13.テツカの部屋(本人による実況解説付き)

 ***

 

 ジルーナはヴァン[ジル]の解説付きで番組を視聴していた。


『俺は”ルーダス・コア”による分身魔法を活かし! 今後何十人でも何百人でもビースティアの妻を迎え! 死ぬまでウハウハ猫耳尻尾ライフを送るんだよ!』


 ヴァン[ジル]は真っ赤にした顔を両手で覆っていた。


「誤解だジル……本気で言ってるわけじゃないぞ……⁉︎」

「わ、わかってるよ」


 ヴァンの膝を枕に寝そべるジルーナがそっと手を伸ばし、ヴァンの手の甲をさすってくれた。変態だとは思われているかもしれないがここまでとは思われていないはずだ。


「『遺伝子提供を渋っているのは妻』という疑惑を持たれるのはマズい。君たちが今以上に批判を受けてしまう。だから……単に俺側がゲス野郎だってことにするぞ……!」

「えぇ⁉︎ 無茶しないでね、わ、私たちなら大丈夫だからさ」


 ヴァンは首を横に振る。そうも言っていられないのだ。サリエが妻を批判するシーンを見てジルーナがぎゅっと拳を握りしめたことを、ヴァンは知っている。ヴァンを支え、人知れずこの国ために戦っている英雄たちが傷つけられているのだ。


「俺はどうなってもいい。安心してくれ」

「……」


 ジルーナはヴァンの腰に手を回し、そんなに自分を犠牲にしないでと訴えるようにぎゅっと抱きしめた。だが妻を守るためならヴァンは手段を選ばない。画面の中のヴァンは大魔王の如く振る舞い続けた。


『そもそもお前らがスナキア家なしでは生きられない状態に甘んじているのが諸悪の根源だろうが! 国民揃って毎日甘えんぼの日か⁉︎ あれはな、可愛い妻がやるからいいんだよ!』


 この発言を受けて、ジルーナの猫耳が天敵の足音を聴いたかのように素早く立つ。


「ちょ、ちょっとヴァン! そんなこと言ったら誰かが甘えんぼの日に甘えてるって思われるじゃん!」

「ま、まあ、どこの夫婦もそんなもんだろ?」


 勢いで口走ってしまった。とはいえ、実は妻全員甘えんぼの日は甘えてくるのだ。「恥ずかしいから内緒にして」とお願いしてくるのも全員共通だ。


『ヴァ、ヴァン様! どうされてしまったのですか! あなたはかつて聖人君子のようで、我々にとって理想の英雄でしたのに!』

「ふんっ、今や妻の恥ずかしい体調不良をテレビで発表する酷い夫だよ……!」

「ご、ごめんな本当に……」


 ジルーナの眇めた目に気圧され、ヴァン[ジル]はテレビの中のヴァンに「もう甘えんぼの日には言及するな」とメッセージを送った。即座に返答。罵詈雑言。「こっちはこんなに苦しい状況なのにお前だけジルに甘えてもらって良かったな。殺してやる」と恨み言。ヴァン[ジル]はせめてものお詫びと命乞いのためジルーナの可愛かったシーン集を送り返す。


『俺はお前らの家畜か⁉︎ あっ、あまり……人を舐め……るなよ……っ! お前らが……俺に、この俺に! 意見する権利など……ないんだよ!』

「ヴァン、大丈夫? 急に苦しみ始めたよ?」

「い、息切れしたんだろ」


 実際はジルーナの甘えっぷりに悶えてニヤケそうなのを息切れしたフリでごまかしているのだった。「最高に可愛くて演技に支障が出る」とまた怒られた。


『ヴァン様! ご自身の立場が気に食わないというのなら、それこそ遺伝子提供のご検討を! ヴァン様は解放されるんですよ⁉︎ 私にヴァン様の子を産ませてください……!』


