチップを励起させ、クロンダイクが鞄から二股の槍を取り出す。

「ここは旧世代ロートルにまかせなさい」

 老人が二人の行く手を阻んだ。

「でも……」

 前に出ようとするゴスロリに老婦人がかぶりをふる。クロンダイク出し抜いて、老人が玄関に躍り出た。

「末永く爆発しやがれ」

 69iの憎悪が年老いた作家に襲い掛かる。だが、彼にはそれを弾き返すだけの器量があった。

 間髪を入れず、二発、三発と光の刃を投げつける。しかし、すべて雲散霧消した。

「ど、どういうことだ? チクショー!」

 二つ折り携帯が激しく宙を噛んだ。

「フォロワー数が欲しいか?」

 老人が仁王立ちしたまま問いかける。

「何を寝ぼけたことを言ってやがる。ツイッターにせよインスタにせよ、SNSにおいて最大の課題はフォロワーの数だろう」

 悲しいことに69iの体内時計は数十年間停滞しているらしく、いまだにSNSが隆盛を誇っていると信じている。

 老人は現役時代に帰ったつもりで真っ向勝負に挑んだ、

    「確かに『現実社会において』もフォロワーが少ない人がハブられるという差別が発生している。このことからわかるようにSNSは私たちの生活の一部になっている」

「そうだよ。フォロワー数は正義だ。それが何か?」

 老人は時代錯誤の認識を一刀両断した。

「しかし私は実体のないステータスが人物評価に繋がる風潮に異を唱えたいのだ。人間には生まれながらにして保障された尊厳があるのであって、ネットというフェイクやりたい放題の世界の価値観に損なわれることはあってはならない。もしそんなことが許されたら現実世界までフェイクだらけになってしまうだろう」

 69iはじっと聞き入るように制止した。だが、筐体を打ち震わせ、反論した。

「お前、本当にSNSやってんのか? フォロワーが少ない奴をコミュ障扱いしたり遠ざける連中が現実にいるんだが?」

「だからといって彼らの差別的な振舞いに傷つく必要は全くない」

「ああ、わかっちゃいるさ。頭で判っていてもフォロワー数をあげつらわれると俺は落ち込んでしまう。人間失格なのかと」

 苦悩する69iに老人は歩み寄った。

「どうすればいいのか悩んだ末に先人の知恵を検索したり、耳目を集める発信にこだわったり、フォロワー数の罠に陥ってしまう。そうだろう?」

 言われて69iは思い出したくもない過去に直面した。持ち主が必死に入力文字を変換していた。

    ふぉろ■→「フォロワー数の増やし方」

「そうだよ。人は自己中で身勝手な生き物だ。なるべく労せずして自分を有利にしたいと願う」

 老人はうなづいた。

「確かにそういう生き方もありだろう。人は目先の利益に飛びつく。有意義な情報が餌になる」

「ありきたりのノウハウだ。フォロワーを稼ぎたいなら彼らの空腹を満たしてやればいい。検索結果はコピペのオンパレードだ」

 69iはウンザリした気分になった。

「なかにはそれを追求するあまり血眼になってウィキペディアやまとめサイトを読み漁ったり、消費者金融に借金してまでインスタ映えを狙うケースもあった」

「うん。もはや病気だな」

「そこまでいかずとも四六時中SNSに振り回される人は少なくないのではないか」

 横で聞いていた老婦人が思い出し笑いした。かつて自分も毎日せっせとイラストをアップロードしていた。

 いいね!を押したり押し返したり。いつの間にかレスポンスを返す作業が任務になっていった。

 そしてフォロワー数が膨れ上がると喪失する恐怖に怯える自分がいた。投稿するたびに支持者が減るスパイラル。

 フォロワー数の呪いから自分を切り離すにはどうすればいいだろう、と真剣に悩んだ。

「大胆な発想の転換が必要だ」

    彼女の思考を夫がフォローした。

「名案でもあるのかよ」

 69iが老人の思考を疑う。

「ある。まず、私たちがSNSアカウントを取得した場合、フォロワーを増やさなければいけない義務感に駆られてしまう。まるで自分が被災地復興を担う使命を帯びているかのように錯覚してしまう。どうして受け手が『居なくちゃ』いけないんだ?」

 男は文字通り発想をぶん投げた。

「ちょっと言ってることわかんないんだけど」

 携帯端末がブウンと鈍い音を立てた、突拍子もないアイデアに思考停止している。

「もう一度、問う。お前は何のために発信している?」

「えーと、まぁ、好きな事を呟いてフォロワー数ガッポリ」

「それ何人が見てくれるんだ?」

 老人は動機の薄弱さを指摘した。69iは弱々しくつぶやく。

「えーっと、まぁ、顔見知りとか」

「そうだろうよ。自分の影響力の大きさをわきまえろって言っているんだ」

「だけどよ!」

 69iはぼうっと赤熱した。オレンジ色のオーラが二つ折り携帯のあぎとから吐き出される。

「だけど、どーでもいい内容に何万と聞き耳立ててるじゃん」

    「それが本当に価値があって拡散すべき情報であるなら最初からしかるべき潜在能力を持っていて、勝手に伝染してくれる。放っておいてもリツイートがリツイートを呼ぶ。それが影響力というんだ。だが、お前はそうじゃない」

 バタっと69iが床に転がった。

「影響力がない?! この俺が??」

「そうだ。だから苦労してフォロワーを開拓しなくてはならないんだ」

「じゃあ、俺は何のために俺は生きているんだ?」

 存在を強烈に否定されて69iは激昂した。端末が白熱する。

「あんたたちは逃げなさい」

 老婦人がエナメルとクロンダイクに避難をうながす。すでに館内から人影が絶えている。

「だって!」

 エナメルが老婆を連れ出そうとすると、ピシャリと拒まれた。

「KTTコモドアのOrz69iだぞ。貴重なお宝を見捨てろってか?!」

 クロンダイクは土壇場で使命感に目覚めたようだ。69iを回収しようと二股の槍を振り上げる。

 一定半径内に発生している電磁場を計測し、それを正反対の周波数で中和する機能がある。つまり対象を機能停止クリアできる。

「ていうか、あんた、今現在バリバリ影響しているじゃん?!」

 エナメルが指摘する。Orz69iは瓢箪から出た駒にようやく気づいたらしく、うんともすんとも言わなくなった。

「そうだ。フォロワー数の多寡なぞ微々たる問題だ。注目されない発信はそもそも影響力を必要としない、必要とされてないのだ!」

    老人が喝破すると二つ折り携帯は赤いLEDを点滅させた。そして、それっきり機能停止した。

「もういいだろう?」

 クロンダイクがエナメルに同意を求める。

「ええ、もうただの資源ゴミよ。元の所有者はとっくに土に還ってるし」

「じゃ、遠慮なく換金させてもらうわ」

 彼女は何かいいたげだったが、彼はぬけぬけとOrz69iを拾い上げた。

 そして、ずうずうしくも老婆の同一機種に目を向けた。

「悪いけど、これはあげられないわ」

 彼女はOrz69iを大事そうに仕舞った。

「どうしてなんです?」、とクロンダイク。

「だって……」

 老婆は恥ずかしそうに夫の背後に隠れた。

 彼はニヤニヤしながら端末を叩く。

「もう……おじいさんたら……やめてくださいな」

 受信トレイに妻あてのメールが届いていた。その文面を読もうとクロンダイクが顔を寄せる。

 そして、短く悲鳴をあげた。エナメルが彼の脇腹をおもいっきりつねっている。

「まあ、そういうことだ。地道に呟いていればフォロワーが自然増するという当たり前のこと。願わくば生前の持ち主に伝えてやりたかった」

 老人が残念そうに顔を曇らせる。

「リシュリュー氏は孤独を拗らせたあげくOrz69iを自分に向けたままベランダから飛び降りました」

 エナメルの目じりが光った。

「最期は生配信か。せつないのう」

    「一つ聞いていいですか?」

 クロンダイクが老人に尋ねた。

「何だね? おおむねどうして私がこの問題を解決したか。その経緯が知りたいのだろう。知ってどうする?」

「えっと、あの、狩猟業者レガシーハンターには何の役にも立たない知識ですが、その……」

 ちろちろとエナメルをチラ見する。彼女はまたもや仏頂面した。

「なるほど。わかった。では二人の今後を祝して特別に教えてさしあげよう。単刀直入に言えば自己顕示欲だ」

「はぁ」

「私は見ての通りネット作家だ。お恥ずかしながらフォロワー数には恵まれていない。だが、自己顕示欲は人一倍強い。私には伝えたいものが山ほどあるのだ。さっきの彼にはない。それだけだ」

「なるほど。潜在的な影響力ですか」

 クロンダイクは意味ありげにエナメルを見やる。

狩猟業者レガシーハンター電子遺産滅却士リセマラに影響ですって? ありえないわ!」

「痛てッ!」

 エナメルの掌が彼の頬に多大な影響を及ぼした。しかしながら、クロンダイクは報復することもなく、むしろそれを受け入れている様子だ。

 二人の量子共鳴がこの先どうなるかは、彼の影響力のみぞ知る。

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エンタングルメント~共鳴 水原麻以 @maimizuhara

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