第19話 鞭のひと振り(このあとに続くギャグを係長が周到に用意していることは疑いようもないですよね? ですよね!)

 敵地にも内通者がいるに違いない。そうでなくては成り立たない作戦だ。

 テロリスト――ここでいうのは言向司――の内通者、しかも極度に高等な地位と権限を持つ者が、北議軍の内部で欺瞞工作をしているのだろう。だが、なんのために動いているかはわからない。その内通者が北議会と北議軍の利害は一致しないことは明らかだが、そうとなれば、その存在はいわゆる工作員となる。身分を偽り、工作員として諜報活動を行いながら、なおも北議政府に盾突くような指金を入れたりすることは可能なのだろうか。いずれにせよ、平時から発動すべきではない力が動いているのは自明だった。


 それに、榊係長――ICPOのキム・シフはシンガポール総局で周辺加盟国へ対するサイバー犯罪対策の指導を担っているに過ぎない。ICPOにしても、もとより司法警察権がないのだ。よくあるフィクション作品のように国際犯罪者に対して、日本なら日本国内、アメリカならアメリカ国内で、その国々に出向いての捜査活動を行うことが許可されていない。

 なのに、なぜ――。


「あと一〇秒だ。オーケイ、後部ランプ開け! 降りろ、降りろ、降りろ!」

「向井さん、行きます! 目を開けて、着地は足を開いて、膝を曲げて――二、一、今!」

 

 確かに一瞬だった。だったが、足蹠からの衝撃は脳天へ響くほどだった。少し足首を挫いたかもしれない。リーはハーネスを迅速に外し、周囲へAK-12を向けて警戒している。ここは――駐車場? 物陰、遮蔽物もなにもない。せいぜい日陰に車が数台。ど真ん中じゃないか。それに反して、監視塔は四方どころではない、六つか八つ、それ以上の数が見える。

 わたしは防弾ベストを揺らさないようにして指定された地点まで急ぐ。「向井、走るな。人質が臨月だからな。堂々と行け。陽動にもなる」最後に降りた係長がいう。


 散開したこちらの兵員を取り囲むようにして監視塔から銃口が見える。小銃などではない。固定された機関銃か、軽機関銃だ。駐車場はほぼ正方形で、後方に装甲車両が突っ込んでもびくともしなそうなゲート、正面には五階建てほどの収容所建屋があり、わたしたちがいるのはそのゲートと建物の真ん中だ。チヌークの操縦士もよりによってそこへホバリングしなくても、と思うが今さら仕方がない。この作戦の主眼は陽動だ。それにしても――言向司じゃなかったらもうすで百回は死んでいるな、と思うと腋から汗がにじむ。


 腕まくりしたワイシャツに防弾ベスト、目出し帽といった最旬スタイルの係長が拡声器のスイッチを押す。


「――北部議会共和国の同志諸君。まずは謝罪しよう。不案内な田舎者がノックもなしに侵入したこと、どうか大目に見てほしい」


 南北語だ。しかしその係長目がけ、そこかしこの監視塔、銃門で何十もの刑務官や兵士の銃口が並ぶのが見える。


 係長は拡声器から少し顔を遠ざけ、咳払いをし、さらに五歩ほど収容所の出入口に進み出て続ける。


「われわれは地下に眠る良心の徒、アンダーグラウンドマリーンズ。憎むべきエコノミスト、リベラリストらが、小田聡一という悪魔の子を産み落とした罪を心から嘆く者。


 われわれは貴君ら北部議会共和国に対し、小田聡一をもってその罪を贖わせるために赴いた。本官らには敵対の意図はない。また、貴君らに一切の不利益を及ぼすつもりも同様にして、ない。ただ北議の、このふざけた馬鹿騒ぎによって、諸君らの国家が分断され、南線独立国との溝が深まることを大いに憂いている。


 心より願う。小田聡一をこの場に出し、われわれと異口同音にシュミッツ、ボーデン、イ・ソンへの忠誠を誓わせ、その義――おお! かくも輝かしいその義のもとに散る機会をかれに与えてほしい。なお、この場の模様はすでにインターネットで世界中に向け中継している。同志諸君よ、正義ある行動、正義ある司法を世界に示してほしい」


 そこで手錠を掛けられた小田麻帆子が、目出し帽にカラシニコフという兵士に前へ引きずり出される。兵士は頭を押さえつけ、麻帆子に膝をつかせる。計画通り、わたしはかの女の頭部に拳銃を突き付ける。「先輩、そ、それ、本物じゃないですよね」