 ジルーナの瞼がピクリと痙攣する。


「ねえヴァン。……サリエちゃんってヴァンのこと好きだよね?」

「ど、どうかな?」


 ヴァンはごまかした。


「ごまかさないで」


 そして怒られた。


「……まあ、サリエちゃん昔からそうっぽかったもんね」

「あ、そ、そうだったのか?」

「あれ? それは気づいてなかったの? ……そうだよね。ヴァンって今は『俺女慣れしてますけど〜』みたいな顔してるけど、昔はひどかったし」

「うっ! あ、あのさジル、俺別に悪さしてないんだから怒らないでくれよ……」

「ハハ、怒ってないよ。からかっただけ」


 ジルーナは微笑む。────だからこそヴァンは心配になった。


 サリエがどうこういう話ではない。ジルーナが無理に明るく振る舞おうとしている空気を感じたのだ。「自分はそんなに傷ついていないからもう大丈夫だよ」と示すかのように。


 傷ついていないはずがない。サリエの暴言は許せるものじゃない。何としてもジルーナを守るのだ。だが、優しい彼女は「代わりにヴァンが傷つく」という手段にもまた傷ついているようだった。少しやり過ぎてしまったかもしれない。


 画面の中ではヴァンがまとめに入っていた。サリエの闖入を逆に利用させてもらい、「やはり自立は必要」だと結論づける。


『俺はお前ら国民にはほとほと愛想が尽きた。お前らが滅亡しようが知ったこっちゃない。お前らの態度次第じゃ俺の手で滅ぼしてやろうかと思ってるくらいだ。いっそ今……あ、いや、何でもない』


 本当はここで国家が転覆しかねない悪さをしようかと思っていた。妻がそれを諌めるというオチ付きで。そうすれば自分がさらに株を下げる代わりに妻の株を上げることができる。だが、ヴァンが苦しい思いをすれば自分も苦しいと感じる妻なのだ。身を削るのはここらで手じまいにさせてもらうことにした。


「なんか急に優しい顔になったねヴァン」


 ジルーナの指摘通り、ヴァンはカメラに向ける表情を和らげていた。


「……いや、俺愛されてるなと思ってさ」

「何急に……? してるけどさ」


 さらっと言いのけたジルーナの頭をヴァン[ジル]は撫で回した。さりげなく猫耳も触った。妻が心配するほどヴァンはダメージを負っておらず、案外満たされた気持ちだった。


 そして番組はいよいよ最終盤。サリエがマイクに乗らない音量で何かを呟いたシーンに移る。ジルーナが気づかなければいいなとヴァンは祈るが、


「今サリエちゃん何て言ったの?」


 ジルーナはジトッとした目で問いかける。観察眼の鋭い彼女はきっちり見逃さなかった。


「『あの頃のヴァンお兄ちゃんの目だ』って」

「…………ふーん。愛されてるね」

「…………」


 気まずい静寂のまま、番組は終了した。ヴァンはリモコンに手を伸ばしてテレビを消す。十数秒後、沈黙を破ったのはジルーナだった。もっとサリエの件を突っつかれるのかと思ったが、別件だった。


「……どうしたらいいんだろうね。この国の人はヴァンを追い詰めるばっかりでひどいって思うんだけど、でもヴァンが見捨ててらみんな死んじゃうっていうのも……」


 自分たちの結婚が原因で六百万人が命を落とすか、夫婦揃って国中から責め立てられるかの二択。ヴァンも苦しいが妻たちの心労も計り知れない。


 ヴァンが叫んだ数々のセリフはほとんど本心だ。国民たちは自立を厭い、ヴァンに甘えきりで、挙げ句の果てにヴァンを責め立てる始末。もううんざりという気持ちはある。それでも、


「意地でも生かすよ。……いつか全部解決したら秘密を明かそう。俺たちが何を考えて、どう戦ってきたのか、全部ドヤ顔で説明してやろう。それまで死なれてたまるか」


 このまま何も知らないまま滅亡するなんて許さない。国民たちには目撃者になってもらうのだ。スナキア家が世間を騒がせながらも奮闘していたという真実を突きつけて、「妻こそが真の英雄だ」と痛感させてやる。きっと感動に打ち震え、妻たちを崇め奉るだろう。それがヴァンの目指す未来だ。多少厄介な国民たちでも守り抜いてやる。あくまで自分たちのために。


