2 彼女の家出とラムレーズン

 僕の会社は忙しい。毎日毎日、次から次へと依頼が来る。もう本当、これぞ社畜というものだと思う。納期は間に合わせなければいけないし、現場の人は頑張ってくれている。

 でも、仕事があるのは幸せなことでもあるのだ。


 


 ある朝、僕は妻と喧嘩をした。彼女が弁当を作ってくれていたのをすっかり忘れて、僕は家を出てしまったのだ。バイクに乗る前に妻が窓を開けて何かを叫んでいた。「弁当が!」と聞こえたが五階まで戻るのも面倒で「今日は君が食べて!」と叫んで会社へ向かった。


 その日の昼休みはコンビニのおにぎりで済ませ、心なしか早く上がれた僕はいそいそと家へ帰った。


 ところがだ、部屋の電気が消えている。不審に思いつつ階段を上がり部屋の前へ。ブザーを押すけれど反応はない。

 出かけてるのかと思いつつ時間は夜の八時を既に過ぎていた。鍵を開けて中に入るが部屋の中はシンとしている。キッチンにもなんの食事の準備もされていなくて、一瞬僕は朝の事を考えた。


 リビングへ行くとテーブルの上に紙が置いてある。そこには一言


『探さないでください』


 と書いてあった。


 家出か? 家出をするとしても彼女にはまだこの辺りに友達がいない。そして彼女の実家はとても遠い。新幹線で途中まで行って乗り換えるか、飛行機で行くかしなければ辿り着くことはできない。それを考えると将来の事を考えてお金の管理をしていて、缶ビール代もせしめるような彼女が、おいそれと交通費に数万円も出すはずはないと考えた。


 一応電話をしてみるが、電源を切っているようで繋がらない。


——二十二時を過ぎるようだったら探しに行くか……


 僕はキッチンの棚の中からカップメンを出し、お湯を沸かして注ぐと、リビングへ戻った。テレビを付けて、一人カップメンを啜る。テレビの音以外の気配がないのは結構寂しいものだな……そんな事を考えながら僕は風呂を沸かした。テレビはお笑いタレントがネタを披露しているけれど、全然面白くない。

 

——ひとりの時間ってこんなにつまらなかったっけ?


 風呂はすぐに沸いた。


——入る準備だけをして、探しに行くか……。


 隣の部屋へ移動してチェストから自分の着替えを取り、脱衣所に着替えを置いておこうと部屋を出る。

 その瞬間、背後から『バン!』という凄い音がして押入れの扉が開いた。

 ビックリして振り向くと彼女が押し入れから出てくる所だった。え? 押入れに居たの? まさかサザエさんのような事をするとは……


「何してるの?!」


 彼女は怒っている。


「……何って、風呂の準備をしようと思って」

「なんで風呂の準備してるの?! 普通奥さんが探さないでくださいって手紙を書いていなくなったら、探すでしょう!」


 彼女は怒っている。


「いや……だって実家に帰るとしても交通費は高いしさ……」

「でも普通は探すよね!」


 彼女は怒っている。


「あ……遠くにはいけないと思って、風呂の準備してから探しに行こうかと……」

「ちょっとトイレ!」


 どうも彼女は僕がすぐさま探しに出ると思ったらしい。そしてバイクの音がした時に押入れに入ったのだ。だけど待てど暮らせど僕が探しに出ないので、トイレを我慢できなくなった。


「本当、信じられない! 普通探すよね!」


 まだ彼女は怒っている。


「今朝の弁当のことはごめん。今日は朝に会議があったんだ。だから遅れるわけにはいかなかった。それに家計簿をちゃんとつけている君が無駄なお金を使うわけなはないと思ってさ。僕の奥さんはしっかり者だから、将来の事をちゃんと考えているし。僕の可愛い奥さんは本当に僕が心配するような事はしないと思ったんだ。信頼している唯一の女性だからさ。となるとこの辺にいるだろうと思っていたし……僕の奥さんは可愛いから……」


 僕は笑いに走らずに真面目な顔で訴えた。言っている間に彼女の顔が赤くなっていく。


「ハ……ハー○ン○ッツのラムレーズン。それで許す……」



 その一言は心からほっとした。今こそラムレーズンの力が必要だとも思った。


 でもその後一週間、僕は遅くに帰るしかなく、近所のコンビニにラムレーズンはなく、ハーゲ○ダッ○のラムレーズンを食べるまで『妻を探さない夫』というレッテルは外れる事がなかった。


 遠くのコンビニに○ーゲン○ッツのラムレーズンを見つけた時の僕の気持ちをわかってくれるだろうか?




 僕はラムレーズンに救われたという話……


 

 


 



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