3.ヴァンのレッスン

 ***


「先生っ! それではレッスンをお願いしますっ!」


 第六夫人・ヒューネットの部屋。ヒューネットはテーブルにつき、ノートとペンをしっかりと用意していた。「絶対合格」とでも書かれたハチマキがあればよく似合ったことだろう。


「ヒューは何にも分かんないからキソのキソから教えてくださいっ!」


 生徒から溢れ出る熱気にヴァンの口元が緩む。夫が頑張っていることを知りたいというその気持ちが嬉しくてたまらなかった。ヴァンは思わず袖を捲った。


「よし、じゃあ本当に基本的なとこから説明するぞ」

「はいっ!」


 ヒューネットはペンを構え、猫耳を立ててヴァンの言葉を待ち構える。


「まずは俺のスタンスからだ。俺はこの国をスナキア家無しでも成立する国にしたい。たった一人に全部任せっきりなのは危ないし、俺は結婚相手に文句を言われる。もうこんなのは止めにしたい」

「はいっ! ヒューはとっても賛成ですっ!」


 スナキア家当主に外交・国防・経済を全て委ねる国家体制。ヴァンに後継が望めないのなら国の方を変えなければ。しかしその事実を明かせば戦争になってしまうため、伏せたまま改革を押し進めることになる。


「まず変えなければいけないのは経済だ。この国はスナキア家がいるからと調子に乗って他国からお金を奪って生活してる。これ以上他国民に迷惑をかけたくないというのが俺の考えだ」

「先生っ! ヒューはそれ、とっても偉いと思いますっ!」

「ありがとうっ!」


 まるでコントでも演じているかのような空気に、二人は揃って吹き出した。気を取り直してレッスン再開だ。


「ただ、今すぐ搾取をやめてしまうと働いていないウィルクトリア人がみんな死んでしまう。となるとまずは国民が自力で生活できるような環境を作ってあげるところから始めるのが良い」


 ヒューネットは返事をしなくなった。ノート取りに集中し始めたらしい。


「ここまでが俺の意見だ。次は国民が経済と軍事についてどう考えているかを説明しよう」


 ヴァンは指を三本立てる。


「この国の国会議員は九十九人。大半は三つの政党のどれかに属している。どれも細かい政策に違いはないんだが、スナキア家の運用については大きく意見が割れているんだ」

「う、運用って……っ。ヴァンは道具じゃないのにっ!」

「ああ、ヒュー……ありがとう……! そう言ってくれるのは妻だけだ……!」


 ヴァンはその影響力ゆえに国会で議論の的になっている。一夫多妻を認めたのも国会が出した決定だ。ヴァンは一応国会の決定には従うことになっているし、余程不都合がなければ民主主義に準じるつもりでいる。結婚相手を制限しようとしてきたら即座に国外移住するとだけ伝えてある。


「まず一番人気の政党が安穏党。アシュノット総理が居るところだ」

「あのいっつも笑顔だけど本当は悪そうなおじいちゃんっ?」

「良い勘してるぞヒュー! ちなみにあの人はたまに脇が臭い!」

「そ、それは別にっ……」

「大事なことだからメモするんだ!」


 ヴァンに命じられ、ヒューネットは渋々メモを取る。ヴァンとしてはぜひ赤字で書いてほしいところだ。


「安穏党……。分かりやすく名前を付け直すなら、『このまま党』だ」

「このまま?」

「彼らは他国からの搾取を続けるつもりだ。反撃を警戒して軍拡はしつつも、こちらから攻め入る気はない。あくまで生かして搾り取ろうという立場だ」

「や、やな感じ……っ」

「だが国民には響いてる。『このまま党』に票を入れておけば、国民は働かなくていいし戦わなくていいんだ」

「それは……美味しいんだろうね……っ」


 この考えが現在の国民の主流派になっている。ウィルクトリアは依然としてスナキア家依存を選択しているのだ。


「ただ、流れは変わり始めてるんだ。元々国会の八割を占めていた『このまま党』は今や四割ちょっと。もう自分たちだけでは過半数を取れないんだ」


 ヴァンは三本立てていた指のうち一本を折る。


「俺が子どもの頃にあった『終末の雨』という軍事攻撃を受けてから、国民が二つの党に流れ始めた」

「あ、ヴァンが守ってくれたやつだよねっ! ヒューは小さかったからあんまり覚えてないけどっ!」


 ヴァンの父が暗殺され、この国は一度世界からの集中砲火を浴びている。スナキア家の魔力の源であるルーダス・コアを継承したヴァンが守らなければこの国はあのとき滅ぼされていた。


