第3話 依頼成立(表)





 東京駅で真昼の惨劇。

 が、馴染みの料亭に来る前に拾った新聞の号外の見出しだったと思う。

 いやまあ、そうだよね。

 いくら殺し屋(かどうかは、僕にはわからないんだけど)だとは言え、老婦人と親子が惨殺されたんだ。

 惨劇と言いたくなる気持ちはわかる。

 で、その惨状を作り出した(と、本人は言った)張本人。

 僕の護衛をするために遠路遥々、東京まで来てくれた七郎次……と、呼ぶと感情を感じさせない瞳でジーッと見られ続けるからナナさんと呼ぶよう心がけよう。はと言うと、「ナナって呼べって言ったろ」と言わんばかりに、正座したまま僕をジーッと見上げてる。

 声には出してないはずなんだけどなぁ……。


 「到着早々、随分と派手にったじゃないか七郎次。五郎丸ごろうまるが言っていた通り、腕の方は問題ないようだな」

 「ナナって呼んでって、何べんも言うたじゃろ猛おじ様。その歳で呆けちょるんか?」

 「呆けちゃいないさ。お前んとこは名前に無頓着だろう?だから、もう気にしなくなってると思ったんだ」

 

 猛君が口にした五郎丸が、彼女の家の現当主かな。だとすると、父親になるんだろうか。

 いや、七郎……ナナさんの例もあるから母親の線も……って、そうだった。


 「猛君、来るのが女性なら女性と、どうして教えてくれなかったんだい?」

 「言ってなかったか?」

 「言ってない。彼女の方からそうだと名乗ってくれきゃ、僕は気づけなかったよ?」

 「あ~……言ってなかったか。そりゃあすまん。うっかりしてた」

 「はぁ……」


 ため息が出るほど呆れてしまった。

 ナナさんが言った通り、その歳で呆けてるんじゃないかい?

 

 「それに、彼女はまだ学生だろう?」

 「そうだが、何か問題か?」

 「大問題だよ!学生の本分は勉強!こんな血生臭いことに巻き込むなんて、僕は賛成できない!」

 「と、お前の依頼人(仮)は言ってるが?」


 ナナさんに話を振っても無駄だよ。

 僕はもう、今回の話はなかったことにしてもらうつもりなんだ。

 違約金が必要なら払うし、東京駅での件で料金が発生するならそれも払う。

 だから、こんな少女と言っても良い歳の子に、殺しなんてさせないでくれ。


 「関係ない。そもそも、まだ依頼人はこの軍人さんじゃのぉて猛おじ様じゃろ?猛おじ様が帰れって言やぁ帰るし、護衛を続けろっちゅうんなら続ける」

 「だ、そうだ。だから諦めろ小吉。この先、朝鮮戦争とベトナム戦争、さらにはいくつもの震災を控えているのに、お前を失うわけにはいかん」

 「それはわかってるよ。でも、朝鮮戦争はまだ2年以上も先だし、ベトナム戦争と震災はもっと先だ。そんな先の予定のために、せっかく大戦を生き延びた若者を僕は巻き込みたくない」

 