「でも……。もうヴァンが辛い目に遭うのは嫌だよ。今日から今まで以上に嫌われちゃうんでしょ?」

「……それが、思ったほどでもなさそうだ」

「え?」


 ヴァンは二十四時間体制で国家緊急対策室に居る。そこでヴァンが四人に分身し、その一人が情報収集を担当している。早速「テツカの部屋」に対する国民の意識調査を行なっていた。


「案外同情してくれた人も多いみたいだ。一応全員の命の恩人だからな。俺をあそこまで追い詰めていたことに罪悪感はあるらしい」

「……そっか」

「出た意味はあったよ。あ、あと君たちのことは特に何も言われてない。みんなそれどころじゃないみたいだ。だから安心してくれ」

「ありがと。……ヴァンがいいならいいけど」


 ジルーナは呟く。しかしジルーナ自身は納得しきっていないというニュアンスにヴァンは少し引っかかりを覚えた。彼女はまだ気落ちしていた。自分が傷つけられたこと、そしてヴァンが庇い傷を負ったことに。


「……みんなヴァンにもっと優しくしてくれたらいいのに。ヴァンだって一人の人間なんだから。ヴァンが好きな人と結婚することくらい、祝福してくれてもいいのにさ」


 ジルーナはヴァンの膝の上から真っ直ぐにヴァンを見上げた。


「ちなみに、そのヴァンの好きな人というのがこの私です」


 空気を和らげようとしたのかジルーナがキメ顔をお見舞いする。ヴァンは微笑みながらジルーナの頭を撫でた。ちょっと猫耳にも触った。


「そうだな。サリエには悪いが、ジルの方が百兆倍は可愛い」

「あ、あの子とんでもなく美人になったじゃん。わかんなかった?」

「全然……。というか俺、ずっとあの子のこと男だと思ってた」

「……は⁉︎」

「い、いや、子どもの頃って区別つかないんだよ」


 ジルーナはヴァンのお腹に顔を埋めてプルプルと震え出した。


「ヴァン……! それは酷すぎ……!」

「……笑ってないか?」

「わ、笑っちゃ悪いよ……!」

「構うもんか。あれだけ君を非難した相手だぞ?」


 こんなささやかな復讐くらい許されて然るべきと、ヴァンは居直った。────その姿はサリエの言う「聖人君子」でも何でもなく、ただの人間だった。


「……ジルは大丈夫か?」


 ヴァンが改まって問いかけると、ジルーナの顔が再びヴァンに向けられた。


「子どものことは俺たちが一番悩んでいるのにな」


 サリエの言葉の中でヴァンが一番聞き捨てならなかったのは、ファクターとビースティアの間にはほぼ子どもができないというスナキア家に立ち塞がる障壁を突きつけられた点だ。それを彼女たちがまるで何とも思っていないかのように言われたのも許し難い。国中に子どもを求められるというプレッシャーを苦しく思っていないはずがないのだ。


「……焦らないようにしよ。赤ちゃんができたとしても、きっとその子はヴァンと同じように何もかも背負わされちゃうんでしょ? 私、それはちょっと見てられないよ」

「……ああ。まずはこの国を立て直してからだな」


 いつか生まれてくるかもしれない子どものためにも、ヴァンはこの国を変えなければならない。その目処が経つまではむしろ子どもには待っていてもらった方が良いとすら思う。


「私たちだってテツカ様から見たらまだ子どもなんだもんね、ヴァンちゃん?」

「ハハ、ジルもまだ甘えんぼだしな」

「そ、それは言わないで!」


 二人は笑い合った。しかし、努めて明るくしようとしているような空々しさがどことなく漂っていることを、ヴァンは感じ取っていた。


 ヴァンは悲惨なショーをどうにか乗り越えた。残された課題は妻のケアだ。ジルーナだけではなく他七人もきっと傷ついている。自分に何がしてあげられるだろうか。

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