3.二人のデートは難しい

 ***


「♪ヴァンとお出かけだ〜」


 ジルーナは小唄を口ずさむ。指を絡めて繋いだ手を大きく降り、歌の拍子に合わせたステップのような足取りでズンズン進んでいく。ひらひらと揺れるロングスカートはきっちり尻尾を出せるデザインの夫大歓喜アイテムだ。


「ジル……それ可愛すぎるからほどほどにしてくれ……! おかしくなりそうだ……!」

「♪やめないよ〜」


 ヴァンの懇願を無視して即興オリジナルソングを歌い続ける。歌詞を思いつかないときは口笛で間奏まで奏でる。ド派手なオープニングセレモニーを経て彼女はご機嫌だった。


 二人が歩いているのは海外の小さな街。ここからは一旦普通のデートだ。テレポート移動は味気ないのでレストランまでの道をのんびり散策する。何の変哲もないただの田舎道なのだろうが、二人にとっては特別な思い出になりそうだった。なんせこうして二人で外を歩くのは子どもの頃以来だ。


 ヴァンは止むなく「気を確かに」と念じながら彼女の横顔を見届ける。いつもは垂らしている髪は編み込んでアップにし、家では付けない口紅と相まって大人っぽい容貌だった。ふわっと広がるまつ毛が愛らしくて、小さくなる魔法でもあったらハンモックにして寝そべりたいとすら思う。入籍して約一ヶ月、ヴァンはすでにキモいくらいの愛妻家に成り果てていた。


「ジル、せめて周りに俺の名前が聞こえないようにな……!」

「♪気をつけてるよ〜」


 一方ヴァンは正体がバレないようにマスクとサングラスと帽子で徹底的に顔を隠していた。ここまでやれば外国人にはヴァンだと見抜かれないし、幸い人通り自体が少ない。この国にもヴァンの妻を守る法律を作ってもらったが、お世話になる必要はなさそうだった。


「あ、ヴァン。お店の中ではどうするの? そのままじゃご飯食べられないでしょ?」


 疑問が浮かんだことで彼女の歌はようやく終わった。


「貸切にしてるし、お店の人には話を通してあるよ」

「ご、ごめんね。お手間がかかるね……」

「いいんだよ。やりたくてやってるんだ」


 二人はこれから初めて夫婦として人前に姿を晒す。彼女への説明は伏せたが、店にはきっちり口止め料も支払い済みだ。彼女と楽しい時間を過ごすためなら金に糸目をつけるつもりはなかった。


「お店の人ヴァンが来て驚いてなかった?」

「そりゃあもうひっくり返る勢いで驚いてたよ」

「ついこの前お騒がせしたばっかだもんねぇ……」


 競売事件で世界中を混乱の渦に巻き込んだヴァン・スナキアがひょっこり客として現れるなど店主は予想だにしていなかっただろう。ただでさえヴァンは最強の魔導師として世界に恐れられているし、外国人からしたらミサイルを千発以上撃ち込んでも倒せなかったバケモノだ。


「ご、ご迷惑じゃないかな……? 私たち嫌われてる?」

「驚いてはいたけどかなり感じは良かったよ。最高の料理を出してくれるってさ」

「そっか。優しい人で良かった」

「まあ……海外の人にとっては俺とビースティアの結婚は大歓迎だからな」


 世界の暴君たるウィルクトリアの要・スナキア家の血筋が途絶えそうだなんて彼らにとっては小躍りして喜ぶ案件だ。ヴァンがゆめゆめ離婚などせぬよう特上のデートスポットをご提供してくれるだろう。国内では異常性癖の変態に成り下がったヴァンもその妻であるジルーナも、もはや海外の方が居心地が良いかもしれない。


「さ、ついたぞ」


 いよいよ店の前に到着する。古い民家のような気取らない建物が蔦で包まれており、雰囲気の良い隠れ家レストランといった出立ちである。ヴァンが世界中の雑誌を読み漁って探し当てた名店だ。


「あ、ちょっと待って。言葉って通じるの?」

「ああ。どの国もウィルクトリア語教育を受けることになってるからな」

「うー……。ウチの国のイヤなとこが役に立っちゃったよ」


 母国が世界中にウィルクトリア語の習得を義務付けているおかげでどこに行っても苦労はしない。店主は流暢だったし、店の入り口にもウィルクトリア語で「本日貸切」という看板がかけられていた。


 ヴァンが扉を開けて中の様子を伺うと、待ち構えていた店主がひっくり返った声で告げる。


「い、いらっしゃいませ! おおおお待ちしておりました……っ!」


 緊張のあまりボリュームの調整もできなくなっているようで、小洒落た内装に似つかわしくない叫び声になってしまっていた。ヴァンとジルーナは揃って「何だか申し訳ない……」と眉を歪ませながら入店した。そのせいでヴァンが不機嫌だと思ってしまったのか、店主の声は震えていく。


「お、お席にご案内いたたたしますぅ……!」


 少しばかりの会話を、なんて余裕は一才ないようで、店主は手と足を揃えながら二人を先導していく。予約していた個室に到着すると彼は椅子をガタンガタンとぶつけながら引き、もはや声も出ないのかジェスチャーで誘った。二人も何も言えないまま着席すると、店主は飲み物を尋ねるのも忘れて走って逃げて行った。


