第19話

 「斎藤さん、お昼を一緒にどうかな?

少し相談したい事があって・・」


「良いわよ」


昼休みを告げるチャイムの後、真っ先に彼女に声をかける。


机をくっつけ、向かい合わせになって、其々の昼食を広げる。


「フフッ、相談料はそのコロッケ1つね」


俺の弁当のおかずを見た彼女が、そうおねだりしてくる。


「卵焼きも付けるよ?」


「あら、ありがとう。

・・甲子園、残念だったわね。

敬遠されなければ優勝できたかもしれないのに・・」


夏の甲子園は決勝戦まで進出し、惜しくも敗れた。


あの大会、俺はそれまで絶好調で、既に7本のホームランを放っていたので、決勝戦では全て歩かされた。


「まあ、結果はともかく、バットは振りたかったね」


「新聞見たけど、甲子園でのホームラン記録を驀進ばくしん中なのね。

よくそんなに打てるわね」


「幸運な事に、名前が売れてるお陰で勝負してくれる投手が多いんだ。

彼らだって精一杯練習してきてるんだから、できることなら全力で勝負したいだろうからね。

ただ、勝敗が絡む試合では、監督の指示に従わざるを得ない場合がある。

敬遠してる投手だって、きっと凄く悔しい思いをしてるんだよ」


「そういう意味ではアマチュアの試合は良いわよね。

お金が絡んでいない分、爽やかに見られるわ。

・・それで、相談事って一体何なの?」


「斎藤さんはピアノを弾けるかな?」


シンガーソングライターを目指している彼女のことだから、曲を作る上で、何らかの楽器を扱えるはずなので、とりあえずメジャーな物を尋ねてみる。


「ええ、弾けるわよ。

小1から中2まで習ってた」


「もう自分で曲とか作ってるの?」


「ううん、まだ。

今はボイストレーニングだけ」


「・・実は君に、作曲を頼みたいんだ。

僕が書いたに、曲を付けてくれないか?

期限は来年の12月末まで。

お礼として、20万円支払う」


「え!?

・・作曲?」


「うん。

僕じゃ満足な曲は作れそうにないから。

とりあえず作って貰って、その後は相談しながら完成させたいんだけど、どうかな?」


「20万って、素人の私に、そんな大金・・」


「夢を追う君への応援も兼ねてるから。

僕はここで支給される奨学金に一切いっさい手を付けていないから、そのくらいの余裕はある。

引き受けてくれるなら、最初にお渡しするよ」


「初めての事だから色々と試行錯誤するだろうし、あなたが満足するものは作れないかもしれないわよ?」


「完成さえさせてくれれば大丈夫。

君に賭けるよ」


「・・分ったわ。

有難くやらせて貰う。

詞はもうできてるの?」


「ああ。

明日持ってくるよ」


「でも意外ね。

あなた、そんな事(作詞)もするのね」


「どうしても1曲だけは作りたいんだ。

贈りたい相手がいるというか、その人の為に残しておきたいんだ」


「彼女さん?」


「それは内緒で」


「フフフッ、ちゃんと男の子してるのね。

女の子に興味がないのかと思ってたわ」


「いやいや、僕だって健全な男子ですよ?

周りに女子しかいない教室で、いつも肩身の狭い思いをしてます」


嘘仰うそおっしゃい。

緊張してるのは、むしろ女子の方だから」


良かった。


これで大丈夫だ。



 「ふーっ、何かホッとするね」


11月の連休を利用して、俺は西本と2人で京都に来ていた。


2人だけの、泊りがけの旅行になるが、この頃には彼女の父親も俺を完全に”そういうもの”として扱ってくれていて、西本が2人で行きたいと言えば、反対しなかった。


早紀さんからは、『ちゃんと使うのよ?』と笑顔で言われたので、『いやいや、僕達は健全な関係ですから』と、強く主張しておいた。


俺達が正式に付き合い出した事はまだ内緒のはずなのに、何故かもう彼女の両親には筒抜けのようであった。


結構際どい事を母親から言われたはずの西本は、平然としてそれを聞き流していたし。


三千院の縁側から、抹茶と和菓子のセットを頂きながら眺める景色は、自然と俺達2人の呼吸を、深く、ゆっくりとさせる。


偶に他の参拝客の足音がする以外は、何の音も聞こえない、静かな空間。


やり直し以前の、隣室の生活家電の電子音と、部屋の直ぐそばを走る車やバイクの騒音、廃品回収や選挙カーが時折垂れ流していく拡声音に晒され、心身まで疲弊していた身には、このような時間は凄く貴重である。


