第17話
あの後、西本と話し合い、俺達の関係が一歩先へ進んだ事は、高校卒業まで互いの両親には内緒にすることにした。
彼女の部屋で、2人きりで家庭教師の授業をしているから、早紀さんはともかく、父親の方が色々と誤解しかねないからだ。
2人の関係が一歩前進して1番大きかった変化は、西本が見せる笑顔である。
本当に、
唯一の不安要素が取り除かれ、人生を全力で楽しんでいるような輝きがある。
見惚れてしまうと、そっと目を閉じて唇を上向かせるような仕種をして俺をからかうので、2人きりの時は注意が必要だ。
やり直し以前、ラノベでラブコメを読みながら、『こんな事する奴いねえよ』と突っ込んでいた自分を反省した。
「おはよう」
「おはよう」
夏休み明けの教室で、斎藤さんと挨拶を交わす。
ここへ来るまでの電車内で、他校の生徒達から好奇心旺盛な視線を浴び続けたせいもあり、彼女のいつもと変わらぬ態度に癒される。
因みに、朝だけ一緒に通学する西本は、気不味さを感じる俺の隣で、涼しい顔をして本を読んでいた。
『
そう
関係が一歩前進しただけでこの余裕。
有難い事に、彼女の中では俺への信頼が相当高いのだろう。
「テレビ見たわよ。
あなた、レギュラーだったのね」
「ああ」
「『天は二物を与えず』っていう
「僕としては、君が野球のテレビを見たという事の方が驚きだけど」
俺には、彼女は合理主義者で、無駄な事は一切しないように見える。
「一応クラスメイトだし、あなたの打席以外は、消音にして宿題をしてたから」
「ああ、成程」
「夏休み前に受けた模試の結果、どうだった?」
「全国の総合偏差値は89。
理科以外は満点で、全国1位だったね」
「・・・。
何かムカつく。
今日のお昼は一緒に食べましょ。
愚痴を聞いてよ」
「了解」
彼女とは、時々一緒に昼食を食べる。
彼女の家も共働きらしく、お昼はいつも購買のパン(凄く混んでる)か市販の弁当なので、机を合わせて、会話を楽しみながら食べるのが常だ。
彼女はお堅いように見えて、話すと中々面白い。
それに、よく食べる。
俺の昼食は、飲み物以外は自分で作る弁当がほとんどなので、その中に彼女の好物があった日は、おねだりされる事もある。
勿論、喜んで提供する。
只でさえ量を多めに作っているし(ご飯とおかずの容器は別々)、そのくらいでお昼の時間が楽しくなるなら安いものだ。
やり直し以前は言うに及ばず、今回の中学時代も、給食時間は非常に味気無かった。
下心など全く無いが、若い女性と過ごす時間には華がある。
できることなら、食事は楽しく食べたいから。
部活の練習では、これまで以上にピッチングに時間を割いた。
やはり信頼できるリリーフがいるといないのとでは、強豪相手では試合運びに大きな差が出てくる。
監督から、オーバースローで投げ込むように指示された。
サイドスローでは140km前半の球速も、オーバースローなら現時点で150km近いスピードが出せる。
欠点であるコントロールをどうにかすれば、甲子園でも十分に戦える。
ストレートだけなら・・。
そう、俺はまだ変化球を投げられない。
練習した事がないのだ。
監督からは、今はまだストレートだけを投げ込んでおけと言われている。
来年くらいから、何かしらの決め球を覚えさせるからと。
今の2年生である次期エースが、多彩な変化球を得意としているからかもしれない。
「先ず何処から回ろうか?」
晩秋の日曜日の午前。
隣にいる西本が、楽しそうにそう口にする。
俺達は今、2人で東京に居た。
野球部は最近になって、練習試合が入らない限り、日曜は基本的に休みになった。
この
だがお陰でこうして西本との時間が取れる。
今日は冬物の衣類を見たいとの彼女のご要望で、新幹線を使ってわざわざ東京まで出て来た。
早紀さんから、往復の交通費や食事代を渡されてきたという彼女が、俺の分まで運賃を支払ってくれた。
遠慮したのだが、『ボディーガード兼荷物持ちの、正当な報酬よ』という彼女の冗談に押し切られる。
「僕はファッションには詳しくないから、君の好きなように動いて良いよ」
秘密裏に付き合い出してから、1つだけ揉めた事がある。
俺の、彼女に対する呼び方だ。
『2人きりの時は、『若菜』って呼んで』
そう強く主張する西本に、俺は『そんなに器用に切り替えできないから、今まで通りで良いよ』と言って譲らなかった。
結局、大学生になったら常にそう呼ぶと誓わされて、現状維持を勝ち取る。
『あの時は、脳内でそう叫んでいるんじゃないの?』
負け惜しみに近い言葉でそう言われたが、勿論、そんな事実はない。
そもそも、『あの時』ってどんな時?
