ファントマイゾへGO!
千石綾子
ファントマイゾへGO!
ファントマイゾへ行くのよ。
働いて、稼いで、いつかファントマイゾに住むのよ。
アカネは街の小さなダイナーで働いている。客はいつも顔ぶれが同じで、頼むメニューも大体同じ。そもそもメニューの数が少ないときている。
「いようアカネ。今日も良い尻してんな」
水のおかわりを注いでいる最中に、何の遠慮もなくアカネの尻を掴んでくるのは常連の一人。ギョロリとした目を細めてニヤニヤと笑っている。
思い切りかかと落としを喰らわせたいアカネだが、水を零しても客に反抗的な態度をとっても即クビになるのを知っている。ここはぐっと我慢、我慢なのだ。
ヒステリックな女やうるさいガキ共、根暗な研究者など、碌な常連客がいないこのダイナーでアカネが我慢できるのは、他の店よりも少しだけ時給が良くて賄いが付いているから。
「稼いで、お金を貯めたらファントマイゾに行くのよ」
アカネは鏡に向かって毎日何度も繰り返す。
ファントマイゾとは、遠く中央にある華やかな都だ。その様子はこの小さな街でも壊れかけのケーブルTVで見ることができる。
ケーブルテレビは街に4つしかない。街角に大きなスクリーンが設置され、ファントマイゾに住む人々の生活の様子やアイドルのライブ、伝統芸能やコメディドラマなど雑多なコンテンツが配信されている。
『働いて、稼いで、皆ファントマイゾへGO!』
唯一のコマーシャルらしき映像はそう繰り返す。
およそ100年前。自然災害や戦争、感染症などが一度に起こり、世界は完全に分断された。
予め地下にシェルターがあった街だけが生き残り、地上には人は住めなくなっていた。地下都市をつなぐケーブルだけが街の外の情報を伝えてくれている。
奇跡の町ファントマイゾ。アカネ達は昆虫食や循環水でなんとか命をつないでいるというのに、ファントマイゾには甘いお菓子もあればミュージカルの舞台やアイドル歌手もいる。
行ってみたい。住んでみたい。ファントマイゾへ、GO。
こんな地下の街に籠りっきりで、街がまるごとおうち時間(100年前に流行った言葉らしい)だなんてサイテーだ。
アカネは10年以上節約を重ねて、とうとう2万ドルを貯めた。これだけあればファントマイゾの永住権を得られるという。
「ねえタカシ、あたし明日ファントマイゾに行くわ」
「寂しくなるよ」
隣で赤い色を付けただけの水をのむタカシは、昔から表情が豊かではない。人付き合いも苦手で、友達はアカネだけだろう。昆虫と豆と芋くらいしか食べるものがないのにぷくぷくと太っている。
「ファントマイゾに行ったらもっと良い時給で働いて、タカシのことも呼んであげるから」
ファントマイゾに行くなんて夢みたいなことを言い続けているアカネにも、やはりタカシ以外の友達はいなかった。
「僕は無理さ。それよりファントマイゾに着いたら、ブラッククリスタルのレナちゃんにこれ渡してくれよ」
タカシはぷくぷくとした手に持った自作のフィギアをアカネに差し出した。レナとはタカシが熱を上げているファントマイゾのアイドルグループのリーダーだ。
「うん、頑張って会いに行って渡すから」
カバンに食料と水、大事なお金とフィギアを詰めてその夜アカネは旅立った。
ファントマイゾへの道は一つだけ。ケーブルテレビのケーブルをひたすら辿って行くのだ。ケーブルが通っているパイプの幅は人が立って歩くちょうどぎりぎりくらい。ところどころ細くなっていて、そこは這って進まなければならない。
出発してすぐのケーブルには何か紙が巻きつけてあった。ほどいて読んでみると、昔の俳優へのファンレターだった。他にもバッタのクッキーなどのお菓子がケーブルに括りつけられていた。
昔の人はこのケーブルに結び付ければファントマイゾにそれが届くと思い込んでいたと聞く。
「とんだ迷信ね」
アカネは苦笑して、その手紙もカバンに入れた。もしその俳優が存命だったなら渡してあげたいと思ったのだ。
3日経ち4日経ち。アカネは一週間休まずに歩き続けた。そろそろ食料も尽きる。今更戻る事も出来ない。
10日目、もうだめかと諦めたころに、前方に灯りが見えてきた。疲れや空腹を忘れてアカネは走り出す。どんどん灯りが近くなり、ようやく街が見えてきた。
「ここが、ファントマイゾ……?!」
アカネは目を丸くした。
埃にまみれた街並みは、とても既視感を感じるものだった。金物屋や食料品店、錆びた車が小さなダイナーの前に停まっている。アカネが働いていたのとそっくりな店。