「一つが愛国党。仮に『仕返し党』としておこうか。ここはあの戦争の復讐をしたがってるんだ。いつでも戦争を仕掛けようとしてるし軍拡を主張してる。危険な勢力だ」

「こ、怖いじゃんっ」


 万が一ルーダス・コアの継承条件がバレてヴァンには跡取りができないと知られてしまえば、この勢力の暴走に注意を払わねばならない。他国に滅ぼされる前に滅ぼしてしまえと無謀な最終戦争を始めかねない。


「ただ、『仕返し党』の人たちは案外俺には優しい。他国を全部滅ぼすという条件付きで俺の今の結婚を認める方針だ」

「うぅ……そんなので認められるのはヒュー嫌だよっ!」

「本当にな」


 大手を振るって堂々と夫婦ですと言えるような世の中になってほしい。しかし、そのために他国民全ての命が犠牲となるなら話は変わる。


「まあ、俺が戦争に反対の立場を取っていれば心配ないよ。俺の力なしで世界を相手にするのは無理だと彼らも分かってるからな。まだどうにかして俺に取り入ろうとしてる段階だ。この前カニを送ってくれたのはここの党首だ」

「あ、カニのおじさんのとこかっ! あれ美味しかったねっ!」


 様々な思惑が絡み合い、ヴァンとは複雑な関係だった。


「そしてもう一つの党が革新党だ。ここは『変わろう党』としておこうか。あの戦争を受けて、もう攻撃されないように経済的に自立しようと訴えている」


「あ、じゃあヴァンの味方だねっ!」


「それが、そうとも言い難いんだ。ここは『攻撃されないなら軍にお金を使うのはもったいない』とも考えてる。国防はスナキア家さえ居ればいいという方針だ。だから後継作れと一番うるさいのはここだ。軍事に関しては他の二つの軍拡主義の方が俺にはありがたい」


「うー……っ。なんかややこしくなってきたよっ……」


 各党、ヴァンと考えが合致している部分もあれば真っ向からぶつかる点もある。さらにややこしいことに────、


「どの党も単独では過半数を持っていない。今は経済政策が一致する『このまま党』と『仕返し党』が連立政権を組んでいるんだが、軍事面では相性が良くない。『このまま党』は政策によっては『変わろう党』の協力を得ている状態だ。それと引き換えに『変わろう党』の政策もある程度採用されたりする」

「ど、どゆことっ?」

「どの政党の考えも通る可能性がある混沌とした状況ってことだ」

「うーん、やっぱ難しいやっ……。ヴァンにとってはどうなのっ?」

「悪くはないよ。立ち回り次第では俺に都合の良い法案も通るんだ。ただ、問題は三党ともスナキア家の存在を前提としているところだ」


 各党、形や程度は違えどスナキア家を必要としている。どの党が政権を取ろうが、依存体制は変わらない。


「一番良いのは四つ目の政党に勝ってもらうことだ」

「四つ目っ?」

「脱スナキアを標榜する自主党っていう党があるんだ。俺の支持者だよ。今はまだ数人しか国会に送り込めてないんだが、二ヶ月後の選挙で十人、いや、十五人当選すれば、『変わろう党』と組んで経済策だけでも転換できる」


 今はまだ泡沫政党だが、ヴァンには味方がいる。この国が変わるためには彼らの躍進が鍵だ。


「さあヒュー。初級編はここまでだ。どれくらい分かったかテストをしてみよう」


 ヴァンは一瞬自分の書斎にテレポートし、紙ペラ一枚と取ってきた。


「何これっ?」

「確認テストだよ。作っといた」

「え〜……っ? ヴァンって何か、変にマメだよねっ。ヒューそういうとこも好きだけどさ……っ」


 突然現れたテストにヒューネットは眉根を寄せていた。そんなに警戒しなくても、ここまでの話を聞いていれば全部解ける簡単な内容になっている。


「制限時間は三十分だ。よーい、スタート!」

「は、はいっ!」


 カリカリとペンを走らせる音だけが室内に響く。ヴァンはのんびりと時間が過ぎるのを待っていた。


「……ん?」


 窓の外に不思議な光景が見え、思わず声が漏れた。スナキア家の広大な庭で、尋常ではない何かが起きている。

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