第20話 銃撃戦(次回、たぶん最終回――さよなら、すべての荒唐無稽。)

「くそっ、くそっ! あの馬鹿め、撃ちやがった! 撃ち方始め! 撃ち方始め! 撃て撃て撃て!」係長が叫ぶ。


「ま、麻帆子! 麻帆子!」

 小田が制止を振り切って走り出す。刑務官が小田に向けてポンプアクションの散弾銃を連射する。

「畜生め、撃ち続けろ! 麻帆子とキティ・シェリーを最優先でカバー! 全弾撃ち尽くせ!」

 係長が英語で号令を飛ばす。

 無線機での号令で収容所内に散開した米軍があちこちの監視塔、建物の窓に向けて発砲する。収容所側も同様に、小田や麻帆子、係長やわたしに向けてマシンガンやカービン銃を連射する。


 わたしも係長や小田さんに続いて死に物狂いで走る。なんだよ、なんなんだよ。わたしはただの公務員なのに。転勤が多いのは知ってたよ。でも北部議会共和国へは行くつもりはなかった。

 思いの外に肉体労働だってのは知ってたけど、それはヒール筋がどうこういうレベルであって、銃弾をかいくぐるのは想定外だ。くそ、ああ、怖い、怖い、本当に撃ってきている。当たったらものすごく痛いんだろうな、そんな想像はただちに恐怖へと姿を変え、わたしの足をもつれさせる。地面に左手をつき、右手もついてしまった。なにやってんだよ、ドアホ! 走らなければならない。両手の擦り傷は血を滲ませ、恐怖を滲ませ、わたしは走る。いやだ、帰りたい。今すぐ帰りたい。母さん、父さん、だれか、助けて。


 米軍兵士は波のように射撃と後退を繰り返し、数名の撃たれた友軍兵士を抱えて走る。


 わたしは波のどのあたりにいるのだろう。最後尾でないことだけを祈った。怖い、怖い、怖い。小田とかいう命知らずの男一人に、なんでこんなにたくさんの銃弾が飛び交うのだろう。

 銃声は冗談みたいに軽く乾いた音で、しかし止む気配はない。こんなおもちゃのような銃声でひとはどんどん撃たれているのだ。小田聡一、小田聡一は――いた。わたしの前方、米軍兵士と一緒に麻帆子を引きずって後退している。麻帆子のいた場所からここまで、ずっとケチャップ――そうであってほしい、とわたしは願う。でも、でも本当は血液かもしれない、そう思うとわたしは逃げる以外のことが脳からシャットアウトされる――の血糊が地面に尾を引いて


 どん


 花火? 花火が上がったのか。

 でも、今は春節でも建国祭でもない――が、地鳴りのような衝撃で、走っていたわたしは膝から崩れて地面に倒れこむ。その拍子に口の中にアスファルトの砂粒が入り、じゃり、と音がする。なんか、痛いな――みぞおちのあたりに手をやると、真っ赤な血が滲み


「い――いやあああああああ!」手が、手が真っ赤だ。手が、手、手、みぞおちの赤い血はどんどんあふれている。わたしは叫ぶ。


「くそ、くそ、くそ! リー、向井を回収しろ。掩護する! 迅速に点呼! 撤収、撤収!」 

 わたしはリーさんに抱えられ、ずるずると後退している。小田さんと同じように血糊は地面に尾を引く。


「向井さん! 手で圧迫して! こっち見て! ああもう、くそ! カバー、カバー・ミー!」

 すぐそこなのに、でもすごく遠くから聞こえるリーさんの声。


 あれ――でも、なんでだろ


 なんか、ここ、どこ。リーさんに引きずってもらって――太陽が眩しい


 死ぬのって、こんな感じかな



 きい――ん



 大きなハウリングの音。なんだよ。うるさいな。人がせっかく今生の終わりを迎えようとしているときに。


「あ、あー、ああ、うん。テステス、マイクのテスト中。ええ、こほん。聞こえるかな? とりあえず撃ち方やめ、撃ち方やめ。ここは穏やかに、ね」


 ああ、けらけら男――まったく無茶なタイミングだ。あんたはいつだって無茶なタイミングで出てきたよな。

 時任だかトビアスだか知らないけれど、やはりわたしは死んだのだ。銃撃戦の真っただ中で死亡し、変な夢を見ているのだ。いや、違う。これは走馬灯だ。よりによって走馬灯の一番乗りが課長だなんて、茶番もいいところだ。――でもね、おまえもいいやつだったよ。今となってはね。


