2.最強魔導師ならではの
***
「さあ、オープニングセレモニーだ!」
ヴァンが意気揚々と告げると、ジルーナはヴァンの腕に掴まりながら怯えるように目を泳がせる。
「ど、どこなのここ……⁉︎」
見渡す限り海。三百六十度どこを探しても島や大陸の姿はなく、ついでに空には雲もない。海上の上空五十メートル地点に浮遊し、半球上のバリアの中に二人は並び立っている。太陽は高く、海面で照り返す光が眩しい。
「どこって言えばいいのか……。まあ、とにかく遠くの海だよ」
「あ、ありゃ……一瞬でそんなとこまで……」
二人の記念すべき新婚旅行。最初はド派手なイベントを用意したかった。わざわざこんな場所まですっ飛んで来たのは、彼女の子どもの頃からの夢を叶えるためだ。
「ジル、この辺りにはクジラがいるんだ」
「え⁉︎」
大っきいクジラを見たい。────二人で作った旅行の計画ノートに彼女が書いた一文だ。多分、水族館に行きたいくらいの気持ちだったのだろうが、その程度で済ませる気はない。大海原を優雅に泳ぐクジラを間近で見せてあげるのだ。
「じゃ、探してくるよ。分身使えばすぐだ」
「は、はえ〜……」
曖昧に口を開いて惚ける彼女をよそに、ヴァンは着々と準備を開始する。万単位に分かれる大規模分身。各自バリアを張って水中に潜っていく。酸素はバリア内部に充分溜め込んであり、どんな水圧を受けても割れない耐久性もある。およそ百メートル間隔で分散し、魔法で海中を照らしながらクジラを捜索する。
「おお、結構見つかるな。できるだけ大きいのを選ぶよ」
ジルーナの隣に残った分身は捜索班から交信魔法で随時情報を得る。一度に見渡せる範囲は五十キロ四方にも及び、テレポートで一斉に大移動して網を貼り直せばすぐに別のエリアも探索できる。あっという間に複数の個体を発見した。その中でも一番大きいと思われるクジラに目当てを付け、ジルーナを連れてその真上までテレポートする。
「ジル、あそこ」
「本当だ! 居るよ!」
ジルーナは海を見下ろして歓喜の声を漏らす。海面付近をゆったりと泳ぐ巨大クジラを見て目を輝かせていた。ヴァンの腰に両腕を回し、ぎゅっと力を強める。
「すっごいねヴァン! 夢が叶っちゃったよ!」
「ハハ、まだまだこれからだよ。隣を泳ごうか」
「え?」
ヴァンはゆっくりと降下していく。
「わっ! 潜るの⁉︎」
「バリアの中なら安全だよ」
そうは言っても不安だろうと思い、ヴァンは彼女を正面に立たせて後ろから抱きしめた。彼女がヴァンの腕に掴まると同時に二人は海中に突入する。バリアを包む泡が徐々に海面に浮上していき、やがて二人の視界はクリアになっていった。クジラは巨体をゆっくりとうねらせて雄大に泳いでいた。二人は手を伸ばせばその側面に届きそうな距離で並走する。
「わー! 本当に大っきいよヴァン! どれくらいかな?」
ジルーナは思いのほか怖がっておらず、ヴァンの腕の中から離れてトタトタとバリアの際まで走っていった。さすが国中を敵に回してでもヴァンと結婚した女性、度胸は満点である。
「どうかな。家の階段上がって右側の廊下の長さくらいじゃないか」
「えー! あんなに⁉︎」
一般的な単位を使うと二十メートルといったところか。多分この種のクジラの中でもかなり大きい方の個体だろう。開始早々運に恵まれた素晴らしい新婚旅行だと、ヴァンはしみじみ首を縦に振る。
ジルーナはくるりと踵を返し、先生に進言するかのように挙手をする。
「ヴァン! 私はこの子のお顔が見たいです!」
「分かった」
ヴァンはご要望通りクジラの正面にテレポートする。何でも飲み込んでしまいそうな大きな口と、巨体に比べると小さな目が視界に入る。
「こっち見てる……のかな? こんなの見たことないだろうね」
「ハハ、だな」
