11.一対一

 ***


 ────冷静に、冷静に。

 ジルーナは心の中で何度も呟いた。


「近頃少し冷えてきましたわね。お風邪など引かれないように気をつけてくださいね」

「サリエちゃんもね」


 サリエは嬉しそうに至極平凡な日常会話を繰り出してきた。そんな話をしに来た訳ではないだろう。わざわざ魔法を使ってまでスナキア家周辺でジルーナを探していたのだ。何か良からぬ用事があるに違いない。


「会えて嬉しかったよ。またね」


 早急にこの場を立ち去らなければ。多分ユウノを通じてヴァンは自分を守りに来てくれるだろうが、彼の手助けなしで逃れるのが理想だ。もしかしたら「ジルーナをつっつけばヴァンがやってくる」という現象を確認することそのものがサリエの目的なのかもしれないのだ。


「そんな、もう少しお話しませんこと? 私実はジルーナさんにお尋ねしたいことがあるんです」


 足を進めようとしたジルーナを、サリエは引き止めた。走って逃げ出すわけにもいかず、ジルーナは問いかける。


「何?」


 ────サリエの表情から、笑みが消えていた。


「私、ジルーナさんがヴァン様の奥様なのではないかと疑っているんです」

「……!」


 核心に迫るド直球。


 冷静に、冷静に。ジルーナは自分に言い聞かせる。


「……どうして?」


 ジルーナはポーカーフェイスで、否定も肯定もせずにサリエの様子を見た。


「いえ、何の根拠もないんですの。ヴァン様と関わりのあるビースティアの女性ってジルーナさんくらいしか思い当たらなかったもので」

「消去法ってこと?」

「フフ、まあそうですわね」


 ジルーナは一度深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。そしてサリエをたしめるように、小声で話す。


「サリエちゃん、ダメだよ。ヴァン様の奥様を探るのってこの国じゃ犯罪なんだよ?」

「ええ、分かっておりますわ。でもジルーナさんならまさか私を警察に突き出したりはしないでしょう?」 

「まあ、ね……」


 確かにそれは本意ではない。彼女の人生を壊すつもりはない。それに、彼女が夫と激しいやり合いをしたのは国民全員が知るところ。その相手をこのタイミングで逮捕するなんて、夫がまた世間から叩かれてしまうかもしれない。


 どうやらすんなり自分を解放してくれる気はなさそうだ。であればむしろ会話を引き伸ばし、ヴァンが策を講じる時間を稼ごう。


「どうして今更そんなこと言うの? 昔からそう思ってたんじゃない?」

「ええ。ですがヴァン様が初めて結婚されたとき私はまだ小学生でしたし、何ができるわけでもなく……。それに、奥様に文句はあれど用事はなかったのでリスクを負ってまで接触する意味がなかったんです。『別れて』と説得したところでヴァン様が納得しなければ無意味ですし、第一別れさせたところで他の奥様がどんどん増えますので」

「なるほどね……」

「あ、もちろんジルーナさんを疑っているなんて誰にも言ったことはありませんわよ。お兄様にだって何も言えませんわ。心配させてしまいますもの」

「……」


 これは信用していいだろう。今までジルーナの身に何もなかったことがその証拠だ。


「ですが、先日の『テツカの部屋』を経て考えが変わりましたの。……ジルーナさんも元・使用人として思いませんでしたか? いくら何でもヴァン様の様子がおかし過ぎると」


 あの番組でヴァンは国民に対してキレ散らかした。遺伝子提供で後継を作るという国民大歓喜の提案を、「”ルーダス・コア”の魔力で大量に分身し何人ものビースティアとのウハウハ生活を続けたいから」という理由で無碍にしたのだ。


