26 とある昔話とめいの気持ち
「怖がって、いる……?」
「そ。ただそれだけの話ってヤツです」
恐る恐る尋ねるめいに、莉子があっけらかんと答える。
「今のめいさんみたいなことを言う人って、大抵怖がって自分の気持ちを押し殺してるだけなんですよ。それで最後は、チャンスを逃して後悔する――そんな結果を迎えるパターンが関の山ですね」
軽い口調で語る莉子だったが、めいにはそれが重々しく聞こえていた。ただ単に誰かの受け売りを喋っているのではない。確かな筋を得た上で、それを持論として語っているのだと。
そんな驚きを隠せない様子を見せているめいに、莉子はフッと笑みを深める。
「少し……昔話をしてみましょうか」
その言葉にめいが注目し始めたのを見て、莉子は語り出す。
「あるところに、お父さんとお母さんに囲まれた小さな女の子がいました。傍から見ればごく普通の家庭でしたが――その子はお母さんの笑う姿を、一度たりとも見たことがなかったのです」
それを聞いた瞬間、めいはハッと目を見開いた。しかし莉子は小さな笑みを浮かべたまま、淡々と話を続ける。
「女の子はお母さんの笑顔が見たくて、色々なことをしました。おどけてみたり楽しいお話をしたり、学校や習い事でいい結果を残したり。その甲斐あって笑顔を引き出せたかと思われましたが、それは表面上だけ。女の子に隠れて辛そうな表情を浮かべる頻度が、むしろ増えてしまいました」
無論、女の子なりに必死だったことは間違いない。しかし如何せん幼かった。母の辛さを本気で理解していたとは、お世辞にも言えなかったのだ。
そしてその母は――遂に限界を迎えてしまった。
周りから放たれる驚きの声、そして我を失う勢いで号泣していた父の声に呑まれて気付かれなかったが、女の子も激しい悲しみと後悔の涙を流していた。
女の子は、そこでようやく分かったのだ。
母の笑顔を引き出そうとしたのは、自分に振り向いてほしかったからなのだと。要するに、全てにおいて母のためではなく、自分のためだったのだと。
笑顔が見たい――それは単なる言い訳に過ぎなかった。
それに気づいたときには既に手遅れ。最愛の母は、もう目を覚ますことはなく、ひたすら自分の背中に重しがのしかかる気持ちに駆られていた。
「子供だったんだから仕方がない――それも通じることでしょうけど、その女の子は納得できませんでした。でもそんなときに、声をかけてくれた子がいました」
誰もが気を遣う中、その子だけは今までと同じように接してきた。遠慮なく人の領域にズカズカと入り込んでは、好き勝手振る舞い、やがていつものような言い争いに発展する。
そして気がついたら笑い合っており、女の子の暗い気持ちは吹き飛んでいた。
「女の子はいつもの明るさを取り戻しました。しかしすぐに、お父さんのお仕事の都合で引っ越すことが決まり、その子とは離れ離れになってしまいます。しかし女の子とその子の関係は、そこで終わりませんでした。正確には……女の子が絶対に終わらせようとしなかったのです」
もう母親のときと同じ後悔はしたくない。繋がりを途切れさせてたまるか――その一心で、女の子とその子は連絡を毎日取り合うようにした。
内容はなくても良かった。本当に他愛もない話をする日々が何年も続く。
「その甲斐あって、女の子は心の拠り所を失わずに済みました。そしてその子がお父さんの元を飛び出した際にも、真っ先に連絡を取り、その子の元でしばらく暮らすことになり、無事に大人になりましたとさ――めでたしめでたし」
莉子が話を締めくくると同時に、自分でパチパチと拍手を鳴らす。
ここまでずっと黙って聞いていためいは、若干戸惑いに満ちた様子で、莉子に視線を向ける。
「莉子さん……えっと、その女の子のことなんだけど……」
恐らくというか、間違いなく莉子は自分の体験談を喋ったのだと、めいは殆ど確信に等しい形で思っていた。しかしあくまで本人は、とある女の子の昔話として語っていたため、ここは自分もそれに合わせるべきだと思った。
とはいえ、仮に直球で問いかけたところで、普通にはぐらかされていた可能性はあるような気もしていたが。
「つまりその女の子とやらも、色々あったということかしら?」
「それも確かにありますけどね」
莉子は涼しい笑顔で頷く。
「ここで重要なのは後半部分――チャンスを逃さなかったことですよ。女の子が自らの遺志で、『その子』との繋がりを保ってきたんです」
「えぇ。詳しいことは分からなかったけど……」
