13.二つ目の窮地

 ***


 スナキア家一階。共用リビング。ジルーナが危機を脱した直後、ヴァンは大急ぎでジルーナとユウノを連れ帰った。緊急事態に陥ったことで、スナキア家はほぼ全員がリビングに集合していた。いないのはちょっとした用事のあるミオだけだ。


「うぅー……! 無事で良かったぜジル姉……!」


 ユウノはジルーナに抱きついて胸に顔を埋めていた。


「大げさだってば。平和的に帰ってもらったからさ」


 ジルーナはユウノの背中をさすりつつ、夫に顔を向ける。


「多分もう何もしてこないと思うよ。えーっと、私的にはすっごく納得できる理由を言ってくれたから」


 ヴァンは頭を抱えるしかなかった。


「……『俺に嫌われないために』だったか?」

「え⁉︎ あれ? 聞こえてたの⁉︎」

「アタシが全部聞いてた……」

「ユウノが……⁉︎ そ、そっか……」


 ユウノの聴力は計算に入っていなかったらしい。ジルーナはヴァンに何も伝わらない前提で話していたのだ。だからこそ別れ際にあんなことを言ったのだろう。


「ジル……、正体をバラすことなかっただろ……」


 その言葉を聞いて一同がざわつく。


「い、言っちゃったです⁉︎」

「そんなの大ピンチだよっ! ジル大丈夫なのっ⁉︎」


 サリエは元々確信していた様子ではあった。今日仕掛けてきた作戦だってジルーナが妻である前提で組み立てられていたほどだ。だがわざわざ明言してやることはなかったのにと、夫としては歯痒い気持ちにもなる。


 ユウノがむくれながら抗議する。


「ヴァン! ジル姉を責めるな! アタシはあれスカッとしたぜ! つーかアタシも言ってやりたかった!」

「せ、責めてない。心配なだけだ」


 夫の不安そうな声に、ジルーナはキリリとした眉毛と堂々とした腕組みで対抗する。


「絶対大丈夫! 聞いてたなら分かるでしょ? サリエちゃん、悪い子ではなかったじゃんか」

「そ、そうか?」

「そうだよ。だってあの子、私のこと『追い詰めた』なんて言ってたけど、本当に追い詰めてたのは自分だけだったじゃん」

「……」


 確かに、あの場で一番危うい立場だったのはサリエだった。ジルーナがヴァンの妻だと確信していたのであれば、何を仕掛けてようともヴァンがジルーナを守るということも理解していたはず。むしろ安全圏に居たのはジルーナの方で、サリエは攻めれば攻めるほど逮捕されるリスクを負う。彼女が危険に晒したのは自分自身だけだったのだ。


「……一応釘を刺しには行くぞ」


 もうバレているのであればヴァンがこのタイミングで会いに行っても構わないだろう。


「へー、会うんだ」

「うっ」


 ジルーナの声は乾いていた。


「……どうしても結婚するっていうなら所定の手順を踏んでからにすること。でも私は今のところ反対です!」

「そういうのじゃない! 知ってるだろ俺の性癖のえげつなさを……」


 サリエはファクターだ。ヴァンと結婚する道は絶対にあり得ない。好みじゃないことを抜きにしても、国内情勢的にマズい。ヴァンが彼女と結ばれれば国民は「これで後継ができる!」と油断して国家改革どころではなくなる。


 ある程度サリエを信頼していいというのはヴァンも同意だった。だが、今後もサリエがジルーナと接触を図ったりつけ回して動向を監視する可能性はゼロではない。絶対に対策は必要だ。ジルーナにだってやってもらうことがある。


「……ジル、君は今後積極的に他の子と外に遊びに行くようにしてくれ。特にユウノとだ。一緒に居るところをサリエに見られれば好都合だ」

「え? 逆じゃない……? あれ、ていうか、私がバレたら他の子も巻き込んじゃうんじゃん……! そ、そこまで頭が回ってなかったよ……! 私もう誰かとお出かけできないの……? あ、今日一緒にいたユウノは……⁉︎」


 ヴァンは慌てふためくジルーナの肩を手の甲でさする。色々と察しの良い彼女にしては珍しい。結構熱くなっていたのだろう。


「落ち着いて。普通に考えたら妻同士が仲良く出かけてるなんて思わない。むしろジルと親しそうな女性ほどサリエには疑われないんだ」

「あー……そっか、普通はそうなんだね……」


 ジルーナとサリエの険悪な空気に触れて再確認した。ウチの妻が仲良しなのは奇跡だ。


「今日だってユウノのことは疑ってないと思う。ただ一応サリエの考えを伺っておきたい。だから会いに行くよ」

「うん、分かったよ」


 ユウノの安全確認のためであらばとジルーナはころっと態度を変え、素直に頷いた。多分ヴァンの読みは当たっている。それに、ユウノはマスクをしていたし心配ないだろう。念のため様子を見るだけだ。