「やっぱご迷惑だったね……!」


 ジルーナは彼が去っていった方角に首を向けながら確信したように呟いた。


「あー、ごめんな。俺のせいだ。下見に来たとき魔法を見せちゃったから怖がられてな」


 ファクターはウィルクトリアにしかおらず、外国人は魔法に免疫がない。得体の知れない恐ろしい力というイメージを持たれている。


「な、なんでわざわざ見せたのさ」

「しょうがなかったんだ。一応、俺に毒を盛っても効かないアピールはしておかないといけなくてな」

「ヴァンって毒効かないの?」

「いや、効く。だから分身を見せて『片方が毒で倒れてももう片方はピンピンしてる』って……」


 海外での食事に少し恐怖心があるのはヴァンも同じだった。もし毒殺されようものなら全国民が死んでしまうことになる。最低限の警戒はどうしても必要だったのだ。


「あ、分身といえば……」


 ヴァンはあることを思い出し、分身を生み出す。


「ちょ、ちょっとヴァン。言ってるそばから……」

「大丈夫、すぐどっか行くから」


 着席している方のヴァン、通称ヴァン[デート]は弁明する。二人のヴァンは同時にポケットから携帯電話を取り出した。


「この店内電波が入らないんだ。一応国に何かあったときのために緊急連絡待ちの俺が必要なんだよ」


 ヴァン[デート]はヴァン[緊急用]を指さす。ヴァン[緊急用]は思いっきり機嫌が悪そうに顔を顰めて声を荒げる。


「せいぜい楽しめよ……!」


 ヴァン[緊急用]は自分を差し置いてデートを堪能できるヴァン[デート]を憎々しげな目で睨みつける。どうせあとで合流してデートの記憶も共有されるのだが、どうせならリアルタイムで体験する側に回りたいのは当然の感情だった。


「じ、自分同士で喧嘩しないの。でもヴァン、大変だねいっつも」


 普段からヴァンは緊急事態に備えて待機している。軍に専用の部屋があり、分身を使って一人で四交代制を実現させて二十四時間警戒を続けているのだ。旅行中は軍の者に連絡役を担ってもらっているが、常に携帯を意識しておかなければならないのは変わらない。クジラを探しているときも砂漠でキスをしたときもそれを体験できずに寂しく携帯を握りしめていたヴァンが居たのだ。


「慣れたもんだよ。それに、ほら、分身で携帯も増やせるようになったんだ。普段は常に何百人に分かれてるし、誰かが気付けばいいと思うとそんなに気は張らなくて済む」


「分身って持ち物までコピーできるんだ?」

「修行して体の一部だと認識できるようになればな。そうじゃなきゃ全員すっ裸だよ」

「そ、そっか服も……! それは危ないね……!」


 ただでさえ異常性癖の変態なのに数万人がかりで全裸を披露すれば国民からの評価はさらに凄惨になるだろう。とはいえ分身はヴァンの最も得意な魔法なのでそんなミスはしない。


「あ、充電微妙だな」


 しかし別のミスはしていた。電池が残り半分を切っている。一般的にはまだ余裕のある状態だろうが、国の命運がかかっているとなると話が変わる。


「家に帰って充電しといてくれよ」


 ヴァン[デート]がヴァン[緊急用]に命じると、彼はより一層顔を怒りに染めてテレポートでその場を退散していった。せっかくの旅行中なのに帰宅するとは、きっと一気に現実に引き戻される感覚になるだろう。とはいえ、こちらに残ったヴァンも後々自宅待機させられていた侘しい記憶と感情を得るのだからおあいこと言っていい。


「なんか可哀想だね……。あっちのヴァンに優しくしてあげたいよ」

「それだと今度はこっちの俺が嫉妬していよいよ殴り合うぞ」


 ヴァンが目線で抗議すると、ジルーナは額に手を当てて大きなため息をついた。


「なんかヴァンって、バカみたいに私のこと好きだよね」

「わ、悪いか」

「ううん。おっきい犬みたいで可愛いよ」


 犬扱いされて咄嗟に浮かんだのは反抗心ではなく「あとでお手してもらおう」だった。確かにバカだ。ヴァンは気を取り直してメニューを手に取る。


「さあ、何頼むか考えよう。基本はコースだけど、いくつか選んでもらう部分があるから」

「……えへへ、なんかこういうの楽しいね。ヴァンと外食なんて初めてだもん」

「そうだな。……まだ始まったばっかなのに何だけど、旅行が終わってもデートしような」

「うん! 仲良し夫婦だね」


 ジルーナは夫婦というまだ身に染みない言葉に少し照れ臭くなったのか、メニューで目から下を覆い隠した。


「幸せだなぁ私……」


 ポツリと呟かれた言葉がいつまでもヴァンの耳に残っていた。



 二人は一ヶ月をかけて新婚旅行を満喫した。時には有名な観光名所を見物したり、時にはヴァンの魔法でしか辿り着けない場所で絶景を楽しんだり。移動時間のない旅は濃密で、一日で十を超える国に訪れることもあった。ジルーナが隣に居れば目に映る全てが新鮮で、愛おしくなる。いつまでも続けばなと思いつつも、疲れが溜まって別荘でだらっとするだけの日も挟んで、ゆるゆると世界を堪能していった。


 ────母国に起きていた異変に気づかずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る