「・・よし、新宿の伊勢丹から回ろう。
そこで決まらなかったら、日本橋の三越に行く」
高校生なのに、渋谷の109やパルコと言わない辺りが、彼女の立場を物語っている。
ただ、ブランド品のオートクチュールには全く興味がないらしい。
早紀さんも以前、『日本であんな奇抜なデザインの服を普段に着て歩いてたら、只の○○よ』と笑っていた。
今回は、コートとワンピース、手袋を買いに来たみたいだが、伊勢丹で西本が入った店に吊るされたコートの値札を何気なく見て、絶句する。
黒い革のコートが、25万円。
やり直し以前も、清潔さと品性を兼ね備えていれば、服にそれほど固執しなかった俺は、ハイブランドでもないのに、当たり前のように付けられている値段に恐れ
当時憧れだった、『ブルックスブラザーズ』のナンバーワンモデルスーツよりも高い。
『・・俺の居て良い場所じゃないな』
それから俺は、彼女が店を回る
やり直し以前、彼女持ちのバイト先の同僚が、クリスマス時期になると必死にシフトに入っていた意味が、今になって真に分った気がした。
「お待たせ。
3軒回っただけで全部揃うなんて、今回はラッキーだったかも。
・・疲れたみたいね。
御免ね。
遅くなったけど、これからご飯食べに行こう。
何が食べたい?」
何かをやり遂げたかのような表情で店から出て来た西本が、俺の顔を見るなり、そう言ってくる。
最後の荷物を彼女から受け取りながら、俺は少し考える。
「予算は幾らくらいなんだ?」
買い物で結構な額を使ったはずだから、もしかしたら、早紀さんから渡されたらしい食事代にまで及んだ可能性がある。
西本の個人的なお金を使わせる気はないので、念のため、そう尋ねる。
「ん?
特に決めてないよ?
遠慮しないで。
手持ちで足りなかったら、お母さんのカード(家族カード。色が黒い)を使えるし。
出かける際も、『迷惑をかけるんだから、ちゃんとご馳走するのよ』って言われてるから」
「・・お言葉に甘えて、お腹一杯食べても良い?」
「勿論」
「君には少し場違いかもしれないけれど、我慢してくれる?」
「・・できるだけ」
「じゃあ代々木に行こう。
ここまで来たら、どうしても食べたい炒飯があるんだ。
大盛りを、3つくらい食べたい」
やり直し以前、最初のバイト先の近くにあった、小さな中国料理店。
料理店というより定食屋に近い感じだったけど、そこの炒飯が大好きで、バイトの前には必ず立ち寄っていた。
具がごろごろ入って550円というその値段は、牛丼並が400円する当時の物価では、かなりお値打ちだった(因みに、当時は回転寿司など恐らく存在せず、とんかつを食べるなら、大手チェーン店などないから、最低でも1200円以上は覚悟せねばならなかった)。
「炒飯?
ここまで来て、炒飯が食べたいの?
・・遠慮しなくても良いよ?
