3.運命の出会い
***
ヴァンは父の病室を後にする。廊下には使用人のリネルが退屈そうに佇んでいた。
「お、ヴァン様。終わりましたか?」
「ええ。少しお休みになるそうです」
「そうですか……。じゃあ寝付くまで俺も外しておくかな……」
リネルは考えを巡らせるように目線を天井に向け、顎に生えた無精髭を撫でた。
「そうだ、ヴァン様。ちょっとお話が」
用事を思いついたようで、ヴァンの答えを待たずに廊下を歩き出した。ヴァンは黙って彼に連れ添う。
「ラフラスの病状が悪化して他の使用人は全員休職させたでしょう?」
このスナキア邸には元々は数十人規模の使用人がおり、その内の多くは敷地内の使用人邸に住み込みで働いていた。しかし国防の要であるラフラスが戦えそうもない状態であることは使用人相手とはいえ知られるのは避けたかった。最も信頼の置けるリネルだけを残し、立ち退いてもらっている。
「リネルさんたった一人に全部お任せしてしまって申し訳ありません」
「いや、いいんですよ。こちらこそヴァン様にも働いて頂いて……」
リネルは困ったように後頭部をかいた。ヴァンとしては遠慮なく自分を使ってくれたらと思うのだが、ヴァンはまだ十二歳の子どもとして扱われていた。それがどうしようもなく歯痒かった。
「俺はね、娘がいるもんで通いだったんですよ。ただこの状況だとこっちに居た方が色々スムーズでしてね。今日から俺と娘もここに住まわせてもらうことになりました」
「そうなんですか。引っ越しは大変ですよね。僕がテレポートで荷物を運びましょうか?」
「い、いや大丈夫です。もう終わりましたから」
リネルは苦笑いした。先に言ってくれればよかったのにと、ヴァンはむずかる。しかし彼はきっとヴァンに手伝いをさせないためにあえて黙っていたのだろう。
「っつーわけで、ヴァン様にも娘を紹介しておきたいんです。俺の部屋に来てもらえますか?」
「分かりました」
リネルは満足そうに頷いて、ヴァンを先行して廊下を進んでいく。目指すはこのスナキア家本宅の隣に立つ使用人邸だ。国一番の有力者が暮らす大抵宅とあって、そこそこの距離がある。リネルは間を繋ぐように雑談を始めた。
「ラフラスとは『お互いの子供が結婚したら面白い』なんて話したこともあるんですけどね。ただ俺の死んだ女房はビースティアだったもんで……」
ビースティア。ファクターであるヴァンにとって異種族である。どちらも人類の括りには入るが、ファクターとビースティアとの間には子どもができない。絶対に後継が必要なヴァンは決して結ばれてはいけない存在である。
「あ、すいませんね。親同士が勝手に盛り上がってこんな話を」
「ハハ、いえ」
使用人が、子ども相手に、披露して良い話ではなかったような気がするが、ヴァンは思わず笑ってしまった。リネルは気さくで、態度や口調は多少雑だ。しかし奥底に敬意と礼節があり、人との距離を詰めるのが上手だった。ヴァンは彼をもう一人の父のように感じていた。事実、ヴァンの名付け親は彼だったと聞いている。
二人は使用人邸に到着し、さらに内部を進む。ヴァンは久しぶりにここに入った。随分と古くなっていて驚いてしまった。父にはこちらの状況を気にかける余裕などないのだ。それならば自分がなんとかしなければならなかったのにと反省し、ヴァンは下唇を噛む。
「ジル。ヴァン様だ」
リネルは一室のドアを開け、いきなり娘に告げる。
「えぇ⁉︎ パパ! 急にそんな……!」
リネルの娘は大慌てで立ち上がり、顔を真っ赤にしながらスカートのシワを払った。続いて長い髪を撫でつけて、少しでも身だしなみを整える。リネルはそんな彼女を見てただただ笑っていた。
「さっき大ボスには会わせただろ? もう中ボスは怖くない」
「パパ! 失礼なこと言わないで!」
娘は恐縮しきりで、チクチクと父の振る舞いを咎めた。スナキア家はこの国の王様のような存在であり、おそらく彼女のような反応が一般的なはずだ。彼女はビースティアの特徴である猫耳の先をしゅんと垂れさせ、尻尾を緊張でピンと伸ばしていた。
「ほら、自己紹介しな」
リネルが娘の抗議を無視して背中を叩くと、
「じ、ジルーナ・ハンゼルと申します。 よろしくお願いします……」
ジルーナはまだ動揺しながらも深々と頭を下げる。
「ヴァン様、どうか良くしてやってください。確かヴァン様とは同い年なんで、気さくにジルとでも呼んでやってくれると」
ヴァンも彼女に倣い、首を垂れる。
「お父様には日頃からお世話になっております」
「こ、こちらこそ。父がいつもご迷惑をおかけしまして……」
子ども同士とは思えないキチンとした挨拶に、リネルは独り言のように漏らす。
「ふ、二人とも堅物だな。……お似合いではあるかもしれん」
ジルーナがリネルの腕を引っ叩いた。一才手加減のないその猫パンチに、ヴァンは吹き出してしまった。
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