8. 私たちも

 ***


「んん……♡ あぁん……♡」


 プールに続いて温泉とサウナを堪能した二人は、その後エステとマッサージを受けていた。ホテルに常勤しているらしいプロを二人部屋に呼び、一番高いコースをお願いしている。それぞれベッドでうつ伏せに寝そべって、背中にオイルマッサージを食らっていた。


「ミオさん、声エロ過ぎ」

「だ、だって出ちゃいません?」

「出ませんよそんな声。あっ……んん♡」

「フフ、出てますよぉ♡」


 枕に顔を埋めながら会話する。二人ともノリノリである。エステティシャンのお姉さんたちはまさか二人が現在進行形で誘拐されているとは思わず、平然とサービスを続けてくれていた。


「もっとエッチな身体にしていきますね〜」

「「お願いしま〜す」」


 ああ、毎日誰か誘拐してくれないかな。思わずそう願ってしまった。


「うぅ〜……っ! ずっとここに居た〜い!」


 ジルーナも似たようなことを考えていたらしく、心の叫びを漏らした。足をジタバタさせる音も聞こえる。エステのお姉さんたちを含めて四人で大いに笑った。


「こんなに喜んでいただけるとこちらも気合が入りますね〜」

「本当ねぇ。お二人とも素材が良いから磨きがいあるわ」


 心なしかエステのお姉さん方の声も弾んでいる。多分たっぷりギャラも払われるのだろうし(誘拐犯から)、この場の全員がハッピーだった。あの犯人グループたち、逮捕するのではなくむしろ表彰してあげてもいいのではあるまいか。


「お二人はどういうご関係なんですか?」


 ふと、ミオを担当しているエステティシャンが尋ねる。


「……」


 きっとあちらは何てことない質問のつもりだったのだろう。だが、ミオは言葉に詰まってしまった。


 ジルーナとの関係には、どんな名前を付ければいいんだろう。彼女は夫の、もう一人の妻。バシっと伝わる単語が見つからないし、言うわけにもいかない。「友達」なんていうシンプルな繋がりではないし、しっくりこない。ある意味「姉妹」かもしれないが、若干下ネタの匂いがしなくもない。


「え、ええっとぉ……」


 分からない。彼女はミオにとって、何なのだろう。


 ────その時、ジルーナの声が聞こえた。


「家族です」


 枕に吸い込まれて声は曇っていた。だが彼女は、確かにそう言った。


「そうなんですねえ。ご親戚ですかー」


 エステティシャンが納得したように何の気無しに相槌を打つ。だが、ミオにとっては大事件だった。


 家族。

 家族と呼んでくれた。


 ……うつ伏せで良かったと、ミオは思う。目から溢れる涙に気づかれずに済むから。


 本当は夫を取り合って喧嘩になってしまうのが自然なのかもしれないけれど、お互いを大事に想うなんて不自然なのかもしれないけれど、でも彼女とはそうありたい。この複雑な世界の中で、厄介な宿命を帯びた家の中で、同じ苗字を背負って共に苦難に立ち向かう仲間でありたい。一緒に居れば心強くて、お互いがいるから勇気が湧く、そんな味方でありたい。


 それはきっと、家族と呼べる関係だ。ヴァンとジルーナ、ヴァンとミオだけではなく、ジルーナとミオも。


 彼女がその言葉を使ってくれたのが嬉しかった。迷わず言い切ってくれたのが嬉しかった。涙が止められなくて、顔を強めに枕に押し付けて声を押し殺した。


「……寝ちゃいました?」


 エステのお姉さんはミオが押し黙るのを見て、眠ってしまったと判断したようだ。しばらく喋れそうもないので寝たふりをしておこう。


「せっかくの体験なのにもったいないなぁ」


 ジルーナの呆れた声が耳に届く。とんでもない爆弾を落としてくれたのに呑気なものだ。エステが終わった瞬間抱きついてやるんだから、心の準備をしておいてほしい。




 ────というわけで。


「な、何⁉︎ どうしたのミオさん⁉︎」


 エステのお姉さんが部屋から出た瞬間に飛びついた。両腕を回して力一杯抱きしめる。


「家族って言ってくれたぁ……」

「え?」

「わ、私のこと、家族って……言ってくれたぁ……っ」


 お互い素っ裸にバスローブ一枚。ホテルの物だし吸水性たっぷりなので遠慮なく涙を押しつけた。


「そう呼びたいなって思ったんですけど、嫌じゃなかったですか?」

「こ、これが嫌がってるように見えますか……っ⁉︎」

「ハハ、全然」


 彼女もミオの背中に手を回す。エステ直後とあってメチャクチャ良い匂いがする。タオル生地越しに伝わる体温が暖かくて、奥に感じる彼女の身体が吸い付くように柔らかい。こんなのもう旦那に独り占めさせておくものか。


「私たちも家族がいいですぅ……」

「うん、そうしましょ。変かもしれないですけど」

「変でも家族がいいですぅ……! 絶対言い張るからぁ……!」

「……うん、うん」


 ミオはするりと手を離し、ジルーナの顔を正面から見据える。


「ジルーナさん、もう敬語やめてくれませんかぁ?」

「え? でも確かミオさん年上だし……」

「それで言ったらジルーナさんは先輩じゃないですかぁ……」

「せ、先輩? って変じゃないですか?」

「だってそれ以外言いようがないじゃないですかぁ。っていうかもう細かいことは何でもいいです! 家族が敬語じゃ変です!」


 二人の間に横たわる微妙な距離感がとにかく煩わしくなってきた。詰めたい。分かりやすく、言葉遣いから。


「……じゃあ、そうするよ。その代わりミオもね」

「うん……ジル……」


 鼻声でつぶやきながら、ミオは再びジルーナに抱きついた。ジルーナはそんなミオの頭をそっと撫でる。


「ハハ、案外泣き虫なんだね。大人のお姉さんだと思ってたのにさ」

「ふ、普段はそのつもりだもん。今日は特別なのぉ……」

「ふ〜ん。そう?」

「そうだもん……」


 一つだけとはいえ年上だし、結構人生経験も豊富なつもりだ。今後見せつけてあげよう。


「……そろそろ帰ろっか? 私たちのお家に」

「フフ、そうねぇ♡ 一緒に悪巧みできて楽しかったわぁ♡」


 悪ノリはここまでにしよう。あんまり長引くと夫が心配するだろうし。家族で暮らすあの家に帰ろう。


「あ、でも待ってジル。こんなエロい格好でヴァンさんに会うの危ないわぁ」

「そ、そうだね。耳も尻尾も削れて無くなっちゃうよ」


 二人はいそいそとバスローブから私服に着替える。エステの効果か、来た時よりデニムが若干緩くなっている気がする。本当にあらゆる意味で今日は最高の一日だった。日記帳でも買って帰りたい気分だ。どうせ三日も続かないけれど、今日のことだけは絶対残したい。


「ふふふ〜ん♪」


 彼女が着替えながら漏らしている大層機嫌が良さそうな鼻歌のことも、とびっきり可愛く書かせてもらおう。

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