9.カードは切れない

 沈黙しかない。


 サリエの提言に乗っても妻は解放はされないのだ。遺伝子提供でサリエとの間に子どもができたとて、その子はスナキア家の力を継承できない。ただただサリエとその子の人生が犠牲になるだけだ。


 しかし、それは言えない。遺伝子提供というサリエの提言を蹴るには、継承条件とは別の、国民が納得する理由がいる。「やらなきゃこの国が滅びるんですけど?」という主張すら打ち倒せるような、強い理由。────そんなものはない。


 画面の中でサリエが問う。


『断る理由、ございませんよね? 奥様が大事と言うのなら、私が奥様を救って差し上げます』


 観覧客からの喝采。きっと全国のテレビの前の民衆も同様だ。


 だが、理由もなく断ったっていい。ヴァン[テツカ]がだらしなく映れば映るほど、国民が自立を目指すきっかけになる。結局ヴァンの方針は変わらない。負けるが勝ちだ。


『……もし、ヴァン様側には断る理由がないにも関わらずお渋りになるなら、私奥様方を疑いますよ?』

『何……?』

『奥様方が嫌がるから、という理由でヴァン様が身動きが取れずにいるのではないかと考えてしまいますわ』

『……!』


 それはマズい……! 「遺伝子提供という(国民からすれば)全てが解決する方法を、妻が拒否している。多分嫉妬とかそんな理由で」。そんな疑いをかけられたら妻の立場は今よりも悪くなる。ヴァンが「いやいや俺が嫌なんだよ」と言ったところで証拠はない。もちろん妻が嫌がっている証拠だってないのだが、疑いをかけられた時点でお終いだ。


『私かねてからおかしいと思っていたのです! ヴァン様はかつて素晴らしい英雄でしたのに、結婚を機に人が変わってしまわれました! きっと奥様のせいなのです! 奥様のせいでヴァン様は歪んでしまわれました!』

『お、おい! 妻を侮辱す────』


 ヴァン[テツカ]の抗議を遮るようにサリエは言い募る。


『だ、だって……! 昔のヴァン様は優しくてカッコ良くて素敵でしたもん……! 絶対おかしい……!』


 ぎゅっと拳を握ってプルプルと震え出す。


『ん……⁉︎』

『昔おままごとをしてくれたときだって、ヴァン様はあえて私に男性の役ばかりをやらせて見識を深めてくださったんです! 何たる思慮深さでしょう!』

『えぇ……?』

『ヴァン様は変な女に捕まっちゃって操られてるだけ! 絶対そうなんです! 私がヴァン様を助けて差し上げますから!』

『えぇ…………⁉︎』


 この感じ。まさか────。


 国家緊急対策室にいるヴァンは突然鳴り響いた衝撃音に背筋を伸ばす。ドレイクが机を思いっきり叩いた音だった。


「ヴァン……! 勘違いするなよ!」


 ドレイクがまるでツンデレのようなセリフを吐いた。


「い、妹は俺の前では確かに言ったんだ! お前など何とも思っていないと! いいな⁉︎」

「は、はい……!」


 そうは言われても、ヴァンは鈍感ではない。妻が八人いるだけに女性慣れはしているつもりだ。彼女はおそらく……そういうことだ。そして、彼女こそ、嫉妬とかそんな理由で動いているのではなかろうか。


『ヴァンお兄ちゃ、あ、ヴァン様は! ぜ、絶対間違ったことをしない人なんです! だから絶対奥様がおかしい!』


 感情的になり、どんどんボロが出ている。ヴァンに美醜は分からないが、彼女が目に涙をためて頬を赤らめていることくらいは分かる。多分世間からしたら相当可愛い状態のはずだ。ドレイクが壁をガンガンぶん殴っているのがその証拠。


 ヴァンは今、妻を守るため、「遺伝子提供は拒否するし、それはヴァンの意思である」と主張しなくてはならない。「妻の意思なのでは?」という疑いすら持たれないように努めなければならない。しかし、サリエはヴァンに対してアレなため、「絶対に妻が悪い」と言い張る状態にある。そして視聴者は皆サリエの味方だ。


 ────これ、詰んでいないか? ヴァンの額に汗が伝う。


『ビースティアのくせにヴァン様と結婚しちゃう神経からそもそもおかしいんです! み、身の程を知るべきですわ! ヴァン様は本来私のような優秀なファクターと結ばれるべきですのに! 私ヴァン様に見合う女性になりたくていっぱいいっぱい頑張ったんですよ⁉︎』


 すっかり昂ったサリエは気持ちを全く隠せていない。彼女はその勢いで本格的に妻を叩き始めた。


『本当に最低! 傾国の魔女たちですわ! ナンセンスですわ! 大方国中に批判されているのも子どもができないのも悲劇のヒロインぶるにはちょうどいいのでしょう⁉︎』

『……! おい! いい加減にしろサリエ!』


 思わず声を荒げる。聞き捨てならない。今の言葉、妻がどれだけ傷つくか。彼女たちはコアの継承条件という秘密をヴァンと共に抱え、世界の終末を回避するため、妻が複数いるという不遇に耐えてでもヴァンを支えているこの国の真の英雄だ。


 しかしそれは言えない。言えない限り、サリエの口も止まらない。


『ヴァン様の奥様は最低の悪女です! このままスナキア家の血が途絶えれば全国民が死ぬんですよ⁉︎ それすらわからない愚図なのです! ですが私はそんな愚図さえ救ってみせます! 遺伝子提供という方法で!』


 観覧客から歓声と拍手が巻き起こった。妻がボロクソに貶されている。国民はそれに賛同している。全国放送で。しかも妻が観ている前で。


『ヴァン様! これが民衆の声です! 私の提案をどうか受け入れてください!』


 妻を傷つけるのだけは絶対に許せない。だがこの状況。一体どうすればいいのか。


 ああ、妻が心を痛めていなければいいが────。

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