「……ヴァン様らしくないとは思ったよ」


 変に否定するのもかえって怪しまれそうだ。やむなくやんわりと肯定する。


「そうでしょう? ですから私、確信したんです。ヴァン様がビースティアとご結婚されているのはきっと何らかの事情がある。国民にそれを隠してらっしゃるのだと」

「……!」

「私はどうしてもその秘密が知りたくなったのです。ですがきっとヴァン様は話してくださらない。それなら奥様や使用人から何か聞けないかと思いまして」


 ジルーナが元使用人であることは間違いない。その上妻である可能性まであると考えているのなら、サリエがジルーナに目をつけるのは自然な流れだろう。


 接触してきた理由は掴んだ。今のところ手荒な真似をするわけではなさそうだ。


 だが、もちろん何も話すことはできない。


「ヴァン様は無理矢理国を変えるためにビースティアと結婚したって話は聞くけど……」


 ジルーナは何も知らない体で世間で囁かれている噂だけ話す。


「そうですわね。単におかしくなったのではなく、そういった狙いがあるのは事実でしょう。ただ、不自然な点もあります。ヴァン様は元々民主主義的に国家改編に取り組んでおられましたし、政権交代が現実味を帯びているくらい順調に進んでいたのですよ。ビースティアとの結婚などという強硬策は不要でしたわ」

「……そっか」


 ヴァンはジルーナとの結婚以前、改革派の政党を勝たせる一歩手前まで辿り着いていた。サリエのような違和感を抱くのは当然だ。後継が現実的ではなくなったことで正規ルートでは絶対に間に合わないと悟り、強硬策に出ざるを得なくなったというのが真相だ。


「ですから他に何らかの秘密があるんです。……不妊なんて説もありますわね」

「!」

「しかしそれもわざわざビースティアと結婚したことの説明にはなりませんわ。ヴァン様は奥様を守るために多大な労力を払っています。世界中の法律を作り変え、奥様に対する犯罪を防止するために十五万の分身で常に国を監視したり……」

「そんな苦労をしてまでビースティアに拘る理由があったんだ?」

「ええ。私はそう考えました。それにヴァン様は度々『ビースティアが相手でも可能性は0ではない』と主張されていますし、実際確率を高めようとするかのように複数の奥様をお迎えしています。不妊というのもやはりなしでしょう」


 “ルーダス・コア”の継承条件を知らない国民からすればその結論に至るのも無理はない。実際は半分くらい正解なのだが。


「……ヴァン様、どうしてビースティアなんかと」


 サリエは苦々しく囁く。


「……やっぱりファクターじゃなきゃダメって思うの?」

「『ファクター』ではありません。『私』です」

「……!」


 ジルーナを妻だと疑っていると宣言しながら、その妻を前にして自分こそヴァンのそばに居るのが相応しいと、彼女は主張する。喧嘩売ってくれるじゃんと、ジルーナは密かに拳を握りしめた。


「……ジルーナさん。先程から私の疑いは増すばかりですわ。イエスともノーとも言ってくださらないのね」

「……」

「否定すればいいではありませんか。まあ、それも癪だとは思いますがね。……夫を狙っていると公言する女には、『妻は自分だ』と言ってやりたいところでしょうし」


 ────その通りだ。嘘でも「妻ではない」なんて言いたくなかった。特にサリエに対しては。


 この言い草、彼女はもうジルーナが妻であると確信しているに違いない。ただ証拠がないだけだ。もう疑いを晴らせないのならいっそのこと堂々と……いや、冷静にならなければ。昔と違って自分を心配してくれる仲間が増えた。さっきユウノに叱られたことでそれを自覚した。無茶はするべきじゃない。


「ジルーナさん。悪いようにはしません。私はただ真実が知りたいだけなのです」


 サリエは説くような声音で踏み込んできた。


「テレビでサリエちゃんがヴァン様の奥様に悪口を言ってるの見たけど?」

「あれは、……嫉妬ですわ」


 サリエはプイとむくれて視線を逸らす。


「思い出してください。私が遺伝子提供を申し出たのは奥様を救うためでもあったのです。国中に後継を求められ、責められ、憎まれているのは、同じ女として心が痛みます」


 遺伝子提供でヴァンとサリエの間に子供ができれば妻たちが不評を買うこともなくなる。確かにそんなことも言っていた気がする。


「ヴァン様を奪われたのはすっごく悔しいですけれど、でも助けて差し上げたいという気持ちはあるんです。特に子どもの頃お世話になったジルーナさんは……」


 安易に信じていいのか分からない。だがサリエの瞳の奥に彼女なりの思いやりが滲んでいるように見えた。多分悪い子ではないのだと思う。ただ立場が違うだけだ。


「ジルーナさん。確かめさせてください。……身分証を見せていただけませんか?」

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