第7話

 


 二人きりになった倉庫の中、聞こえるのは炎の音だけ。

 先に沈黙を破ったのは、意外にもさくらだった。



 「わたしが憎い?軽蔑した?」

 その姿はどこか寂しげで、僕はスッと視線を横に逸らした。


 「正直キミは病気だと思う。正しい判断、考えができなくなってる。ちゃんと病院で治療を受ければ、きっと元に戻れるはずだよ。」


 「これが本当の私だとしたら?人は色々な顔を持つ生き物だよ。人によって使い分けたり、人に見られたくない知られたくない部分があったり。あなたが見てきた私はほんの一部、それも優しくて明るくて物分かりの良い完璧な姿。あなたが必要としてたのは、私じゃなくて完璧な恋人。」


 「俺はさくらの全てを見てきたつもりだった。でもさくらの言う通りかもな…近くにいたのに異変に気づけなかったのは俺の責任だ。気付いてあげられなくてごめん。」


 「ねぇー。そうゆうのやめてくれない。気付いてくれなくて大丈夫。おかげで全員消す事ができたから。」


 甲高い声でバカにしたように笑いながら話すさくらに、呆れて言い返す気力すらない。

 ただ呆然とその姿を見つめ、「警察へ行こう」と伝えると、さくらは鬼のような形相で静かにこちらを睨んでいた。



 そしてその目線が僕の後ろに向けられたのに気付き、振り返ると走ってきたのか息を切らした須藤が立っていた。

 

 その瞬間後方からの大きな足音と、須藤が僕の名前を呼ぶ声が同時に聞こえてきた。


 咄嗟に振り返ると、包丁を手にしたさくらが恐ろしい顔で僕を目掛けて走ってきた。


 その姿は殺人鬼そのもので、今までの惨虐な事件を彷彿させていた。


 突き出された右手を手に取ると、さくらはそのまま僕に抱きついた。

 生暖かいものに触れた時、さくらが突然視界から消えた。


 僕の手は赤く染まり、腹部に包丁が刺さったままのさくらが地面に倒れていた。


 一瞬の出来事に何が起きたのか分からなかった僕は、さくらを抱きかかえ傷口を手で押さえた。

 強く押さえても尚溢れる出血に、辺りは血の海のように赤く染まっていた。


 冷静に救急車を呼ぶ須藤の横で、取り乱した僕は、たださくらの名前を呼び続ける事しかできなかった。

 そして遠のく意識の中、さくらは僕の手を握り消えそうな声で「ごめんなさい」と言って目を閉じた。

 

 抱きかかえていたさくらは力が抜け、ずっしりとした重みが腕に伝わってくる。

 息はないが、まだ温かい体に心臓マッサージを施す。

 

 どうか生きてほしい。

 罪を償って欲しい。

 同じ未来を見る事は出来ないけど、どこかで生きていてほしい。

 

 そう願いながら…。



 そして僕はどこからか聞こえてくる「ピーピーピー」とゆう高い音に目の前がかすみ、体の力が奪われていく。

 さくらの横に倒れた僕は、意識が遠のいていくのが自分でも分かった。


 須藤の僕を呼ぶ声、警察車両や救急車の音が微かに聞こえてくるが、体は重く動くことが出来ない。


 吸い込まれるように暗い世界が近づく中、僕が大好きだったさくらが目の前に現れ「ありがとう」と優しく微笑んでいた。


 そして僕はそのまま意識を失った。








 「ピッピッピッ」


 一定のリズムで流れる音が心地よく

 頭の中で自分も一緒に音を刻んでいる。


 ふと我に帰り目を開くと

 そこは見覚えのない部屋だった。


 見渡す限り白く明るい部屋は

 起きたばかりの目には刺激が強く

 全てがぼやけて見えている。


 体を起こそうとしても鉛のように重く

 一体どれほど眠っていたのだろうと、疑問に思った。


 手や足、頭にまでついた機械のコードも

 体が重く感じる理由の一つなのかもしれないと、

 ボーとする意識の中考えていると

 「ガチャッ」と音を立て扉が開かれた。



 真っ白な白衣のようなものに身を包んだ男性が

 こっちに歩きながら口を開いた。


 「お目覚めですね。ご安心ください。全ては上手くいきましたから」


 そして繋がれている機械を取り除き

 軽くなった体を支えるように起こしてくれた。


 その人は用意された椅子に腰を掛けると話し出した。


 「体調はどうですか?いくつか質問をするのでゆっくり答えてくださいね。

 まず、ご自分のお名前分かりますか?」


 分からないわけがない、簡単とゆうか

 必要なのかと思うような質問にコクリと頷き答えた。



 「望月さくらです。」


 「はい。ではここがどこなのか分かりますか?」


 正直自信があるわけではないが、この雰囲気

 そしてその服、そしてたくさんの機械を見ると

 大体の想像はつく。


 「病院ですか…?」


 「はい。精神科の特別室です。

 そして僕は精神科の医師で、担当医の結城です。」


 「すみません。分かりません。よく覚えてなくて…

 私がどうしてここに?」


 「あ、そうですか。今回の治療では脳に一定の強い刺激を送っているので、その影響で一部記憶が欠落しているのかもしれませんね。でも安心してください。順を追って説明していきますね。」



 そう言うと私の名前が書かれたファイルを

 おもむろに開き事の経緯を丁寧に説明してくれた。




 私はなぜ精神科の病院にいるのか、

 特別室で沢山の機械をつけて眠っていたのか

 まず私は何の病気なのか、脳に強い刺激、

 記憶が欠落、分からない、

 淡々と口から出る言葉についていけず

 頭にはハテナが浮かんでいた。



 


 遡ること2ヶ月前。




 私は4年間働いた会社を退社した。

 居心地の良さを追求し好きなもので揃えたデスク周りの私物を段ボールに詰め

 周りから送られる冷たい視線に息の詰まる思いだった。



 入社した時、これから始まる社会人ライフにやる気と希望に満ち溢れていた。

 採寸後届いた制服に初めて袖を通した時、これから先この制服を着て仕事をしていくのかと胸の奥が熱くなった。

 でもそれも全て今日で終わり。


 明日からどう生きよう…

 仕事がなくなっても明日は当たり前にやってくる。


 会社には一身上の都合とだけ伝えたがそれは表向き。

 本当は私の中に潜む悪魔が暴れ出したから…



 私は高校生の時に 解離性同一性障害 だと診断された。

 自分の心の弱さが原因で発症したと言われた時、否定する事ができなかった。

 受け入れることも出来ず、ただ向き合う事しか出来なかった。


 どうして私はみんなと違うのか。

 悩んでも答えは出ず、死にたいとまで思った。


 でも、それを救ってくれたのもまたこの病気だった。

 悩み疲れた私の中にできた別人格。

 憎むべきはずの病気に助けられて今生きている。


 だけど上手く付き合ってきたはずのこの病気は

 私から仕事とゆう生き甲斐を奪ったのだ。



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