あちら視点で見ると異様な光景なのだろうが、クジラはそんなことも気にせずのんびりと泳ぎ続けていた。ジルーナは手を振ったり「おーい」と呼びかけたりとコミュニケーションを試みる。反応が得られずちょっと残念そうだったが、それでも嬉しそうに口元を緩ませていた。
ふと、クジラが口を開き始める。
「お〜、ご飯かな?」
サービス精神旺盛なクジラは食事シーンまで見せてくれるらしい。ふと、ヴァンはさらなるエンタメを思いつく。
「俺たちも食べられてみるか」
「え? えぇ⁉︎」
ヴァンは前進し、大きく開かれた口の中に突入していく。ジルーナもさすがにこれは怖くなったのか慌ててヴァンの元に帰ってきて抱きついた。
「きゃあああ!」
悲鳴のような声が放たれるが、まるで絶叫マシーンに乗っているかのような楽しそうなものだった。やがて完全に口内に入ると、クジラはゆっくりと口を閉じていく。
「本当に食べられちゃった! なんか昔読んだ絵本みたいだよ……!」
ヴァンが魔法で照らすと口の中がよく見えた。喉も、舌も、クジラヒゲと呼ばれる歯のような器官も、すぐ手が届きそうな距離にある。こんな景色水族館ではとても味わえない。
「ヴァンじゃなきゃできないね、こんなこと!」
「スナキア家に生まれて良かったよ」
「え? ハハっ! 良いセリフ聞いちゃった」
ヴァンに重責を味わわせ、世界に恐れられるだけだったスナキア家の力が今やジルーナを喜ばせている。その事実が嬉しくてヴァンも爽快な気分だった。
長居するとクジラを傷つけてしまいそうなので、そろそろお暇することにした。テレポートで脱出し再びクジラの正面にやってくる。のんびり屋のクジラもさすがに「何なんだこいつさっきから」と戸惑ったのか、進行方向を変えた。せっかくなら後ろ姿も見ておこうと、ヴァンはあえてその場に止まる。静々と上下する尾びれが水をかき、そのたびに泡を纏っていた。
「ありがと、ヴァン……。すっごく嬉しい……!」
「なによりだ」
ジルーナは胸に手を当て、ご満悦の証に尻尾を大きくゆったりと揺らしている。眉毛を上げ、上目遣いでヴァンの顔を覗き込んだ。
「あのね、私はちゅーがしたい気分です」
「良いセリフを聞いた……!」
ヴァンは途端に目の色を変え、移動先を考える。感極まってバリアが解けてしまったら大変だ。もう少し安全で、それでいて特別な景色で、ロマンティックな気分になれる場所を探す。
「……せっかくなら真逆の場所に行くか」
「え?」
小首を傾げるジルーナを連れて、ヴァンはテレポートする。
────次の瞬間視界に広がるのはどこまでも続いていそうな砂漠と、澄んだ空を埋め尽くすような満天の星空。夜だというのに星あかりに照らされた世界はぼうっと明るく、滑らかな砂の丘は光が当たる部分と当たらない部分で明暗がくっきりと分かれコントラストが美しい。
ジルーナは突然居場所が変わったことに驚く余裕すらないほどに、その絶景に魅了されていた。
「綺麗……。絵みたいだね……」
空を見上げる彼女に倣い、ヴァンも首を上に向ける。自分の鼓動や相手の息遣いすら聞こえてきそうなほど静謐さに包まれた砂漠。まるで世界を二人占めしているような感覚だった。
「降ってきそうな星空ってこれのことを言うんだね……」
「一つキャッチして庭に飾ろうか」
「ハハ、何でもありだねヴァンは」
ヴァンは少し驚いて彼女の顔を覗く。彼女の声が涙声に聞こえたのだ。するとやはり彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「な、なんか、感動しちゃった。……もう、せっかくお化粧したのに」
ジルーナは照れ笑いを見せながら、慌てて小ぶりなハンドバッグからハンカチを取り出そうとする。ヴァンは構わずジルーナの腰に腕を回し、彼女の手を止めた。ジルーナはヴァンの顔を見上げて目で「え?」と訴える。
「こっちが先だろ?」
ヴァンは優しく微笑んで、唇を合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます