5.スカルチュア本部


 首都アラムの繁華街。一見して近づいてはいけないと誰もが思うであろう細く薄暗い路地にヴァンは降り立った。


 道なりに進んでいくと突き当たりの先に質素な扉。そしてその前に並び立つ二人のビースティアの男性。ヴァンに向けて鋭い眼光を飛ばし、威嚇するようにトラ柄の尻尾を膨らませていた。


「ヴァン・スナキアです。ボスに呼ばれて参りました」


 ヴァンは冷静に挨拶を済ませる。すると二人は無言で懐から拳銃を取り出し、一切の躊躇なくヴァンの脳天目掛けて弾丸を放った。


「……っ」


 だがヴァンのバリアの前には無力。ミサイルに比べたら屁でもない。


「……対話を」


 しかし苛立ちはした。とんだご挨拶だ。こちらは今敵意を向けられて受け流せるほどの寛大さを持ち合わせていない。態度次第では気絶程度はしてもらうことになる。


「チッ、やっぱ効かねえか。……ついてこい」


 男は吐き捨てるように言い、扉の中に入っていった。ヴァンは深くため息をつき、男の背中を負う。侵入したビルは四方を別の建物に囲まれた異様な作りで、窓はあってもほとんど光が差していない。隠れ家としてはうってつけなのだろう。


 階段を登っていき、四階に辿り着いたところで男が一つのドアを顎で差す。先ほど電話で話したボスとやらが待ち構えているのだろう。


 ヴァンは入室する。ご大層なデスクに座っている男が切れ長の目でヴァンを睨みつけた。


「よくノコノコ現れたな」


 不機嫌そうに鼻を鳴らし、顎に生えた無精髭を撫でる。四十代ほどに見えるが老化の遅いビースティアという点を考慮するともっと上だろう。


「呼んだのはそちらですよ」


 端的な言葉を返し、ボスの正面に立つ。


「……ガルーノ・スカルチュア・ピルレイラだ。残念ながらイスはねぇ。そのまま突っ立ってろ」

「結構です。長居はしませんから。それでお話とは?」


 ガルーノはゆっくりと立ち上がり、デスクを回ってヴァンの正面にまでやってきた。二メートル近い大柄で、長身のヴァンとしては珍しく見上げる形になる。


「喰らえ……!」

「!」


 突如ガルーノはヴァンに殴りかかる。ヴァンはこの組織はそれが挨拶なのかと呆れながらバリアを展開。鈍い衝撃音。バリアはビクともしない。彼の骨の方がよほど心配だ。


「……銃でダメなら拳でと思ったんだがな」


 ガルーノは舌打ちと共に言い捨てた。まるで拳銃より自分の方が強いとでも言いたげな口ぶり。事実、バリアが受けたダメージは拳銃を凌駕していた。ビースティアの男性は高い身体能力を持っている。それに加えてこの巨躯だ。


「用がないなら早く犯人の情報を貰えませんか?」

「文句がありすぎてまとまらねえんだよ。とりあえず殴らせろ。それが条件だ」

「滅茶苦茶な……」


 ヴァンに対する怒りは相当なものらしい。スカルチュアを率いる彼にはビースティアという種を守護する者としての矜持があるらしく、種を危険に晒したヴァンと穏便な会話を繰り広げる気などないのだ。


 ヴァンはバリアを解除する。


「……どうぞ」


 犯人のヒントと引き換えと言うなら受け入れてやろう。それにヴァン自身、自分を罰したい気分だった。ヴァンはただ好きな相手と結婚しただけ。それは罪ではない。悪いのはヴァンの結婚を受け入れられないこの国の情勢だ。だが、懸命にそう言い聞かせても心に広がる暗いもやを消せない。


「どうせ分身です。死んでも支障はないのでご遠慮なく」

「ハッ! いい度胸だ」


 ガルーノは薄ら笑い、躊躇なく拳を振るう。


「オラァ!」

「……っ!」


 痛烈だった。右の頬骨が砕けた音が聞こえる。すぐに口の中に血の味が染みる。あるはずの場所に歯がない。よろけるヴァンに倒れることを許可せず、すぐさま反対側に二撃目が入る。


「が……っ!」


 重い。ガードもせずただ受けるのは危険すぎる威力。魔力だけではなく身体的にも鍛え上げたヴァンだが、種の違い、体格の違いは埋められない。


「スナキアの小僧……! お前は自分の立場を分かってんのか⁉︎」


 怒号と共に繰り出される拳が、身体のあらゆる箇所を襲う。


「お前が馬鹿げた結婚をしたせいで無関係の女が傷ついたんだぞ⁉︎ どう責任を取るつもりだ!」


 食らうたびに骨が折れ、肉が引きちぎれる。


「しかもこの後に及んで別れる気はねぇだと⁉︎ ふざけてんじゃねえ!」


 視界は血に染まり、膝が笑う。


「別れろ! 別れろ……っ!」


 壊れたレコードのようにその言葉を繰り返し、拳を振るい続ける。


 ────それでもヴァンは倒れない。真っ直ぐにガルーノの目を見て、じっと彼の怒りを受け止める。この程度の痛み、三年間の壮絶な修行期間でいくらでも体験してきた。それに、被害者の心の痛みはこんなものではなかっただろう。


「ビースティアってのはなぁ! “始祖のフィア”から生まれた神聖な種族なんだよ! ルーダスとかいうポッと出から生まれたお前らとは訳が違ぇ! お前が手を出していい相手じゃねぇんだよ!」


 好きでファクターに生まれた訳じゃない。選んでスナキア家に居る訳でもない。この苦しみと窮屈さを、誰も理解しない。


「大体お前の嫁はどう思ってんだ⁉︎ こんな結婚誰も望むはずがねえ! まさか無理矢理手込めにしてる訳じゃねえだろうな⁉︎」


 ガルーノは自分で発した言葉によって自分で怒りのボルテージを上げていく。血まみれになった拳を容赦なく振り回し続ける。


「当たり前だ……っ!」


 突如ヴァンが声を荒げると、ガルーノは目を丸くして手を止めた。


 彼女とは、愛し合って結婚したのだ。国中を騒がせることを知って尚、どうしても止まれなかったほどの愛で結ばれている。


 ヴァンは息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。


「……アンタ、苗字が二つあったな。結婚してるってことだ」

「それがどうした」

「その相手は国に決められたのか? 国のために望んでもいない結婚をしたのか? ああでもないこうでもないと世間に口を出されたか? ……違うだろ。アンタは、ただ好きな相手と結婚しただけだ。自由に、何にも縛られずに」

「……」

「俺も同じだ……! 何故俺だけが認められない! 間違っているのは俺じゃない! この国だ!」


 ヴァンは確信した。国民の怒りを身をもって浴びたことで迷いは晴れた。どうしたってその怒りにヴァンは納得できなかったのだ。やはり間違っているのはこの国の方だ。誰もが当たり前に認められている権利がヴァンにだけない。その構造こそ諸悪の根源だ。


「……チッ。これだけ殴っても目が生きてやがる。上等だぜ、小僧」


 ガルーノは整理体操のように肩を回す。彼も彼で息を切らしていた。くたびれ果てるほど殴ってもヴァンを屈服させるには至らなかった。満足したのなら話を前に進ませてもらおう。


「犯人について知っていることを教えろ……!」

「待て。その前に確認しておきてぇことがある」

「いい加減にしろ! いつまでも大人しくしてると思ったら大間違いだぞ……っ!」


 一刻も早く犯人を捕らえなければならない。こんなところで時間を取られている場合ではない。たとえ全身の骨が砕けていようともやろうと思えばこんな男一瞬で灰にできる。


「俺の組織はビースティアを守ってんだ。お前の嫁も保護対象ってことになる。……今すぐ会わせろ。望んでお前の隣にいるのか確認させてもらう」

「……!」


 ヴァンは顔に流れる血を袖で拭い、ガルーノを睨みつける。彼は不愉快な疑念を抱いていた。


「お前は国を変えようとしていたな。ビースティアとの結婚はそれを一気に進めるための手口だって見方がある。『後継は作らねえからさっさと変われ』ってな。お前はその嫁とやらを脅して無理矢理巻き込んだんじゃねえか?」


 ヴァンの意図は国民に伝わっていた。事実と異なるのは、ジルーナの意思を無視したという点だ。二人は望んで夫婦になった。それは間違いない。


 証明してやろう。思い上がりでも勘違いでも何でもなく、彼女はヴァン・スナキアを愛しているはずだ。ただ、


「……妻に危害を加えたら殺すぞ。国ごとな」

「ビースティアを守りたいって点では一致してんだろ? そこは安心しろ」


 種のためならば世界最強の魔導師ですら躊躇なくタコ殴りできる男だ。ジルーナへの害意は皆無だと信じていいだろう。だが、ジルーナがヴァンの妻として誰かに会うのはリスクが大きい。


「名前は聞くな」


 そこが精一杯の妥協点だ。


「……いいだろう」

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