僕と君の時間

森嶋 あまみ

1 ある日のレストラン

 僕は大好きな彼女と結婚した。大学時代から付き合って七年、意外と付き合いは長かった。そんな彼女の行動にはたまに驚かされる事があり、僕は彼女のそんなところも気に入っている。彼女の発想は天才じゃないかと思うことすらある。


 そして結婚して半年。僕の仕事が忙しいせいで、毎日は彼女との時間がちゃんと取れていない。でも僕自身は毎日帰ると彼女がいる事が嬉しくて、休日は彼女を連れ出して美味しい店を探し、この生活には満足している。

 遅くなって帰っても、ご飯ができていて、お風呂が沸いてる。


 そして何より明かりのついた部屋に彼女がいる。


 これを幸せと言わずして何を幸せというのか!

 世間の男性諸君、君は今、幸せか?!

 僕は幸せだ!!!




 そしてある日の事だった。

 相変わらずの社畜生活だけど、この日は特に寒くて、バイクに乗る手が手袋越しにも痺れるほど冷たくなった。


 今日は雪になるかもしれない。部屋の前についてブザーを押すと鍵を開ける音がした。そして開いた瞬間……


「いらっしゃいませ〜」


 と彼女の声。「え?」と思う間もなく声がたたみ掛けてくる。


「何名様ですか?」

「……えっと、一人です」

「おひとり様ですね。こちらへどうぞ〜」


 彼女は澄ました顔で奥へと向かう。どうもこの部屋をレストランに見立てているらしいというのはわかった。

 靴を脱ぎキッチンを抜け、リビングにしている部屋に入ると、二人掛けのテーブルと椅子に布がかけられている。そして隅に花をいけた小さな花瓶と、普段は机にある筈の卓上スタンドがテーブルにあり、煌々と灯をつけていた。


 いやこれ、明る過ぎるだろう……。どちらかというと犯人を取り締まる刑事の風情じゃないか? そう思っていると後ろから椅子を引いた彼女の声がした。


「こちらにお座りください。今、メニューをお持ちいたしますね」


 彼女は僕がテーブルについたのを確認すると、キッチンへと下がっていく。とりあえず、このリビング兼ダイニングは今日はレストランだという事だ。


 鞄を下に置きネクタイを緩めていると、トレイの上に冷たい水を乗せ、何やらペラペラの紙を持った彼女が戻ってきた。


「あぁ、お客様、鞄は空いているお席においてくださいね」


 柔らかな物腰でそういうと、彼女は紙を僕の目の前に置く。そのペラペラの紙はまさにメニューだった。


 メニューには僕の好きな料理が並んでいる。


 

 カレーライス

 ラーメン

 オムライス

 親子丼

 カツ丼

 ステーキ丼

 すき焼き定食

 ハンバーグ定食

 豚の生姜焼き定食

 日替わり定食


 ビール            550円

 焼酎             550円

 日本酒            550円

 

 水               50円

 お湯              80円

 氷              100円



 揃いも揃って、僕が好きなものばかりだ。しかも値段付きのアルコールまで書いてある。全部550円というのが曲者だが……。そしてさらに下には水やお湯や氷まで。これは焼酎に使う物だが、金を取るつもりか?!


 僕は悩んだ。本当にどれを頼んでもいいのだろうか? 多分、カレーはレトルトだろう。部屋の中にカレーの匂いは充満していない。そしてラーメンは冷凍の物だろう。前に買った冷凍ラーメンが思いのほか美味かった。

 そう考えるとオムライス辺りは卵焼きを乗せればいい状態まで作っているのかもしれない。カツ丼はスーパーのお惣菜でカツを買って卵で閉じればなんとかなる。親子丼も同じだ。具材を作っておいて卵で閉じてご飯に乗せればできる。

 ステーキ丼は流石にないかもしれない。すき焼きもキッチンには醤油ベースの香りはしていなかった……ならば……。


 僕はニコッと笑って顔を上げ、すき焼きを指さした。


「このすき焼き定食をお願いします」

「はい、承知しました。少々お待ちください」


 え? あるの? ニコッと笑って下がってゆく彼女をみながら、僕は驚いていた。少し意地悪をしようと思ったのだが、これは彼女に一本取られた。


 へぇ〜すき焼きなんて久しぶりだ。今日は寒いからグツグツのすき焼きとか結構いいぞ。締めはやっぱりうどんかな? そんなことを思っていると、彼女がやってきた。


「あの……お客様、大変申し訳ないのですが、先程のお客様ですき焼き定食は最後でした。本当に申し訳ありません」


 彼女は深々と頭を下げた。

 成る程、そう来るか……。熱々のすき焼きを早々と脳内から追い出し、僕はもう一度メニューに向き合った。

 クソ……ならば次はステーキ丼だ!


「じゃあ、ステーキ丼をお願いします」

「はい! 少々お待ちくださいませ!」


 やたら元気のいい声を上げて彼女は下がった。成る程、今日はステーキ丼だったのか。そう思いつつ、キッチンへ声を掛ける。


「あ、ビールもつけてください!」

「はい! 承知いたしました!」


 彼女がカンカンに冷やした缶ビールと冷やしたコップをトレーに乗せてやってきた。


「あぁ、ありがとうございます」


 段々と僕も乗ってきてしまい、お礼を言いつつ缶ビールのタブに手をかけると……

 

「お客様、大変申し訳ないのですが、ステーキ丼も先程のお客さまで最後でして……本当に申し訳ありません。他のものになさいませんか?」


 おい! というツッコミが喉元まで出かかった。が、ここは少々我慢して……カレーはレトルトだから嫌だし、ラーメンも冷凍ものだから今日はちょっと避けたいし、多分ハンバーグもレトルトかもしれない。

 これは困った。レトルトと冷凍物は避けるとなると、カツ丼か親子丼か……そう思っていると、下の方に『日替わり定食』の文字を見つけた。


「あの、今日の日替わり定食ってなんですか?」

「日替わり定食ですね! 毎度ありがとうございます!」

「いや、だから、何かと聞いて……」


 彼女は僕の言葉を最後まで聞かずにキッチンへ戻っていった。そして出てきたのは、熱々の豚汁定食。


 いや、うん、確かに好きだけどさ。それなら初めから言ってよ……




 僕の寒い夜は暖かい豚汁で温まったという話……


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