 これから起こる予定の戦争のために、僕は軍縮を進めようとしている。

 朝鮮戦争には間に合わないかもしれないけど、それでも今の帝国軍の規模のまま戦争に突入するよりは結果が良くなる。

 米国とも話がつき、本来の歴史では長く遺恨を引きずる関係になる隣国と、友好な関係を築く段取りはほぼ終わってるんだ。

 あとは、帝国軍を国防軍と改めて規模を縮小するだけ。

 その中心人物である僕が死ねば、予定が大幅に狂うどころか本来の歴史通りになりかねないから猛君が僕の心配をするのはわかる。

 わかるけれど、それは完全に僕ら転生者の都合。

 エゴと言ってもいい。

 それに関係ないナナさんを巻き込むなんて、僕にはできない。 


 「軍人さんは、あたしの腕を信用してないっちゅうことかい?」

 「違う!そうじゃない!僕は君みたいな女の子に、人殺しなんてさせたくないんだ!」

 「あたしが男じゃったら、えかったんか?」

 「良くない!例え君が男だったとしても、僕は同じことを言ったよ!」


 彼女は得体の知れない力を持っている。

 それは、実際に目の当たりにしたからわかっているし、殺人を悪いことだと思ってないのもわかってる。

 きっと、そういう教育をされて育ったんだろう。

 でも、戦時ならともかく今は平時だ。

 今が戦時なら、僕もこんな青臭いことを言わずに彼女を使っただろうさ。

 そう、戦時なら、だ。

 平時である今に、やらなくて済むならやらない方が良い殺人をする必要はない。

 僕が本気で断れば、彼女は望まぬ人殺しをする必要はないんだ。

 だから……。


 「猛君……いや、大和陸軍中将。今回の件は、海軍中将として正式にお断りします。彼女にも、帰ってもらってください」

 「相変わらず、気が弱そうな面をして頑固だな。わかった。お前がそこまで言うなら……」


 帰らせよう。

 と、猛君は続けるつもりだったんだろうか。

 でも、それは叶わなかった。

 突然、上から押し潰すようにのし掛かってきた不可視の何かのせいで、僕と猛君は動けなくなった。

 言葉どころか、呼吸をするのも困難だ。

 これはまさか、ナナさんがやったのか?


 「ちょっと軍人さんや。東京くんだりまで来させちょいて、ちょっとばかし勝手すぎゃあせんか?」

 「だけど、君は……」

 「お?猛おじ様ですら身動き一つできん、あたしの狩場かりばん中で喋るか。意外と肝は据わっちょるんじゃねぇ」


 カリバ?

 カリバとは何だ?

 字は狩場か?それとも仮刃か?

 まあどっちにしろ、先の東京駅で見た力同様、これは真っ当な力じゃない。

 信じきれないけど、おそらくこれは物理法則なんか無視した異能力、超能力の類いだ。

 

 「確かに、あたしは女で学生。じゃけど、それは仮の姿。あたしは生まれた時から暗殺者なんじゃけぇ、アンタに妙な同情をされるいわれはない」

 「だけど……!」

 「おお、自力で狩場を抜けたんか。大したもんじゃねぇ。ほれ、猛おじ様も見てみぃ。この軍人さん、見た目が嘘みたいに肝っ玉が大きいぞ」


 言われてみれば、猛君は相変わらずなのに、身体が軽くなったし呼吸もしやすくなった……って、猛君をどうにかしなきゃ。


 「ナ、ナナさん、猛君が……」

 「ん?おおっ、すまんすまん。忘れちょった」


 声に抑揚が無いせいで緊張感がない。

 でも、猛君がぜぇぜぇと肩で息をしながら姿勢を戻した様子を見るに、カリバとやらからは解放されたようだ。


 「お、俺まで巻き込むな七郎次。その距離なら、仮縫いでも良かっただろうが」

 「折れようとした罰いや。それと、七郎次じゃのぉてナナ。もう一回いっとくかい?」

 「わかったわかった。だから勘弁してくれ」

 「よろしい。で、話を戻すんじゃけど、アンタに断られるとあたしが困る。じゃけぇ、断らんでほしい」


 困る?

 それは金銭的な問題か?

 それとも、家柄に傷がつく的な理由か?

