23.ヴァンはきっと
***
ミオの自宅近辺にある公園のベンチに、ジルーナは一人腰掛けていた。
大急ぎて家に連れ戻そうとする彼に「せっかくだから少し街をブラブラしたい」と伝えると、彼は真っ青な顔をした。ただでさえわがままを聞いてもらった後だし、早く安心させてあげたかったけれど、ジルーナは少し、一人になりたかった。
もうこの国を出るのだから最後に歩き回りたいのだと言うと、彼は渋々了承してくれた。誰もジルーナがヴァンの妻であることは知らない。出歩いても危険はないのだ。数時間後に連絡するから迎えに来てとおねだりして、結局ジルーナはどこにも行かずただ座っている。
長い時間を設けたのは、今もこの目から溢れている涙を隠す必要があったから。
「……私、何を偉そうに」
思い返すのはミオとの会話。きっと、ヴァンに寄り添うために一夫多妻を受け入れる決断をした気丈な妻 と映っただろう。確かに尋常ならざる覚悟をした。どんな困難が訪れようと彼と共にあると決めていた。
────だが、一夫多妻という選択は、ジルーナにとって逃げだった。
海の見える別荘で彼にプロポーズされたとき、選択肢は三つあった。
一つ目はヴァンの申し出を断り、彼との関係を断ち切ること。それが国民たちにとっての正解だったのかもしれない。
二つ目は彼の唯一の妻となること。引き換えにこの国が抱える六百万人が死ぬことになろうと、堂々と暮らしていくこと。
「どっちも怖くて仕方なかったんだ……」
選ぶなんて不可能だった。だからジルーナは三つ目の選択肢である、複数の妻を迎える道に逃げた。
欲しかったのだ。罪悪感を分け合う相手が。国民から容赦なく向けられる憎悪を共に請け負ってくれる道連れが。自分だけのせいじゃないという言い訳が。
はっきり言って妻が増えたところで子どもが生まれる確率なんて微々たるものだ。藁にもすがる程度かもしれない。それでも、自分も国を滅ぼさないために頑張っているという実感が欲しかった。そうでもなければ、日に日に悪くなる状況に耐えられなくなってしまいそうで。
ヴァンが二人目の妻を迎えることには大きな意味がある。子どもの件だけではなく、国の改革を推し進めることにもなる。
さらに、ジルーナにとってはもう一つ、大きな効果があるはずなのだ。
ヴァンが狙っている「ビースティアにしか興味がない」と国民に見せつける作戦に、ジルーナは内心頷いていなかった。ジルーナはヴァンほど国民を信用していない。五人も六人もビースティアの妻を迎えれば効力を発するだろうが、二人くらいでは彼らはきっと変わらない。
二人目の結婚ではむしろ、国民は「ヴァンには他の妻を迎える姿勢がある」という事実の方に目を向ける。「それならファクターとも……」と期待する。────きっとジルーナとの結婚への批判は多少沈静化するだろう。
それは二人の計画上避けなければならない流れではあるのだが、そうなってくれと願ってしまっていた。もう苦しくて仕方がない。
だから、ミオとの結婚を止める気はない。候補が見つかったのなら朗報だ。
ヴァンはきっと、ミオを悪しからず思っている。彼が一ヶ月も嘘のストーカーを追わされていたと言ったとき、彼にはちっとも怒りが見えなかったのだ。こっちは「ウチの夫に何させてんじゃ」と内心怒っていたのに。彼の中では、彼女が安全なら良かったという気持ちが勝ったのだろう。彼の感情にどんなラベルが付いているのかまだ見えないが、彼女を大切に思っていることだけは伝わった。
だが、彼女が国の手先であるという疑いは如何ともし難い。自分が彼女と会っても無事に帰って来られたら潔白の証明になると思って提案したのに、彼にあれだけ対策をされてしまっては意味がなかった。後は彼女に解決してもらうほかない。
邪魔はしない。むしろ背中を押す。彼に伝えたこともミオに伝えたことも紛れもないジルーナの本心だ。これは自分のための決断でもあるのだから。
────それなのに、ジルーナは泣いている。
頭では分かっているし、行動もしている。それでも尚心の奥底で、本当の自分が、彼が他の女性と結婚するは嫌だと叫んでしまうのだ。
「辛いよ……」
ジルーナは、もう一度あの三択を突きつけられているような気がしていた────。
────二時間後。もう泣くだけ泣いた。目の腫れもないと思う。あとは彼の前で平然としているだけだ。携帯電話を取り出して居場所を伝えると、彼はすぐに迎えに来てくれた。
「ありがとヴァン。……今日はわがままばっかりでごめんね」
いつも通りの自分、だったはずだ。それなのに、
「ジル。どうして泣いた?」
「え……?」
一目見ただけで見抜かれた。どうして……?
「何があった?」
彼は心配そうにジルの顔を覗き込んだ。……きっと理由なんてないのだ。思えば自分だって彼が何か隠していたら気づく。根拠なんてなくてもわかってしまうことがある。それだけ濃い時間を二人で過ごしてきた。
本当に、今日の自分はわがままだ。いつもは何だって通じ合えることが嬉しいのに、今日ばかりは気づいてなんてほしくなかったと思ってしまっている。言葉の表面だけ信じて、本心なんて探ろうとしないで欲しかった。なんて理不尽なのだろう。
「……わ、私の問題だから気にしないで。あ、ウィンザーさんと何かあったわけじゃないよ」
明かせない。口ではミオとの仲を応援しているのに、そのためにお膳立てまでしてもらったのに、本当はどうしようもなく辛いだなんて。
「ジルの問題は俺の問題だ。聞かせてくれ」
優しい言葉も今はかえって狼狽させられた。だって────、
「ヴァンには何もできないよ……!」
その意図していない声量に、ジルーナは咄嗟に自分の口を塞ぐ。目もぎゅっと瞑ったが、再び流れ出す涙を止められなかった。
「……ごめん。訳分かんないよね……。わ、私滅茶苦茶だ……っ! ごめんね……。でもこれは、私が考えなきゃいけないことなの……」
「……」
現状ヴァンに責められる謂れはない。一夫多妻を推しているのはジルーナの方で、ヴァンはミオからの告白をしっかり断っている。彼は国とジルーナの間に挟まれながら、懸命にジルーナの幸せを願ってくれている。
それでも、根拠なんてなくてもわかってしまうことがある。
────ヴァンはきっと、彼女を愛す。
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