打ち上げへのカウントダウン

まにゅあ

打ち上げへのカウントダウン

 六畳半のワンルーム。広いとは言えないけれど、せまいと言うには贅沢ぜいたくな部屋。

 薄茶色のカーテンから差し込む陽の光が、学習机に広げていた参考書に、橙色の影を落としている。

 きしむベッドから身を起こすと、パッとほこりが舞った。きこみながらカーテンを開けると、遥か遠くに赤く染まる富士山が見えた。近くの建物に遮られてふもとの方は見えないけれど、間違いようのない美しいフォルムをしていた。

 昔から近くで見てきた富士山の姿は、いつしか僕の頭の中でアイスみたいに溶けて、代わり映えのしない風景の一つになっていた。そのことに気がついたのは、ごく最近のこと――外出自粛じしゅくが叫ばれ、予備校に行けなくなり、アパートにこもって一人で勉強することに疲れ、どうしようもないほどに気持ちがふさぎ込んでいたときのことだった。

 一人暮らしをすることに決めたのは半年前。大学受験に落ちた僕は、次は必ず志望校に合格するぞと意気込み、両親に頼んで志望校の近くにアパートを借りてもらった。アパート近くの予備校に向かう道すがら、楽しそうに志望校に通う大学生たちを目にしながら、「僕も来年は同じ大学の学生になってやる」とモチベーションを高めつつ一年間受験勉強に取り組もうと思ったのだ。

 しかし、残念ながらそうはならなかった。

 予備校の校舎に足を運んでいたのは始めの一か月だけで、以降は外出自粛の影響で予備校の授業はオンライン配信になった。「またすぐに校舎に通えるようになるさ」と当初は気楽に受け止めていたが、感染症の流行は一向に収まる気配がなく、気づけば数か月が経ち、パソコンと向かい合う日々が当たり前になっていた。体の不調に気づいたのもこの頃だ。朝起きるのが億劫おっくうになり、布団から出るのが辛くなった。

 身体が重い。勉強が手につかない。

 オンライン授業も休みがちになり、キーボードに灰色の埃が積もり始めた。

 両親から毎日メールが届いた。

 ――授業受けてるの?

 ――返事しなさい!

 ――大丈夫? 風邪? そっち行こうか?

 日に日に優しくなる文面を見て、辛くなった。自分が斜面を転がり落ちていることをまざまざと見せつけられている気がしたから。

 こんなことなら、家で勉強していればよかった。

 後悔の念に押しつぶされていた僕は、ある日、空腹に気がついた。台所をあさったが、食べ物は何もなかった。いつの間にか全部食べてしまったらしい。

 手近にあったくたびれたジャージを着て、アパートを出た。

 東の空が赤く染まっていた。

 朝早くてコンビニが閉まっているかもなんて考えは浮かばなかった。

 ――お腹が減った。

 僕の頭の中にあるのは、それだけだった。

 朦朧もうろうとした意識をたずさえてコンビニに辿たどり着く。店は開いていた。

 店に入った僕は目についた食料をカゴに突っ込んでいった。すべてが美味しそうだった。

 山盛りになって持ち手を掴むこともままならなくなったカゴをレジに持っていく。そのときの店員がどんな顔をしていたのかはよく思い出せないし、たとえ覚えていても思い出したいものではない。

 店を出るなり、買った食べ物にかぶりつく。

 あんぱん、梅おにぎり、バタートースト――順番なんてめちゃくちゃで、だけどそんなの気にしてなんていられなかった。ただ、胃袋が、腸が、脳が、内臓が、身体が、食べ物を求めていた。

 食欲が収まるまで店の前で食べ続けた。迷惑そうな顔をした店員が店から出てきて何か言っていたような気もするけれど、構ってなんかいられなかった。そのうちに諦めたのか、僕が周りを見られるほどに腹を満たした頃には、彼あるいは彼女の姿はなかった。

 代わりに僕の目に飛び込んできたのは、遥か向こうに気高くそびえ立つ富士山だった。それは両親の住む家から見るよりもとても小さかったが、赤く染まった山体は炎を上げて飛び立つ巨大なロケットのようだった。地上を離れ、彼方へと向かうそのロケットは僕の身体をも熱く燃やしてくれた。

「……勉強、頑張るかな」

 胸の内で打ち上げへのカウントダウンを鳴り響かせながら、僕は朝焼けに染まる道を歩き始めた。

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