6.彼女は強く

 ***


 ジルーナはテーブルにつき、じっと待っていた。


 スカルチュアとかいう組織に行った夫からそばにいた夫へ連絡が入ったらしい。これからボスとやらを自宅に連れてくるそうだ。事情は説明できないし付き添うこともできないが、聞かれたことに正直に答えればいいと彼は言った。理解できたのはただごとでないということだけだ。でも不安はない。自分はただ彼を信じればいい。


「失礼するぜ」


 リビングのドアを開けて現れたのは大柄のビースティアの男性。マフィアというだけに相貌は恐ろしい。服には血をつけている。


 ────きっと彼の血に違いない。世界中から攻撃を受けても無事だった彼が傷を負ったのなら、それはきっと彼の意思だ。それでも、夫を傷つけた相手に振りまく愛想なんて持っていない。それ以上視線は送らず、無言を貫いた。


「尻尾膨らんでるぜ。そんなに警戒するな」


 男は正面に座り、敵意はないとばかりに両掌を見せた。


「ガルーノって者だ。ビースティアを守ってる。おっと、お前さんは名乗らなくていい」


 ガルーノはポケットからクシャクシャになったメモ用紙とペンを差し出す。


「お前さんに聞きたいことがある。旦那には席を外させた。遠慮なく思ってることを言ってくれ。聞かれるのが怖けりゃこれに書いてくれればいい」


 どうやらこの男は夫を疑っているらしい。競売事件で世間を騒がせた二週間、テレビで目にした不愉快なニュースの中に、夫が改革のためにビースティアの女性を強制的に利用しているなんてものがあった。普通ならビースティアの身でヴァンとの結婚に応じるはずがない、脅されて巻き込まれているのだと。


 違う。自分は自分の意思で、ヴァンの妻として確かにここに居る。


「何でも言えます」


 ジルーナは端的に筆談を拒絶する。その強い態度にガルーノは動揺を隠さなかった。


「肝が据わってるなお嬢ちゃん。まあそうカリカリすんな。俺はお前さんの敵じゃねえんだ」

「夫の敵なら私にとっても敵です」

「……ハハ、そうか!」


 ガルーノは何故か満足そうに笑った。何がおかしいのだと眼を眇めても、かえって笑い声が大きくなるばかりだった。


「色々聞こうと思ってたんだが……、もう分かっちまったぜ。お前さん、本気でアイツが好きなんだな?」

「そうです! 好きだから結婚したんです! 何がいけないんですか!」


 ジルーナは躊躇いなく叫ぶ。絶対に間違ったことなんてしていない。相手がマフィアのボスだって堂々と胸を張ってやる。


「アイツと似たようなことを抜かしやがる。すっかり夫婦ってわけか」


 ガルーノは強面に似合わぬ柔らかな微笑みを浮かべた。ビースティアの味方だというのは本当らしい。そんな優しさがあるなら夫にも向けてほしいものだ。


「だが、現実問題お前らの結婚のせいで事件が起こってんだ。その責任が取れるのか?」

「う……!」


 あの事件は痛ましく、そして悲惨だ。絶対にあってはならないことだった。だがヴァンとの結婚を続けている限り同様の悲劇は起こってしまうかもしれない。その事実はジルーナの心に重圧をかけていた。


 きっと夫がまた思いもよらない大胆な手立てを打つのだろうが、自分だって何かしたい。────ジルーナは腹を決めていた。手っ取り早い解決方法がある。


「私が顔と名前を明かします」

「な、何ぃ⁉︎」


 もうそれしかない。被害者はヴァンの妻だと誤解されたと聞いた。もう誰もそんな誤解を受けないようにするためには、自分の顔と名前を国中の人々の脳裏に焼き付けるのが一番だ。この結婚が気に食わないなら真っ直ぐに自分だけを狙えばいい。きっと何があってもヴァンが守ってくれる。


「待て待てお嬢ちゃん! それは危険すぎるぜ!」

「そりゃそうですよ。危険を全部私が引き受けるって話なんですから」

「いや、無茶だそりゃ……。命がいくつあっても足りねえよ」


 ガルーノは眉を八の字にして必死にジルーナの身を案じていた。だが、そんなこと構うものか。ジルーナは筆談用に用意されたメモとペンに手を伸ばす。


「あ、ちなみに私ジルーナ・スナキア・ハンゼルって名前です。綴りも教えますね」

「や、やめろ! 何してんだ!」


 ガルーノは慌ててメモを奪い取って丸める。あたりを見回してゴミ箱を発見し、即座に投げ入れた。「俺は約束は守るつもりだったんだ」とか何とかブツクサ呟いている。


「全員に教えるんだからあなたに教えるくらい何でもないです! 口で言いましょうか? J・I・L────」

「ああもう! 口を塞げ!」


 抗議を無視してスペルを最後まで叫ぶ。実際に塞がれたのは彼の猫耳の方だった。


「な、何て強え女だ……! 娘に会わせてぇくらいだぜ……」

「預かりましょうか? お腹いっぱいにしてあげますよ! 主婦ですから!」

「いやもう、落ち着いてくれよ……」


 ガルーノは心底困り果てたようでついに頭を抱えてしまった。何だか夫がこうなるのも見たことがある気がする。多分、自分のアイディアを彼に伝えたらまた目にすることになるだろう。


「チッ……そりゃアイツもお前さんが大事なわけだ」


 ガルーノは悩ましげに顔をしかめて、髪を掻き乱した。


「お前さんも自分を大事にしろ。これ以上犠牲者を出したくないってんなら他の方法を探せ」

「でも……」


 他に自分ができることなんて見つからない。するとガルーノは少し気まずそうに提案した。


「……子どもさえ居りゃいいんだ。お前さんには酷な話だがよ、他の女と作るってわけにはいかねぇか?」

「……!」


 ジルーナには後継のために他の妻を迎える覚悟はある。自分から申し出たくらいだ。だが、“ルーダス・コア”の継承条件と夫の性癖のせいで、相手はビースティアに限られる。ヴァンに後継ができる可能性は著しく低い。


 国民には事情を明かせない。言っていいのはヴァンの性癖の件までだ。


「でもあの人、ビースティアじゃなきゃ性別も分からないんですよ……」

「ど、どんだけえげつない性癖なんだよ……!」


 ガルーノは目を覆い、うんざりしたように首を横に振った。


「結局あいつを動かすしかねえのか……」

「それこそ無理だと思いますよ? 怒ったらまた競売かも……」

「……っ!」


 この国の誰もが夫に生殺与奪を握られている。文句があるならさっさとその状況を抜け出せばいいのだ。そうなれば結婚に文句を言う動機も無くなるだろうが。


「……まあ、とにかくお嬢ちゃんの意思は分かった。ツラ見せてくれてありがとな。あとは旦那と話してくる」


 ガルーノは立ち上がり、夫の待つ廊下を目指す。ジルーナはその背中に問いかけた。


「別れろとは言わないんですね?」


 てっきりそうくると思っていたのに、結局最後までその言葉は出てこなかった。


「お前さんに会うまではそう思ってた。だが……、認めたくねえがお前らいい夫婦だよ。もうそこは飲み込んでやる」


 ガルーノは吐き捨てるように言い残して退出して行った。


 ────まあ、案外良い人なのかも。ジルーナはちょっぴりだけそう思った。

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