 課長の声はまだ続いていた。これから弔辞が始まるのだろう。少なくとも、ついこのあいだまで部下と上司だったのだ。殉職したわたしの式に参列するくらいはしてもよい。


「僕の声が聞こえる程度に冷静な諸君に告ぐ。オンタイム・ハイネケン、オンタイム・ハイネケン。実際、実際」

 

 課長は南北語で監視塔のスピーカーを通じ放送し、直後に英語で同じ内容を放送する。でもね、わたしにはもう、縁がないんだよ、縁が。なんたらハイネケンも、言向司も、叙勲も。オンタイム・ハイネケン? 知らないよ、そんな符牒。わたしはね、こうして血糊を地面に塗りたくりながら死ぬんだ。いや、もうすでにわたしはここにいないのかもしれない。そう思いながら瞑目する。

 ――ありがとう、ごめんね、母さん、父さん。係長も、小田さんも、リーさんも。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん

 銃声、いや――拍手? だれかが拍手している。


「――スパシーバ、バリショイエ・スパシーバ! トビアス、この市街演習の場を設けてくれたこと、われわれ連邦軍は心より感謝する——が、非常に残念ながら我が方に負傷者が何名か出てしまった。本来この演習においてはすべて空包を用いる手はずであった——おかしくはないかね、栄えある北部議会共和国軍の同志諸君? これは一体どういうことだろう? 数名の演習参加兵が演習中に貴官らにより銃撃された。この演習は実包禁止ではなかったかな? ――説明をぜひお聞きしたい」


 年かさの友軍兵士が目出し帽を取り、カラシニコフを負い革で肩にかけ、前へ出て拡声器を構えていった。ほかの友軍兵士はといえば、小田親子とわたし、そして数名の負傷した米軍兵士を庇うように視界から遮蔽する。「リー、さん」おかしい。なにかがものすごく変だ。六本木からずっと、変でないことなどなかったが、これは最上級に変だ。

 ――痛くない。


 収容所の建物の方から戦闘服ではない、やたら大きな軍帽に糊のきいた軍服姿の人物が出てきた。レシーバーで話しだすと、監視塔のスピーカーから声が聞こえてくる。


「――当収容所が資本主義者によって襲撃されたという設定での演習、情報収集という観点において上々の成果を上げたといえる。今回空包を用いた演習で発生した負傷者、我が方の武器弾薬の管理不徹底はまこと、忸怩たる思いだ。ドクターヘリでは手が足りない。そちらの輸送ヘリでの搬送、これをフライトプランなしで行えるよう便宜を図ろう。すべては共和国軍と北部議会の不徳となすべきものである。


 さて、連邦軍の貴官らは机上演習であらかじめ設定したルートでお越しいただき、わが北議領空に進入したのちの作戦行動、これを両軍自由設定とした。外敵への対処能力を評価、涵養する情報収集、この点においては成功裏に終わったと確認できた。――さあ、銃口を下へ向けたまえ。そののちにヘリをこの駐車場に着陸されたく思う。


 同志トビアス、この演習を立案してくれたこと、心より感謝する。収容中の小田聡一については、娘の麻帆子がこちらの不始末で被弾した。被告人小田聡一、君には一時的に病院への同行を許可する」


 幾重にも重なった友軍兵士の人間バリケードの一番奥、「パパ、パパ」と泣き笑いしながら抱き合う小田親子の姿を認める。やはり実弾なんて、飛んでいなかったのだ。


 横たわったわたしは、自分のそばを離れないリー三曹に呼びかける。

「リーさん。あなた、もしかして――」何の苦もなく声が出る。

 かの女は人差し指を口に当て、目出し帽の奥、目だけで笑って見せる。わたしはみぞおちの血を見て、指でひとすくい舐めてみる。


「――なあんだ」


 死ぬかと思ったじゃないか。けらけら男。


「輸送ヘリも来たようだ。さあ、病院へ搬送してくれたまえ」北議軍の将校とみられる男が放送する。


 時任課長も続けてマイクを取る。

「こちらトビアス。同志諸君らのおかげで軍事演習はおおむね成功裡を納めた。諸君、世界の均衡は諸君ら存在が抑止力となって保た——」


 ひときわ大きいハウリング、それと同時に監視塔から、あちこちにぶつかりつつ落下する人影——。

 えっ。


「連邦軍に、裁きを! イ主席に、敬礼!」続く一発の銃声。


 係長が瞬時にズボンをたくし上げ、足首のリボルバーをホルスターから抜き、構える。無線で連絡を取る。「――各員、実包用意。警戒しつつ迅速に接近せよ。トビアス救護を最優先、テキはひとりだと思うな、行け!」

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