お寿司でもうな重でも、フルコースだってオーケイだよ?」
東京で寿司と言えば、彼女の念頭にあるのは、恐らく『久兵衛』だろう。
おじいさんの行きつけらしいから。
うなぎなら、『野田岩』を考えていそうだ。
お父さんが通っていると聞いた事がある。
そう考えると、フルコースは『マキシム・ド・パリ』のことかな。
早紀さんのお気に入りだそうだから。
今日の俺の格好は、ジャケットにスラックス、革靴だから、ドレスコードには引っかからないし。
しかし何れも、高校生が2人だけで行くようなお店じゃないだろう。
少なくともご馳走になる身としては、敷居が高過ぎる。
「君には申し訳ないけど、どうしてもあそこの炒飯が食べたいんだ。
お願いできるかな?」
「あなたがそう言うなら、私はそこで良いよ?
案内してくれる?」
「ありがとう!」
電車に乗って代々木駅で降り、汚れるといけないので、買った品々をコインロッカーに預ける。
徒歩で直ぐの場所にある、その店に案内すると、興味深げに店内を見回す彼女。
色褪せた、ビキニ姿の女性が写る、ビールメーカーのポスターが貼られた壁。
使い込まれたカウンターに、ガタガタ音がする、可動式の赤い丸椅子。
調理場のおじさんは、注文が入るまでは、テレビを点けながら、競馬新聞を見てる。
懐かしい。
思わず涙が出そうになる。
ここに通っていたあの頃は、まだ希望があって、夢も残っていた。
炒飯を口一杯に頬張りながら、先の事を考えられた。
バイト先が変わって、足が遠のいてからも、俺の炒飯の基準はこの店のものだった。
「私も炒飯をお願いします」
大盛り3つを頼んだ俺の横で、西本が笑顔で注文する。
お
煙草の件だけは、もし居たら店を出た後に謝ろうと考えていたので、安心して食事に専念する。
お互いに、黙々と食べる。
値段が安い店は、利益を出すためには回転率を上げなければならない。
安く提供してくれる店主の為にも、このような小さく狭い店ほど、さっさと食べて、早めに出るようにしたい。
この手の店で、食べ終えた後も、何の追加注文すらせずに延々と喋っている人達を偶に見かけるが、個人的にそれはどうかと思う。
「美味しかった。
決して奇麗なお店じゃなかったけれど、面白い場所だった。
連れて来てくれてありがとう」
店を出て歩き出しながら、西本がそう言って微笑む。
「こちらこそご馳走さま。
大満足です。
早紀さんにもそう伝えておいてね」
折角の早紀さんからのご厚意なので、支払いを甘えてしまった俺は、お礼を述べる。
「夢中で食べてたもんね。
3つも食べたのに、私が1つ食べ終わるのと、そんなに時間が変わらなかったし。
・・よっぽど好きなんだね」
「はは、見苦しい所をお見せして申し訳ない」
「ううん、平気だよ。
何て言うかこう、本当に好きっていう気持ちが溢れてたから、見ていて嬉しかったし」
預けていた荷物を取り出し、まだ時間に余裕はあるが、東京駅へと向かう。
『何処かに寄って行こうか?』という俺の問いに、彼女が『家に帰って、2人でゆっくりと過ごしたい』と答えたから。
東京駅で早紀さんへのお土産を買い、新幹線の指定席に乗り込む。
運行して間も無く、そっと手を繋いできた西本は、車窓に顔を向けながら、何事かを考え込んでいた。
『どうして知っていたのだろう?
彼は田舎育ちだし、東京に行った回数は、それほど多くはないはず。
雑誌か何かで調べたのなら、あの彼の喜びようは腑に落ちない。
まるで常連の如き振舞いだった。
・・時々、ごく偶にだが、彼は昔を懐かしむような表情を見せる。
何かを隠しているのだろうか?
私にすら言えない事で、1人で苦しんでいるのであろうか?
分らない。
幾ら考えても分らない。
でも今はまだ、その理由を尋ねる時ではない。
高校を卒業し、彼と約束した本当の関係になれた時、同じベッドの中で、それとなく聞き出すべきだろう。
私は彼の彼女だ。
たとえ誰が信じなくとも、私だけは彼の味方であり、理解者であり続けたい。
私だけは・・』
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