ここはファントマイゾではない。アカネはがっくりと肩を落とした。
「お嬢さんファントマイゾを探してるのかい」
うしろから初老の男性に声をかけられた。思わず警戒してカバンを抱きしめる。初老の男は苦笑した。
「大丈夫。何もしやしない。ファントマイゾの主んとこへ案内してやるよ」
なんだ、やっぱりここにあるんだ。アカネは小さく頷いて男の後を追った。この街にもケーブルテレビが置いてある。流れているのは華やかな、ファントマイゾ。
2ブロック歩いた所に煉瓦作りの倉庫があった。男はそのドアを開けてアカネを地下へと案内する。
地下は暗くて湿っていた。机と椅子、古びたソファーだけが見える。
「ファントマイゾを御所望だとさ」
男が言うと、椅子をくるりと回してこちらを向いた青年が言った。
「ふうん、本当にお金を持ってきたんだね。幸運だよ、今なら一人分空いたところさ」
どうやらファントマイゾは定員があるらしい。アカネはカバンをぎゅっと抱きしめて頷いた。
「ファントマイゾに、住みたいんです。どこですか、どこにあるんですか?」
青年は真面目な顔でアカネのカバンを見つめた。
「まずは金をあらためさせてもらうよ」
アカネは素直にお金を手渡すと、きょろきょろと辺りを見回した。薄暗い部屋に灯りはデスクライト一つ、そしてパソコンのモニターが発する光だけだ。
モニターにはファントマイゾの人気スポット、巨大プールの様子が映っている。自分ももうすぐこのプールで泳げるのだと思うと、アカネは喜びで胸が痛くなる想いがした。
「はい、じゃあ今日から君はファントマイゾの住民だ」
そう言うと、青年はレジのバーコード読み取り機のような器具を、アカネに向けて光を照射した。それを何度か繰り返すと、パソコンのモニターにアカネの姿が立体的に映し出された。
その後青年はアカネにゴーグルを渡し、装着させる。アカネの視界にはファントマイゾの世界が広がっていた。
「うん、アバターもいい出来だし問題ないね」
青年は手元のスイッチを入れて部屋の電気をつけた。倉庫の下には一面リクライニングチェアに括りつけられた人間がずらりと並んでいた。唯一誰も座っていない椅子があり、その床にはファスナーがついた大きなビニール袋が横たえられていた。
「こんなの、ファントマイゾじゃ、ない」
アカネはかすれる声を絞り出す。
「まあ、まずは体験してみなよ。リアルさにびっくりするからさ」
アカネは青年から札束をひったくると、カバンに詰め込んだ。悔しくて空しくて涙が出そうになる。
「帰る」
「なんだ、折角空いた席をのがすのかい。後悔したって知らないよ」
「こんなの、何のためにやってるのよ」
青年はまるで表情も変えずに飄々としている。
「もちろん皆の為さ。おうち時間をできるだけ彩ってあげるのが僕の務めだからね。宣伝のためにタダで流してる劣化版でさえみんな喜んでくれるだろう?」
アカネは黙ってカバンの中のフィギュアを取り出し、青年に差し出した。
「へえ、レナちゃん? 手づくり? すごいね、これはファンからのプレゼントってことで今度の歌番組で使わせてもらうよ」
早速青年は例の器具でフィギュアのデータを読み込むと、大事そうにパソコンの横に飾った。
地下を出て街の食料品店で買い物を済ませると、アカネは再び自分の街へと歩き出した。背後から壊れかけたテレビモニターから聞こえる声が追いかけてくる。
『働いて、稼いで、ファントマイゾへGO!』
「ファントマイゾから帰って来た女」アカネに、街の人々は様々な質問を投げかけた。しかしアカネは黙して何一つ語らなかった。そのうち人々も気にしないようになり、タカシは相変わらず色のついた水を飲みながらアカネにレナの話をする。
彼が作ったフィギアをレナが受け取った事を喜んで皆に話して回ったが、誰も取り合わなった。アカネもタカシも何も変わらず、友達が増える事もなかった。
ただ一つ、アカネは彼女の尻を掴んだ男にかかと落としをお見舞いして、店を首になった。
しかし次の仕事を探すのは焦らなくてもいいとアカネは思っている。何と言ったって、理想郷に移住できるだけの貯金が、今の彼女にはあるのだから。
了
(お題:おうち時間)
ファントマイゾへGO! 千石綾子 @sengoku1111
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