 どちらにしても、僕が断るのをやめる理由には……。


 「もし断られたら、あたしは兄様に殺される」

 「い、今何て?殺される?お兄さんにかい?」

 「そう、兄の六郎兵衛に殺される」

 「それは、どうしてだい?」

 

 僕が質問すると、ナナさんは視線を猛君に向けた。

 おそらく、「言っても良いか?」と、許可を求めたんだろう。どうして猛君に許可を求めたのかは謎だけど。


 「七郎……ナナの家、暮石家は跡目争いの真っ最中でな。六郎兵衛と殺し合って生き残った方が、次期当主として家に戻れる」

 「それが、僕が断るのとどう関係するんだい?」

 「本来、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ。その一族の末席とは言え、ナナを海軍であるお前の護衛に付けることに現当主が難色を示してな。仕事を断られたり失敗した場合は、無抵抗で六郎兵衛に殺されるという条件付きで借りたんだ」

 「な、なんて勝手な理由だ。海軍には僕のシンパだっているんだよ?なのにそこまでして、ナナさんを僕の護衛にする必要はないじゃないか!」


 実際、護衛を申し出てくれた人だっているし、東京駅での騒動の最中さなか、すんなりと帰れたのはその人たちの助けがあってのものだ。

 だから、そんな条件をつけてまでナナさんを僕の護衛にあてがう必要なんてなかったのに、どうして猛くんは……。


 「暮石の人間以外に、お前を護りきれる人間がいなかったからだ。いいか小吉。お前は陸軍のお偉いさんからも狙われてるんだぞ?そしてさっきも言ったが、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ」

 「だから、残りの者が僕の命を……」


 依頼されて狙う可能性もある。

 だから猛君は、同じ力を扱うことができるナナさんを僕の護衛につけようとしてくれたのか。


 「そう言うことだ。本来なら、兄妹でお前の暗殺をやらせるつもりだったところを、無理を言ってナナを外してもらった。先に説明した条件も、そう言った理由からだ」

 「なるほどね。じゃあ、僕はナナさんのお兄さんにも、命を狙われるってことだ」

 「理解、してくれたか?」

 「ああ、理解したし納得もしたよ」


 つまり、無表情で話を聞いているナナさんと僕は、運命共同体。

 僕が死ねばナナさんも死ぬし、逆もしかりって訳だ。


 「じゃあ、護衛を受け入れてくれるな?」

 「受け入れるしかないじゃないか。まったく、君は昔からそうだ。大切なことを僕に相談もなく、勝手に決めて僕を振り回す。そのせいで死にかけたのは、一度や二度じゃないんだよ?」

 「それはすまないと思ってる。だが、俺の気持ちも察してくれ。俺は、お前に死んでほしくないんだ」

 「わかってるよ。だからいつも、最後にはこうして僕が折れてるんじゃないか」


 本当に、僕は昔から猛君に振り回されっぱなしだ。

 僕と同じように、幼少期から親に商売のアドバイスをして財を築き、陸軍と海軍と言う違いはあったけれど、同じように汚い手段を用いてのし上がった。

 共通の知人(知人も転生者だった)を通じて知り合ったのが、運の尽きだったのかもしれない。

 彼の事後承諾に等しい計画に何度も巻き込まれたせいで、後の歴史には僕の汚点として残るであろう作戦が多々あるし、その計画のせいで何度も死にかけた。

 それでもこうして、友人として接することができているのは、彼が僕のことを本当に信頼し、僕も信じているからだろう。

 そんな、友情を視線で確かめ合っていた僕たちを無言で見つめていたナナさんの反応はと言うと……。

 

 「男同士で見つめおうて、気持ち悪いんじゃが?」


 で、ある。

 いやまあ、気持ちはわからなくもないかな。

 これで僕たちが美男子なら絵にもなったんだろうけど、生憎あいにくと僕らはそうじゃない。

 僕も猛君も、最近は額が後退してるのを気にしなきゃいけないくらいオッサン臭くなっちゃってるからね。

 

 「気持ち悪いとか言うな。俺はともかく、現役JKのお前にキモいって言われた小吉がトラウマを刺激されてるだろうが」

 「ちょっと待ってよ猛君。確かに、現役JKでオマケに美人なナナさんにキモいって言われて若干傷ついたよ?でも、トラウマを刺激されるほどじゃあない」

 「前は、もっと酷いことを言われてたのか?」

 「そりゃあもう。何なら話そうか?前世でもリア充だった猛君が聞いたら、きっと同情しすぎて死んじゃうよ?」

 「いや、すまん。もう聞かないから、真顔で詰め寄るのをやめてくれ」


 まあ、話さないけどね。

 いや、本当に話さない。

 話すどころか思い出すだけで、地位も名誉も投げ捨てて引きこもりたくなっちゃうから本当に話さない。

 

