第8話 二人の会話 その6

岡本晃司「さっき日本国憲法の話をしたけど、このまま我々が手をこまねいてなにも

     出来なかったら恐らくこの世界も、俺らの知ってる戦後を迎えることに

     なるよ。

     今は大日本帝国憲法下とは思うけど、ちょっと我々の世界について

     話してみようよ」


園田一花「はい」


晃司「さっき憲法九条の話がでて九条削除とかの話をしたけど、そこでも少し触れた

   ように俺は日本国憲法自体認めてないんよ。

   その歴史からいうと昭和20年[1945年]8月、アメリカ軍を主力とする

   連合国軍が日本の占領を開始したよね。

   とはいえ、実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダグラス・マッカーサー

   を最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京に置かれた

   のはご存知の通り。

   GHQの最大目的は、日本を二度とアメリカに歯向かえない国に改造すること

   やったのもご周知の通り。

   そこで、明治以降、日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し。

   憲法を作り替えることに着手するけど、同年10月GHQは日本政府に対し、

   大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示するよね。

   これは実質的に帝国憲法放棄の命令に近かったのやけど、

   幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣は改正の草案を作ったが、発表前に

   毎日新聞社に内容をスクープされてしまうんよね。

   草案の中に天皇の統治権を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を

   示し、GHQの民生局に独自の憲法草案の作成を命じるんやね。

   もちろんこのとき、戦争放棄条項がマッカーサーの念頭にあったことは言う

   までもない。

   ハリー・トルーマン政権の方針に基づいて民生局のメンバー25人が都内の

   図書館で、アメリカの独立宣言文やドイツのワイマール憲法、ソ連の

   スターリン憲法等から都合のいい文章を抜き書きして草案をまとめ上げた

   のよね。

   メンバーの中に憲法学を修めた者は一人もいなかったんやけど驚くことに、

   彼らはわずか9日で草案を作ったのよ」


一花「日本国憲法草案の大体の中身の正体と作った日数はある程度存じていました。

   本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、歴史観、宗教観を含む

   多くの価値観が色濃く反映されたものであって然るべきですね」


晃司「うん。ところが日本国憲法には、第一条に天皇のことが書かれている以外、

   日本らしさを感じさせる条文はほぼない。

   俺らが防大でよくやったおさらいやけど、そうして作られた憲法には、

   今日まで議論の的になっている条項、いわゆる九条がある。

   それは2項あるよね。

 

    1項.日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の

      発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使、国際紛争を解決

      する手段としては、永久にこれを放棄する。

    2項.前項の目的をたするため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持

      しない。

      国の交戦権は、これを認めない

 

   これやね。いわゆる戦争放棄として知られるこの条項は、マッカーサーの強い

   意向で盛り込まれたものやったけど、流石に民生局のメンバーからも、憲法に

   こんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないかと

   反対する声があがったと言われているね。

   そのため、前項の目的を達するためという文言が追加されまあこれが芦田修正

   なんやけど自衛のために戦力を保持することが出来るという解釈を可能とする

   条文に修正されたけど、日本人の自衛の権利すら封じる旨を謳っていること

   には変わりないね。

   GHQはこの憲法草案を強引に日本に押し付けた。

   内閣は大いに動揺したけど、草案を吞まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶで

   あろうことは誰もが容易に推測出来たね。

   この時草案を受け入れた幣原首相は、後に憲法九条は私がマッカーサーに

   進言したと語っているけど、それはあり得ない。

   九条は、トルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意志であり、

   戦争放棄についてはマッカーサーが民生局に手渡したとされる指示ノートが

   残されている。

   幣原と言う人物は、かつてワシントン会議においてアメリカの策略に乗って

   日英同盟を破棄した張本人であり、満州や中国で日本人居留民が中国人から

   たびたび嫌がらせを受けても、自重する様にと言い続けた当時の外相やね」

 

一花「新憲法は手続き上は、大日本帝国憲法を改正する形式をとり、衆議院と

   貴族院で修正可決された後、日本国憲法として昭和21年[1946年]

   11月3日に公布され、翌年5月3日に施工されましたね」


晃司「アメリカを含む世界44か国が調印しているハーグ陸戦条約には、戦勝国が

   敗戦国の法律を変えることは許されないと書かれているのは知ってるね。

   もちろんつまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、

   明確な国際条約違反やんね。

   それにそこでポツダム宣言は無条件降伏やないかという人もいるやろうけど

   あれは大日本帝国陸海軍が戦勝国に無条件降伏するということであって

   大日本帝国や政府は条件降伏やもんね。

   この2点だけでも十分俺が日本国憲法を認めないという理由でおかしいかな?

   今話した内容が大体その理由やけど」


一花「いえ、おかしくないと思います。十分だと思いますね」

 

晃司「園田さんは極東国際軍事裁判通称東京裁判についてはどう考えてる?」


一花「連合国軍は占領と同時に日本に対して様々な報復措置を行いましたが、その

   最初は東京裁判ですね。

   これは裁判という名前がついてはいますが罪刑法定主義という近代刑法の

   大原則に反する論外なものであると考えます。

   一応わかりやすく言えば、東京裁判では、過去の日本の行為を、後から新たに

   国際法らしきものをでっちあげてさばいた事後法による裁判ですね。

   これは法律不遡及の原則に反し、近代国家では認められていませんね。

   正確に言うと、東京裁判の根拠となったものは、極東国際軍事裁判所条例と

   いって連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが出した一般命令第一号

   という行政命令に過ぎず、実は事後法以前の問題ですね」


晃司「連合国軍は、戦争犯罪人通称戦犯をA、B、Cという3つの等級ではなくジャンル

   に分けて裁いたよね。

   B、C項目の罪状は主に捕虜の殺害や虐待に関するもので、約数千人の元軍人や

   軍属が死刑になったよね。

   その中には実際には無実やけど誤審によって死刑となった者も少なく

   なかったね」


一花「Aの罪状は平和に対する罪というもので、28人が昭和21年[1946年]4月29日

   に起訴されましたね。

   この日は昭和天皇の誕生日で、明らかに連合国軍の嫌がらせでしたね。

   このうち、1人は精神障害で訴追免除、2人は判決前に病死し、実際に判決を

   受けたのは25人でした。

   うち7人が死刑判決を受けましたが、いずれも事後法による判決ですね。

   ただ、この裁判の判事の中で国際法の専門家であったインドのラダ・

   ビノード・パール判事は、戦勝国によって作られた事後法で裁くことは

   国際法に反すると言う理由などで、被告人全員の無罪を主張してますよね。

   死刑判決を受けた7人のいわゆるA級戦犯は昭和23年[1948年]12月23日、

   絞首刑で処刑されました。

   この日は皇太子の誕生日でありましたが、この日を処刑の日に選んだ所に、

   連合国軍の根深く陰湿な悪意が伺えますね」


    2人の会話はまだまだ終わらない。

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