登場人物についてはともかく、話の内容そのものについては、めいも素直に思える部分はあった。
「女の子はそれ相応の行動をしたんだなぁ、というのは理解できた気がするわ」
「それはなによりです」
めいの回答に満足したらしい莉子は、嬉しそうに笑った。そしてそのまま、真剣さを増した視線をめいに向ける。
「女の子が行動できたのも、お母さんの二の舞になりたくなかったから……あんなに辛い後悔を、二度と味わいたくなかったからです。相手の気持ちがどうとか、そんなことを気にしている場合じゃないとね」
「そう、だったのね……」
「後悔先に立たずとは、よく言ったものだと思いますよ」
「確かに」
めいは納得するしかなかった。後悔した時点でもう遅いのだというのは、彼女なりに分かるつもりでいた。
「――私もその女の子を見習って、行動することを決意しました。実は今日、兄さんの元へ来たのも、その一環だったりするんです」
莉子が仰向けとなり、天井を見上げながらしみじみと話す。
「流石に、かなり緊張しました。顔も知らない兄に会いに行って、急に『妹だ』なんて言ってしまえば、相手が戸惑うのは目に見えてます。実際兄さんも、私が名乗ったときには、かなり驚いていましたからね」
「えぇ……でも猫太朗さん、割とすぐに受け入れてた感じだったわ」
「そうですね。おかげですぐに打ち解けたと思います」
視線を向けながら笑う莉子は、とても嬉しそうであった。思わずめいも微笑んでしまうほどに。
「結果的に、会いに来て正解でした。遠慮しなくて本当に良かったと思ってます。まさか兄さんと一緒に働けるようになるとは、予想外でしたけどね」
「フフッ、きっと猫太朗さんも嬉しかったのよ」
「だといいんですけど」
そう言いながらも莉子は、内心で心躍っていた。これまで家族の愛をあまり感じてこなかった反動もあるのかもしれない。
「まぁそんな感じで、考えるより動くのも大事だと、私は改めて知りました。何もせずに後悔するくらいなら、何かした上で後悔したほうがよっぽどマシ――それだけは間違いないと、強く思っています」
「――莉子さんは強いわね。私なんて全然ダメだわ」
「ダメなんかじゃありませんよ」
しみじみとしていたのが一転、落ち着き払った声が、室内に響き渡る。めいが思わず視線を向けると、神妙な表情で莉子も顔を向けてきていた。
「めいさんはまだ、自分で何もしてないだけです。これからが本当の勝負ですよ」
「これから、が……」
「そうです!」
莉子は強く断言した。
「兄さんに迷惑かけっぱなしとか言ってましたけど、それで遠慮されるほうが、よっぽど迷惑になると思いますよ? 兄さんならきっとそう言います」
「そ、それは……」
「大体、さっき話していためいさんの気持ちは、めいさんが自分で勝手にそう思っているだけですよね? 兄さんにちゃんと聞いたりしましたか?」
「……してない、です」
「でしょうね」
苦笑する莉子に対し、めいは布団の中でしょんぼりとする。
何もかも正論なことに加えて、完全に言いくるめられてしまったという情けなさも感じてしまった。
するとここで莉子が、ハッとした表情を見せる。
「でも、考えてみたら私も、勝手に決めつけてたようなことを言ってましたね」
「……いいえ。莉子さんの言うとおりよ。私は怖がっているだけなんだわ」
めいも仰向けになり、天井を見上げる。
「もし全部が自分の勘違いだったらどうしよう。あの笑顔も社交辞令の域を出ていないとしたら、今度こそ立ち上がれなくなるような気がする」
「だからこそ踏み出せない?」
「えぇ」
「つまりそれくらい、兄さんのことを想っていると――」
「そうね。そこは否定しないわ」
すんなりと認めるめいだったが、その声は少し震えていた。本当にそうなのかどうかという不安があるのだ。
めいは天井に向けて、小さなため息をつく。
「……でも、急に飛び出すのは怖いから、少し様子を見てみようと思う」
「それでいいと思いますよ。真剣に考えるってことですもんね」
「えぇ。本当にありがとう莉子さん。感謝するわ」
「とんでもないです。私こそ、生意気なことを言って、ホントすみませんでした」
「私も、本当に情けない姿を見せて……ふふっ」
「えへへっ♪」
莉子とめいが笑い合う。もう悩んだりしている様子は見られず、そのまま二人の夜は静かに過ぎていくのだった。
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