第9話 鬼炸裂鬼パンチ

 校舎から体育館への渡り廊下。遠目からでもわかるくらいに体育館のまわりはギャラリーで溢れかえっていた。

「まさか岩田に逆らう人間がいるなんて思わないよな」

「ああ、しかも一年生だろ? 勇気があるっていうよりイカれてるよな。校門で岩田の顔に唾吐いたらしいぜ」

「俺が聞いた話では毒霧を吐いたらしい」

 あちこちで噂されている。しかも話にはだいぶ尾ヒレがついている。


「すいません。ちょっと通してください」

 人ごみをかき分けて体育館の入り口へと向かう。俺を先頭に師匠たちがぞろぞろと付いてくる。

「あいつが吉備か……」

「ぜんぜんヤンチャ・ボーイじゃないな」

「どう見ても岩田に勝てるわけねぇよ」

 ひそひそと声が聞こえてくる。

「うるせぇよばーか! 文句あんならてめぇらが戦ってみるか!?」

 俺のうしろの方から勢いよく猿江が叫んだ。

 猿江の大声に反応したのだろうか、人だかりが割れて体育館への道がひらけた。


 体育館はざわざわと騒がしい喧噪につつまれていた。辺りを見渡す。キャットウォークは人でひしめき合っている。生徒はもちろんのこと教師の顔もちらほら見える。ドアや窓はすべて解放されていてそのどちらからも生徒たちが顔を覗かせていた。

「ほぉ~人間がいっぱいいるのぉ!」

 師匠が周囲を見渡して驚いている。

「それじゃあ俺たちは壇上から見てるからがんばって! ほら、エンマちゃんも」

 そう言って犬井たちはキョロキョロする師匠を引きずって壇上のほうへと向かった。引きずられながら師匠は俺を見ると中指を立てた。

「た、たぶん親指と間違ってるな……」

 そう言って俺は体育館の中央にひとり立っていた。目を閉じて鬼力に集中する。何度も右手に鬼力を移動させるイメージをした。

 

 急に周囲が静かになった。ゆっくり目を開ける。振り向いて体育館の入り口をみる。

 岩田先生が現れたのだ。その肩には校長像をかついでいる。

「またせたな吉備!!! 俺はおまえを見捨てない!!! 絶対に……絶対に……」

 そう言いながら岩田先生は肩にかついだ校長像の頭と胴に手をかけた。

「更生させてみせるからなぁ!!!」

 校長像が真っ二つに割れる。

「アルゼンチン・バックブリーカー!」

 キャットウォークから声がした。

 ガランと音を立てて像は床に転がった。岩田先生は手を払って首を鳴らしている。次はおまえの番だとでも言うような態度。俺の頬に汗が伝ったのがわかった。

「私の像が……」

 校長らしき声としくしく泣く音が聞こえてくる。気の毒だ。

「さぁて、ルールの確認だ! 互いに全力でぶつかり合う! 10分後に吉備が倒れずに立っていられればおまえの勝ちだ! 吉備が倒れていたなら先生の勝ちだ! 以上だ!!!」