 「おっとそうだ。ナナ、お前、得物はどうする気だ?丸腰じゃあ、術の効果も半減だろう?」

 「適当に包丁でも買ういね」

 「包丁持って歩き回るつもりかお前は。そう言うと思って、用意しておいた」


 興味が無さそうなナナさんを無視して猛君がテーブルに置いたのは、若干反りが入った長さ約30cmほどの黒塗りの棒。そして、その棒を腕か脚に固定するためと思われるベルト。

 もしかして棒の方は、短刀か?

 

 「どうだ?それくらいなら、お前でも扱えるだろう?」

 「まあ、これならね」


 そう言って、ナナさんは黒塗りの棒の両端を持って左右に引いた。

 やはり短刀だった。

 しかも見た限りでは、かなりの業物わざもの。重さはなくとも、その切れ味だけで人間の手足くらいなら簡単に切断してしまいそうだと思えるほど、その刃は不気味な光を宿している。


 「そのハーネスで股下にでもくくっておけ」

 「股下に括っとくにゃあ長いよ。間違えて入ったらどうしてくれるんだい?あたし、まだ処女なんよ?」

 「ぶほぉっ!」


 ナナさんのあまりにもあんまりな言い様に思わず噴いちゃったけど、入るってどこに?

 って、考えるまでもないか。

 確かに、戦争からそんなに経っていない今の日本女性にしては、ナナさんはスタイルが良い。

 脚だけで何cmあるんだい?って、聞きたくなるくらい脚が長いけど、それでもその短刀を股下に括ったら間違いが起きかねないね。

 うん、やめた方が良い。

 股下じゃなくてももの外側にしとくべきだ。

 ナナさんが来ているセーラー服なら、それでも目立たない。

 ミニスカートにしたら、さすがに無理だろうけどね。


 「なんか軍人さんが、いやらしい目であたしの脚を見ちょるんじゃが?」

 「ち、違う!僕はただ、そのスカートのたけなら腿の外側でも良いんじゃないかって思っただけで……」

 「おいおい小吉、お前はロリコンじゃなかったか?ナナはロリの範疇にはいらんぞ?」

 「だから違う……ってぇ!猛君は僕をロリコンだと思ってたのかい!?」

 「だってお前、前世ではアニメオタクだったと言ってたじゃないか。アニメオタクとロリコンはイコールじゃないのか?その証拠に、お前はその歳で童貞だろう?今世でも、魔法使いを目指してるのか?」

 「それは偏見だ!」


 と、声を大にして否定したけど……はい。

 僕はロリコンです。

 いや、でした。

 そう、過去形だ!

 今の僕はロリコンじゃあない!

 チャンスは結構な数あったのに童貞なのは、単に僕がヘタレ……じゃない。

 愛した女性以外と、そういう行為をするのに抵抗があったからさ。

 

 「ほうほう、軍人さんは童貞なんじゃねぇ」

 「いや、その……はい。恥ずかしながら」

 「別に恥じんでもええよ。あたしも処女じゃし、似た者同士じゃ」


 いやぁ……違うと思うなぁ。

 だってナナさんは美人じゃないか。

 無表情で声に抑揚が無いのが難と言えば難だけど、その気にならなくても引く手数多だろう?

 それに比べて僕は……ん?

 何だろう。

 僕を見るナナさんの表情が、少しやわらいだような気がする。

 無表情のままのはずなのに、何故か微笑んでいるように見える。

 そんなナナさんは、僕を真っ直ぐに見つめて……。


 「これからしばらく、よろしくね。小吉」

 

 と、右手を差し出しながら言った。

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