「しっ――どうせおもちゃよ。あと、なるべく唇は動かさないで。下、向いててね」


 しばらく、といっても五秒ほどであろうか、沈黙があった。係長は拡声器で話し始める。


「貴君らが小田聡一をあたかも宝物のように大事に扱う理由、それはなにか。本官には察しかねる。本官はただ小田聡一に自らの意思で、イ・ソン主席への謝罪とその忠義のために今日ここで死ぬべきだと伝えているのみである。


 もしその要請が受け入れられないのであれば、同じく日本人で小田の娘、小田麻帆子をこの場で処刑するのみだ。むろん本官は、この判断に蚊を潰すほどの躊躇いもない。だがこれにより、小田聡一の覚悟は知れよう――あと数時間、自分が長らえたいだけで娘の命を簡単に捨てる腰抜けだ、と。


 あと三分、三分間を待とう。生きたままの小田聡一をご提出いただけなければ、この娘を射殺する。本官ではなく、あくまでも国際社会がどう判断するか、慎重に吟味のうえ答えを出してほしい」


 よくないぞ、大変よくない。これはわたしの立案したプランとは大きくかけ離れている。なあトビアス、あんたの計画はどこまでも恐ろしいよ。この状況では係長は、すでに死んだも同然じゃないか。

 

 だが、榊係長――キム・シフも相当な人物だ。ただのハッカー兼ギークだと思っていた。でも、本当はとんでもない人物なのかもしれない。あの長台詞、淀みなくしゃべりまた、一切のぶれもない。さらに恐ろしいことに、これまでに銃声も怒号も、走る人影も一切ないのだ。向こうの兵員にもなんら動きがない。極度に統率された、刑務官と北議軍の消極性。誰が、いったい何のために刑務官らを抑え込んでいるというのだ。


 係長、そして刑務官の上に恐ろしい権力があってこの場を取り仕切っている、というしか妥当な答えは出なった。なんなんだ、この世界は。これが言向司の力というのか。


 時任課長が話していた内容では、言向司は戦後日本、占領統治をしていたGHQの要請で特別高等警察と警察予備隊から選抜されたエリートによって創設されたのだという。主たる任務は、体のいいGHQの手先。占領統治終了後、言向司はGHQのノウハウを活かし、のちの日本における諜報活動をリードする組織となった。やがて世界的に諜報組織の指導者への教育活動にも携わっていくわけだが、仮説としてその過程で各国の指導的立場にある諜報員へも、決して小さくはない力がかかっていると読める。でなければ、この状況を作り出すのは不可能だ。


「麻帆子! やめろ、もうやめてくれ! 娘は関係ない!」兵士らに連れられ、小田聡一が出てきた。小田聡一が南北語でまくしたてる。「おれなら今すぐ殺せ! 殺してくれ! だが、娘に手を出せばどうなるか、考えろ!」


「パパ!」小田さんが南北語で叫ぶ。「いいの! パパ、構わないで! わたしのことはいいから、死のう! 北議人のために一緒に死のう!」


 沈黙があった。何秒だろうか、長い沈黙だった。


 小田聡一と麻帆子の距離は約二〇メートル。十分に拳銃の有効射程距離でもある。散開した米軍は銃口を監視塔に向け、警戒態勢を取っている。しかし監視塔からはもっと多くのマシンガンやカービン銃がこちらに照準を合わせているのが見える。


「ご協力に感謝する。どうか本官を撃たないでほしい。本官はこれよりそちらへゆっくりと接近する。そして、小田聡一にこのイ主席語録と、拡声器とを渡す。そこで本官は後退する。指定したページを小田聡一が南北語、普通話、英語、フランス語、日本語で読み上げる。読み終えたら、予定通り刑を執行するといい。なお、本官は武装していない。――本官は武装せず、小田聡一にイ主席語録を渡し、後退する。それだけだ」


 係長は両手をホールドアップした状態で赤い本を手に、ゆっくりと前進する。小田聡一に突きつけられていた五つの銃口のうち二つ、係長に向けられる。係長は構わず接近し、小田に本を渡す。係長は後ずさりし、わたしたちの方に戻る。係長が視線を小田から外したとき――。


 たん


 鞭のひと振りのような乾いた音だ。わたしの頬になにかが飛び散る。小田さんの大きなお腹から大量のケチャップがはじけ散る。――小田さんの血だ。かの女はそのままのけぞるようにして倒される。

「ああ、あああ!」小田さんは地面をのたうち回った。まさか――まさか、でも、本当に実弾が当たったんじゃないか。拳銃を捨て、わたしは小田さんに覆いかぶさる。

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