再生
私池
父親
「お父さんおはよ」
「あ、あぁ......おはよう夏帆」
娘の挨拶に驚き、うまく挨拶を返せなかった。
朝「おはよう」を彼女から言われたのは何年ぶりだろう。
彼女とは中学生になってから段々と疎遠になり、高校生になった一昨年からは口をきかないどころか、ほとんど顔すら合わせなくなった。
別に別居や単身赴任してた訳ではない、ただ避けられていた。 たぶん疎ましく思われていたんだろうと思う。
確かに仕事を口実に彼女との交流をしなかったのは自分だが、それでも昔は学校行事には積極的に参加していたつもりだったし、家族旅行や小さい時は遊園地に二人で行ったりもしていた。
ただそれも彼女が中学に入ると途絶えてしまった。 俗に言う第二反抗期だったのだろう。
それ以来、私達親子は微妙な距離感の中で生きてきた。
週末も友人と会うために朝から出かけたり、試験勉強で部屋から出てこなかったりすりようになった。
洗濯物を分けられたりはしていなかったが、たまに食事で顔をあわせても会話はなく、食べ終わればすぐに自室へ行ってしまう彼女に私は何も出来なかった、いや何もしようとしていなかった。
ただ一緒に住むだけで親子である事を維持できるわけではない事は分かっていた。 しかしどうやって接すれば良いのか分からなかった。
そうして私達はいつの間にか親子でいて親子ではなくなっていた。
そして彼女を表す言葉が「娘」から「彼女」になっていた。
コロナ対策で仕事がリモートワークになって早一年、そんな彼女と顔を合わせる機会が増えた。 彼女も授業がオンラインになり、外出を控える様になると、夕方からリビングでスマホをいじっている彼女を見かけるようになった。
週末だけでなく平日も夕食は家族揃って食べるようになった。
はじめは無言の夕食だったが、少しずつ会話もするようになった。
今見ているテレビ番組の事や、コロナの事、友達の事。
なるべく聞き役に徹して相槌を打つように心がけたのもよかったのだと思う。
そして彼女と会話できた事で、彼女に嫌われていたのではないと分かった時は救われた。
嫌われていたら立て直すこともできなかっただろうから。
クイズ番組でテレビに向かって解答する彼女を見て、成長したなと思うのはおかしいだろうか。
生まれてきてくれた時、パパと言ってくれた時、ハイハイした時......あんなに小さかった子が、こんなに大きくなってくれて。 でも私の記憶には中学二年からついこの前までの彼女が、いない。
私の中の彼女は、中学二年生のまま止まっていたのだから。
もっと話せば良かった、もっと一緒にいれば良かった、でもそれは叶わない事。 私に時を巻き戻す事などできないのだから。
いつか彼女が結婚する時、中学生までの彼女しか知らなかったら......
でもリモートワークは私に時間と、彼女と一緒にいられるチャンスをくれた。
最悪の事態はまだ避けられる。
だから私は彼女にウザがられない程度に話しかけたのだ。
そして今朝、彼女から挨拶された。
その場は平静を装ったが、気を緩めると目頭が熱くなりそうだったので、顔を洗うフリをして洗面所に向かった。
おうち時間、stay home、自衛のためとはいえ外出を避けた事で、通販や配達業など一部を除き多方面に深刻な打撃を与えられた事は否めない。
しかしそのおかげで、家族との時間を持つ事ができ、彼女とまた家族になれた自分はその一点で幸運だった。
このまま「彼女が」ではなく「娘が」と自然に思える日が来るように、ゆっくり家族の絆を結び直していこう。
ネットでは色々なおうち時間の有効な使い方が提案されている。
趣味、健康、娯楽、e.t.c.
でも私のような家族より仕事を取って後悔している人間にとっては、家族関係の再生、再構築を行う良い機会だと思う。 私にすらできたのだから。
洗面所の鏡の中で、四十八歳の男が顔をにやけさせながら私を見ていた。
〜了〜
再生 私池 @Takeshi_Iwa1104
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