「みんなもサリエのことは警戒しておいてくれ。万が一危険な目に遭いそうだったらすぐに俺を呼んで構わない」


 面々は一様に首肯した。一人知られてしまった以上もう開き直って堂々と守りに入っていいかもしれない。妻を守るためなら躊躇はしないことにした。


「あ、あとそうだ、……ティア」

「へ⁉︎ な、何です⁉︎」


 キティアに呼びかけると思いっきり動揺していた。────何だか様子がおかしい。よく見るとその隣にいるフラムもどこかオドオドしている。


「ユウノが使。様子を見ておいてくれるか?」

「え? アレでヴァンさんを呼んだんですか? ユウノさんなら大丈夫だとは思いますが……、一応ミオさんと一緒に経過観察しますね」

「よろしくな」


 ヴァンが頷くと、ちょうど名前の挙がった人物がやってきた。


「……ヴァンさん?♡」


 ミオだ。今日もすらりとした長身と凹凸のくっきりしたスタイルが眩しい。────いや、眩しすぎる?


「み、ミオ⁉︎ 何ですそのどエロい格好は⁉︎」


 シュリルワが咄嗟に手のひらで顔を覆い、指の隙間から咎めるような視線を飛ばす。他の妻たちも困惑していた。ミオは体のラインがくっきりと出てしまうボディースーツに身を纏い、フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えていた。


「み、ミオ。着替えに行ったんじゃなかったのか……?」

「そう思ったけどぉ、ヴァンさんがお姉さんにこんな恥ずかしい格好させたってとこをみんなに教えてあげたくなってねぇ?♡」


 ミオは目を細めて蠱惑的に微笑む。しかしその裏には激しい怒りの炎が灯っていた。


「あっ! ミオっ! それってもしかしてスパイだったときのヤツっ⁉︎」


 ヒューネットが興味津々に尋ねると、


「そうなのぉ。ヴァンさんに『今すぐ着てくれ!』って迫られちゃってぇ……無理矢理ぃ……♡」


 他七人の冷たい視線が一斉にヴァンを突き刺す。誤解だ。


「ち、違う! こ、これはその! ジルを助けるために着てもらったんだよ!」

「何でジルを助けるのにミオをエロくする必要があるです⁉︎ ケダモノ!」

「おいヴァン! お前あんな大変な状況でエロいこと考えてたのか⁉︎ 見損なったぜ!」

「性欲を抑えられないときはわたくしも呼んで三人ですればいいですのに!」

「最後まで聞いてくれ! あとエルは怒るとこが違う!」


 ヴァンは懸命に説明する。これは結局使うことのなかった策の名残りだ。


「俺があの場に駆けつける別の理由を作りたかったんだ! ちょうど二人の前に不審者が現れて、サリエからじゃなくその不審者からジルを助けるって形にしようと思ってな」


 筋書きはこうだ。ジルーナがスナキア家の元・使用人であることに目をつけて付け狙っている組織がある。その組織は度々ジルーナにちょっかいをかけ何らかの情報を得ようとしている。今日もジルーナを尾行していたらしく、サリエと接触しているところを目撃。サリエはヴァンを激しく糾弾したことを国中に知られている人物。貴重な情報源であるジルーナに危害を加える可能性がある。不審者は慌てて二人の間に割って入る。元・雇用主としてジルーナの警護を申し出ているヴァンが即座に駆けつけるのも至って自然な流れ────。


「────ってシナリオだ。ちょっと無理はあるけど、これなら俺が助けに入ることも都合よくあの場に不審者が現れることも説明がつくだろ。だから誰かに不審者役をやってもらうことにして、顔を隠せる服を持ってたミオに……」


 ちなみに先ほどミオに慌てて説明したときはすんなり賛同してもらえた。なぜ今になってヴァンを攻撃するのだろう。


 ミオは心を読んだのかヴァンのその疑問に早速答えてくれた。


「不審者に仕立て上げられた仕返しにヴァンさんを不審者扱いしようと思ったのぉ♡」

「悪かったよ……」


 ミオは大満足したようで満面の笑みを浮かべていた。対照的にヴァンの表情は曇る。


「ヴァンさん? お姉さん本当はジルを助けるためだったらこれくらい何でもなかったわよぉ。ジル、無事で良かったわねぇ♡」


 ミオは仕切り直すように落ち着いた声色でジルーナに声をかける。お姉さん必殺のウィンク付きだ。


「ミオ、ありがと……。……で、でも、その格好は……お、面白い……かな……?」


 一方、ジルーナは必死に笑いを堪えていた。が、やがて抑えきれなくなった。


「アハハハ! ミオそれ変だよ!」

「ちょっとジル! 笑わないで! ジルのために着たのにぃ!」

「だって……何なのそれエロすぎ……! そんなのかえって目立ちそうだけどっ……! ププっ……!」

「じ、ジルひどい!」


 せっかく一肌脱いだのに納得いかないとばかりにミオはブンむくれ、聞こえるか聞こえないか微妙な音量でボソッと呟いた。


「……ジルだってあんなどエロい下着持ってるくせにぃ」


 ────ジルーナの表情が青ざめていく。

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