2.託された想い

 ***


「父上、失礼します」


 ヴァンはお茶の入ったボトルを片手に、父の部屋に入室した。父・ラフラスはヴァンの声に反応し、寝台の上でゆっくりと体をねじってヴァンの顔を覗き込んだ。


「ヴァン。どうした?」

「今日のお加減はいかがですか? お茶を冷やしておいたので良かったら」

「ありがとう。……今日はマシな方だ」


 ラフラスは努めて明るい声を出そうとしていたが、その実指を一本動かすことすら辛そうだった。顔色は青白く、頬はこけ、生気を感じられない。スナキア家現当主である父は大病を患い、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。


 ヴァンはベッドに近づき、サイドテーブルにお茶を置く。続いて戸棚からコップを取り出そうとすると、室内に居たもう一人の人物に手を押さえられた。


「あー、ヴァン様? そういうことは俺がやりますから」


 スナキア家使用人頭のリネルがバツの悪そうな顔で進言した。


「いえ。リネルさんはお忙しいでしょうから。息子の僕にも働かせてください」

「しっかりしてるなぁ、ヴァン様は……」


 ヴァンの意思が固いと見たらしいリネルは渋々手を引いた。ヴァンはコップにお茶を注ぎ、父に差し出す。ラフラスは重そうに上体を起こし、礼を告げ一口飲み込む。そしてリネルに責めるような目を向けた。


「リネル、子ども相手だぞ。『様』なんて付けなくていい」

「いや、そうもいかねえだろ。お前の子どもだぞ?」

「そ、そう思うなら主人を『お前』と呼ぶな……」


 リネルは使用人でありながら父の無二の親友でもあった。病床に伏した父を支えてくれている。二人の信頼感溢れるやり取りに、思わずヴァンの頬も緩む。


「ラフラス、お前こそ息子に『父上』なんて呼ばせるのはどうなんだ? いくら天下のスナキア家とはいえ、親子の関係はもっとゆるくていいんじゃねえか?」

「あ、いや……。私もどうかと思ったんだがな。ヴァンがそう呼びたいと……」


 ラフラスがヴァンの顔色を伺うと、ヴァンはええその通りですとばかりに大きく頷いた。尊敬している父にはそれ相応の呼び方が相応しいと考えていた。


「そうだ、ヴァン。窓から見ていたぞ。ドレイク君と訓練していたな?」


 ラフラスは窓の外を見やる。そして目を見開いた。


「……あれ? まだやってるぞ?」


 庭では依然としてヴァンとドレイクが戦っていた。


「分身魔法です。僕は二人に分かれて訓練と家事を平行してやっています」

「じゃ、じゃあ何か? 半分の魔力でドレイク君を倒したっていうのか? 彼は軍に入ってたった一年で少尉に抜擢された逸材だっていうのに」


 ラフラスは高揚感を抑えきれないとばかりに深く息を漏らした。ドレイクは並みの魔導師ではない。しかしヴァンはそんな彼を遥かに凌ぐ才能の持ち主だった。


「まだまだ父上には及びません。父上は数百人にでも分身できると伺いました。僕はせいぜい二十人が限界です……」

「子どもがそれだけできれば充分過ぎるよ。……うん、ちょうど良い頃合いだな。ヴァン、お前に大事な話をしよう。リネルは悪いが席を外してくれ」


 リネルは言われるがまま二人に背を向けた。


「はいよ。何かあったら呼べよ」


 ドアが閉まるのを確認し、ラフラスはヴァンの瞳を見据えた。その真剣な表情に、自然とヴァンの背筋が伸びる。


「ヴァン。このスナキア家は魔導師の種族・ファクターの本家本元だ。魔力の強さは他のファクターの比ではない。中でも当主の力は群を抜いている。それは何故だ?」


 ラフラスはあえてヴァンに投げかけた。ヴァンはハキハキと慣れた口調で回答を述べる。


「初代当主でありますルーダス様の力を継承しているからです」

「そうだ。ファクターの始祖であるルーダス様は膨大な魔力を有していた。その魔力を凝縮したエネルギー源・”ルーダス・コア”を歴代当主が継承している。今は私の中にあり、いずれお前が受け継ぐものだ」

「はい……!」

「コアは所有者の力を掛け算のように増幅させる。お前が持てばきっと数百どころか数千人にでも分身できるようになるだろう。それだけの才能がお前にはある」


 ラフラスは誇らしそうにヴァンの頭を撫でた。ヴァンは少し気恥ずかしくて、それでも払いのけることもできず、甘んじて父の手の感触を受け入れていた。


 ────ヴァンは疑問を抱いた。大事な話という割には、小さな頃から何度も聞かされた話ばかりだったのだ。しかし、本題はここからだった。


「ヴァン。はっきり言う。私はもう長くない。今後のことを話しておこう」

「……!」


 父の病状が芳しくないことは一目見れば分かる。ヴァンは遠からず当主の座を受け継ぐことになるのだろう。


「歴代当主はその力で国防の大半を担ってきた。……敵の多いこの国を軍だけで守り切るのは不可能だ。全国民の命はお前にかかっていると思え」

「はい」


 コアの保持者はいかなる魔法も兵器も通用しない無敵の魔導師だ。国にとって最強の盾であり最強の矛。そしてこの国を取り巻く状況は決して平穏とは言えず、いつでも戦争が始まりかねない。ヴァンは幼くして一国の平和を担う守護者となる。だからこそヴァンは焦っていた。国民を、そして父を安心させるために、もっと強くなれねばと。


「そしてお前はコアを受け継ぐ跡取りを残さなければならない。スナキア家の滅亡はこの国の滅亡だ。今日はコアの継承条件について話しておく」

「確か……コアを継承できるのはコアを持った人間の実子だけだと伺いましたが……」

「ああ。それが第一の条件。実はもう一つの条件がある」


 ラフラスが優しく微笑む。スナキア家当主の顔ではなく、父親の顔といった雰囲気だった。


「それは、愛する人との子どもであること」

「愛する人……?」

「そうだ。お前が心から愛する人との子どもしかお前の後継になることができない。国はお前を優秀なファクターと結婚させようとしてくるだろうが、気にせず愛を貫け。それこそがこの国のためになるし、お前も幸せになれるだろう。私もそうだった」


 ヴァンは母親を写真でしか知らない。自分を産むと同時に亡くなってしまったからだ。しかし父の柔らかい声音を聞くに、互いに深く愛し合う理想的な夫婦だったことは察せられた。自分にもいつかそんな相手が見つかればとヴァンは思う。


「このことは誰にも話してはいけないよ。それがスナキア家当主の掟だ」

「……なぜですか?」

「実は、それは私にも分からない。ルーダス様から伝わる言いつけだ。あ、だが、いつかお前の子どもには伝えるんだぞ?」

「分かりました」

「……いい子だ」


 ラフラスは満足そうに微笑を浮かべた。そしてヴァンをからかうように尋ねる。


「ヴァン、好きな子はいるのか?」

「いません。未熟な僕にはまだ女性を愛する資格がありません」

「お、お前は本当に堅いな……」


 ヴァンが「何か間違ったことを言いましたか?」と言いたげに口を尖らせていると、ラフラスは困ったように眉尻を下げた。


「お前が真面目で勤勉なのは助かる。でもな、お前が肩の力を抜けるような相手に巡り会えればと、私は願っているよ」


 ラフラスは瞳はどこか寂しげだった。まるで「自分はその相手の姿を見ることはないのだろう」という諦念が込められているようで、ヴァンは思わず目を逸らした。

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