「美しい景色を見ながらぼーっとしているだけなのに、何でこんなに癒されるんだろうな?」


「あなたは忙し過ぎなのよ。

・・恋人の為に充てる時間が足りないくらいにね」


視線を前方に向けたまま、西本が愚痴らしき言葉を溢す。


春夏2回とも甲子園に出場するようになってからは、彼女と過ごす時間は、こうした旅行を除けば、朝の電車内と、家庭教師の時間だけになっている。


今回の旅も、本来なら1泊のところを監督にお願いして土曜に休みを貰い、2泊3日の行程にしてここに来ている。


最近の西本の笑顔に、黒いオーラのようなものが見え隠れするようになったからだ。


爆発する前に、少しでも不満を取り除こうとしたのである。


お陰で、行きの新幹線の中から、彼女は凄く上機嫌であった。


「済まない。

甲子園での僕の姿を、君に見て貰える回数は限られているから・・」


「・・分ってるわ。

御免なさい。

元はと言えば私のせいだもの。

部活に入らない気でいたあなたに、野球を勧めたのは私。

本来なら、文句を言うどころか、きちんと応援してあげるべきだもの。

我が儘を言っている自覚はあるの。

だから、・・御免なさい」


「謝る必要はないよ。

僕にだって、君に少しでもカッコ良い所を見て貰いたいという、不純な動機がある。

君が寂しい思いをしている事も理解してるんだ。

謝るとしたら、僕の方さ」


西本が、座っているお互いの間隔を詰め、そっと俺の肩にもたれてくる。


俺はその心地良さと、側を通り過ぎて行くご婦人方が見せる生暖かい笑顔の間で、暫く板挟みになっていた。



 貴船神社の方から鞍馬寺へと抜ける、長く険しい参道を通る。


俺には何てことない道でも、2年近く運動から遠ざかっていた西本には、結構きつかったらしい。


息を荒げ、額に汗を浮かべながら歩く彼女の姿に、不覚にも少しドキドキする。


途中で小休止しながら歩き、寺の境内にある自販機でジュースを飲む。


「こんなにきついなんて何処にも書いてなかったのに」


旅行前、数冊のガイド本を参考にプランを立てたという彼女が、いきどおっている。


「少しは運動した方が良いんじゃないか?」


「私が太っているとでも言うの?」


「滅相もない。

とても素敵なプロポーションです」


(俺のせいで)海に行く時間が取れないからと、夏に彼女の部屋で見せてくれたビキニ姿を思い出してそう口にする。


また胸が大きくなっていた気がするし、あれ以来、毎年違う水着を見せてくれる。


この時代にはスマホなんてないから、必死に脳内に焼き付けたものだ。


「柔軟体操くらいはしてるけど、これからはあまり筋肉を付けたくないしね」


「何で?」


「だってあなたに抱き締められた時、『固い』とか思われたら嫌だもの」


「・・・」


「何よその顔。

馬鹿にしてるの?

女の子には切実な悩みなんだからね」


西本が少し口を尖らせる。


「好きな相手を抱き締めて、そんな事を考える人は少ないと思うよ?

その際は好意補正が掛かっているだろうから、特にね」


「なら良いけど・・。

疲れたから、今日はもうホテルに帰りましょ」


時計を見ると、既に16時を過ぎている。


チェックイン可能なので、荷物を預けているホテルへと向かい、休むことにした。



 ホテルの予約を西本に任せたら、案の定、2人で1部屋だった。


御多分ごたぶんに漏れず、今回の旅費も全て早紀さんが支払ってくれたので、俺が口出しする余地はない。


スイートルームではないので安心したが、どう見ても普通のツインルームには見えない。


幾ら一流ホテルと雖も、普通の客室はここまで広くない。


疑問を抱いた俺に、西本がセミスイートというタイプだと教えてくれた。


はは、バスルームが既に普通じゃないしね。


「私は先ずお風呂に入るけど、あなたはどうする?

広いから、一緒に入っても良いよ?」


「広さに関係なく、それは駄目だと思う」


「どうして?

小さい頃は一緒に入っていたじゃない」


「そんな事実はない」


「もう、ノリが悪いなあ。

旅の恥はかき捨てだよ?」


「別に無理してかかなくても良いよ」


「けち。

あなた本当に男の子なの?」


ぶつぶつ文句を言いながら、着替えを持って、浴室に向かう彼女。


西本の入浴時間が長いのは知っているので、俺は持参した部屋着に着替えた後、大きなベッドに横になって、少し仮眠を取った。



 風呂から出た西本に起こされて、俺も風呂に入った後、2人で夕食を取りに出かける。


折角京都に来たんだからと、懐石料理の有名店に入る。


俺としては、量的には物足りないが、ゆっくり食べているので、それなりに満腹感が生じる。


どれも見事だが、特に椀物は、聴覚以外の五感を用い、大事に食べる。


やり直し以前は箸の持ち方がきちんとできなくて、こういう場所には苦手意識があったが、今回は小さな内から練習して、ちゃんと使えるようになっている。


西本の持ち方は、言わずもがなとても美しい。


念のため、ホテルから出て近くのお店で夜食を買い、部屋に戻って寝るまでを過ごす。


「そろそろ寝る?」


もう少しで日付が変わる頃、本を読んでいた俺に、音を小さくしてテレビを見ていた西本が、そう尋ねてくる。


「明日も朝から動くようだし、もう寝るか」


しおりを挿んで本を閉じ、歯磨きに行く。


入れ替わりになった彼女を独りにし、先に自分のベッドに入る。


西本は、歯磨きや化粧(乳液の類)をしている己の姿を、人に見せない。


「電気消すね」


部屋の照明を粗方あらかた落とすと、俺が寝ているベッドのサイドランプだけが室内に灯る。


壁側に向かい、彼女が向こう側のベッドに入る気配がしたら明かりを消そうと考えていたのに、しばしの衣擦きぬずれの後、こちらの掛布団がめくられた。


驚いて振り向くと、絹のシュミーズにパンティー姿の西本と目が合う。


「君のベッドは向こうだろ?」


「一緒に寝るくらいいじゃない。

約束だから、高校を卒業するまでは何もしないけど、隣で眠るくらいは良いでしょう?

私、あなたの彼女なんだよ?」


「・・分ったよ。

寝相が悪くても文句言うなよ?」


「大丈夫。

ベッドは広いし、こうして抱き付いていれば、下に落ちないから」


そう言いながら、嬉しそうに俺をしっかりと抱き締める西本。


「そういう意味じゃない。

漫画なんかによくあるだろ?

寝返りを打って、相手の顔や腹に手や足をぶつけるやつ」


「あなたの右腕を枕にすれば、それも防げるはず」


「それだと多分、朝には僕の腕が凄くしびれている気がする」


「耐えなさい。

それは幸せ税というものです」


間も無く眠りに就いた彼女とは対照的に、衣類ごしとはいえノーブラの胸をこれでもかと押し付けられた俺は、鼻先に香る西本の髪の匂いのせいもあって、窓際のカーテンがうっすらと明るくなるまで眠ることができなかった。



 目を開けると、直ぐ側に透の顔が映る。


次いで、まるで抱き枕にするかのように、自分の身体が彼に絡みついている事に気が付く。


恥ずかしさ以上の喜びを感じながら、彼を起こさないように、そっとベッドから離れる。


トイレと洗顔、歯磨きなどを済ませ、きちんとした服装に着替える。


軽く伸びをすると、体中が何かで満たされているような、とても幸せな気分に浸れる。


カーテンを開け、テレビを点けてニュースを流し、まだ目を覚まさない彼を起こす。


本当はもっと寝せておいてやりたいのだが、ホテルのモーニングの締め切り時間が迫ってきたので仕方がない。


ここのパンは美味しいことで知られている。


それに、早く珈琲が飲みたい。


「透、そろそろ起きて」


キスで起こしたいところだが、それは約束違反になるので、優しく髪をく。


高校野球と言えば丸刈りをイメージするが、彼の学院の野球部は、大会期間中でなければ、長髪以外は許されるらしい。


短めにカットされた彼の髪は、とても滑らかで指ざわりが良い。


何度も撫でていると、やっと目を覚ます。


「・・おはよう」


「おはよう。

なるべく急いで支度してね。

あと30分で、モーニングが終了してしまうから」


「了解」


直ぐにベッドから出て、身支度を始める彼。


私はその間、ニュースに耳を傾けながら、今日の予定を反芻はんすうするのであった。



 醍醐寺を巡り、平等院に足を向け、その傍にある『通圓』で、遅い昼食に茶そばを頂く。


香り高いざる蕎麦はとても喉に爽やかで、透はおかわりをしていた。


二条城を見学し、夕食を頂きに、予約していたスッポン料理の老舗へと向かう。


ここは母に、『京都に行ったら一度は食べに行きなさい』とまで言わしめた名店である。


スッポン自体に抵抗はあったものの、食べてみればとても美味しくて、大満足であった。


ただ、透の私を見る目に、何かを疑うような色が含まれていたのは心外であった。


そんな気はないとは断言できないが、少なくとも今回は、それ目当てではない。


その日の夜も彼と同じベッドで眠ったが、抱き枕の代わりにする以外は、何もしなかった。


最終日は新京極にある土産物屋を覗いたり、ガイドブックで目を付けた飲食店をはしごして時間を費やす。


楽しかった。


今回の旅は凄く楽しかった。


帰りの新幹線内では、私の心はそんな気持ちで一杯であった。


夕闇迫る車窓にぼんやりと映る私の顔に、笑顔が溢れていたのがその証拠である。

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