 シンプルなルールだ。そこにはもちろん岩田先生が倒されるということはまったく考慮されていない。

「岩田先生、説明ありがとうございます」

 俺はまっすぐに岩田先生の目を見る。

「なに!? 『岩田センコーぶっ殺す夜露死苦』だと!? 見上げたヤンキー根性だな吉備ィ!!!」

 目をキラキラさせながら言ってきて怖い。

「言ってない! 言ってないですって!」

 慌てて否定する。それにしても岩田先生よ、なんかヤンキー感が古くないか。

「心配するな吉備! 10分後には俺の腕に抱かれてすっかり更生している姿が見えるぞ! このビッグ・岩田・ジャイアントに任せろ! あっそれっ! B・I・G!!!」

 岩田先生のバカでかい手拍子が体育館中に響く。釣られてギャラリーたちも声をあげる。

「「「B・I・G! B・I・G!」」」

「それじゃあ試合開始だ! 行くぞ吉備!!!」

 体育館の熱気が最高潮に達したかと思われたところで岩田先生が試合開始を宣言した。


「先手必勝だぁ!!!」

 体育館の床を蹴る音。岩田先生が腕を振り上げて突進してくる。

 早い。5メートルはあったであろう間合いが一瞬で詰められる。

 俺の顔めがけて飛んでくる拳をかわす。

 ゴオっと音が過ぎたあとに髪の焦げるにおいがする。

 これは……一撃でも食らったらヤバい。

「やるなぁ吉備! このヤンチャボーイめ!!!」

 そう言って嬉しそうにパンチを連打してくる。

 右左右左右左。身体を腰から回転させて避ける。

 パンチは止まらない。

 避けるたびに髪の毛に拳がかすっているのがわかる。

「ヂリッ」

 このままいくとパンチパーマになってしまうかもしれない。それは嫌だ。

 そんなことより考えないといけないことがある。

 この調子で打たれ続けたら、鬼力どころか体力だって保つかどうかわからない。なんとかしなければ。そう思ってはいてもよけることで精一杯だ。


 もう3分くらいは経ったろうか。

「1分経ったぞ!」

 壇上から猿江の声が聞こえた。

 嘘だろ。体感時間がまったくあてにならない。

 そうか。これが戦うってことなのか。俺はいま戦っているんだ。

 キッと岩田先生をにらむ。考えろ孫太郎。攻撃をするんだ。

 頬が熱くなる。

 そう思った瞬間に視界がゆれた。

 どうなってんだ。

 身体が思うように動かない。そして俺の身体が床に打ち付けられた。

 床の冷たさを頬に感じる。

 殴られたことにようやく気付いた。左頬が鈍い痛い。

 急いで身体を起こして立ち上がる。足がふらつく。

 岩田先生は俺に背中を向けて両手をあげている。

「ちくしょう、もう勝った気でいるのかよ……」

 俺の声に気付いてくるりとこちらを向く。

「ほお、すごいな吉備!!! 先生の対ヤンキー格闘術を喰らっても立ち上がるのか!!!」

 岩田先生は驚いたような、うれしそうな表情をして手を叩いている。

「俺には鬼退治が待ってるんですよ。こんなところで負けてる場合じゃないんです」

 強がってはみたものの膝が笑っている。

「ダメだ!!! おまえをこのまま族の抗争に参加させるわけにはいかねぇ!!!」

 なんかムカついたので鬼力を込めて自分の膝をたたく。少しはマシになった気がする。

 手痛い一発をもらってしまったが、そのぶん覚悟も決まった。

 今度は俺から当ててやる。一気に足を踏み出す。ギュっと床が鳴る。

 

 俺の気合いとは裏腹に、ふたたび岩田先生の連続攻撃を避けるばかりだ。

 俺は左右に身体を振りながら右手に鬼力を込める。なかなか拳のほうに集められず腕全体に集まってしまう。

 こめかみを拳が通り過ぎてハッとする。

 段々と左右のパンチのスピードに慣れてはきたが、鬼力ばかりに集中してはいられない。

 そう思った瞬間、岩田先生のパンチのリズムが変わった。連続で左左と打ってきた。

 しまった。当たる。とっさに右手を上げてガードする。痛い!

 あれ、痛くないな。

 俺はいったん飛び退いて距離をとる。右手を確認するがなんともない。

「おお……」

 うなり声が聞こえる。痛がっているのは岩田先生のほうだった。

「うまく肘を使ってガードしたんだ!」

 キャットウォークから声がする。

 いや、違うな。これは鬼力だ。

 そう思って壇上で観戦している師匠のほうを見る。

 メチャクチャうなずいてから両手でピースしてみせている。

 やっぱりそうだ。攻撃だけじゃないんだ。

 鬼力は防御にも使える。それなら俺の鬼パンチを当てる方法はいくらでもある。


「よっしゃあああああ!!!」

 体育館全体が岩田先生の大声でビリビリと揺れた。

「吉備ィ!!! 先生も本気出すからなぁ!!!」

 そう言って自身の上着を脱いで投げ捨てた。「本気出す」と言って腕をまくるやつの体育教師バージョンだ。 

 しかし投げ捨てられた上着はドスンと音を立てた。シンとした体育館中に音が響く。

 あれだ。メチャクチャ重い服だ。

 気持ちの話じゃなくて、本当に本気を出すって意味だったんだな。ゴクリと唾を飲む。

 いや、負けるなよ。俺だってこれから本気だ。

 緊張しているんだか、わくわくしているんだかわからないが胸がうるさい。

 ドンと胸を叩いて岩田先生が迫ってきた。


 走る勢いをそのままに乗せたパンチ。そこから左右のコンビネーション、先ほどよりも明らかにキレが良くなっている。

 だが俺は焦らずに自分のやるべきことに集中する。

 パンチのリズムが変わったときが勝負だ。

 そのタイミングはすぐにきた。

 左拳が俺の頬をとらえた。そしてすかさず右のストレートが飛んでくる。

 ここだ。

 正面を向く。右ストレート目がけて額をぶち当てた。

「なぁ!!!」

 動きの止まった岩田先生のアゴ。俺の右拳がそのアゴを揺らした。

 

 身体の力が抜ける。

「孫太郎」

 かすかに師匠の声が聞こえた気がした。

 意識が薄れていく。

 そのまま俺は気絶した。

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