第16話 大逆転
自転車の車輪止めを上げようとしたところで、勢いよく扉の開く音が聞こえた。近付いてくる足音。僕は慌てて目元を拭った。
「マサアキ」
澄んだ声。
「もうちょっとだけ、話させて」
ついさっきまで伏せられていた瞳が、今はしっかりと開かれ、月の光を映していた。
一体どうしたんだろう。唐突なミサキの変化に、僕は些かならずうろたえた。
ミサキが手を差し出す。そこには、いびつな白い破片があった。
「これ、あの人がくれた消しゴム」
何を思ったか、ミサキはその手を大げさに振りかぶると、破片を夜の彼方に放り投げてしまった。
僕は呆然と、消しゴムが消えていった方を見る。
「言いたいことはいっぱいあるけど、どれも言い訳みたいになりそう。だから、一番伝えたいことだけ言うわね」
深呼吸をひとつ。凛とした表情は真っ直ぐこっちを向いている。
正直、僕は動転していた。ミサキが追いかけてくるなんて予想してなかったし、状況を呑みこめてもなかった。
「あたしは、マサアキが好き」
心臓に楔でも打ち込まれた気がした。ふっと眩暈がして、自転車をやかましく倒してしまう。からからと、ホイールの回る音が虚しい。
「でも、僕は」
「違わない」
言いかけた言葉は、ミサキによって遮られる。
「ううん、人違いでもいいの。あの消しゴムをくれたのが誰かなんてもうどうでもいい。今あたしが好きなのは、マサアキだから」
太陽のように、眩しい笑顔だった。
顔が燃えるように熱い。夜で本当によかった。こんな顔、まともに見せられるわけない。
「言いたいことはそれだけ。ちゃんと伝えたからね!」
固まった僕を置いて、ミサキは軽い足取りで家の中に戻っていく。
「じゃ、また明日。学校で! ノートありがと!」
扉の向こうに消える前に、ちらりと見せた窺うような表情。
僕はしばらく、体の動かし方を忘れていた。
気が付くと、自転車を押して歩いている自分を発見する。
段々と頭が冷えてきた。今度は心臓がむず痒い。
そうか、僕はミサキに告白されたんだ。
なら、やっぱり返事をしなきゃならないんだろう。それは少し、いやかなり恥ずかしい。
自分から返事を切り出すなんて、こちらから告白しているのと変わらないじゃないか。
ああ。
決めた。ミサキから聞いてくるまで、返事はしないことにしよう。
でも、あれだ。さっきのミサキの様子からすれば、人目も気にせず朝一番に聞いてきそうな気もする。
想像すると、頬が緩む。明日が怖い。怖いけど、なんだろう。楽しみでしかたない。
待てよ。ミサキにとって恋愛ってなんだっけ? いや、改めて考えるまでもない。うわぁちょっと待った。まだ心の準備が。知識とかも無いし。一体どうすれば。
僕は自転車を押して走る。走って、走って、自転車に飛び乗った。
煩悩を振り払うために、一心不乱にペダルを踏み込む。
今夜は、眠れる気がしない。
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