ワラキアの内乱Ⅱ

「お、おい、お前達、逃げるな!!」


 ジダヴァ伯爵は戦線を放棄し逃げる兵士達を引き留めようとしたが、全く無意味であった。一部で始まった恐慌状態はすぐさま防衛線の全域に蔓延し、剣を交えることもせず、大局的に見ればなお優性を維持しているにも関わらず、ジダヴァ伯爵の軍隊は崩壊した。


「や、奴が来ます!」

「ひぃっ! に、逃げるぞ!」

「は、はい!」


 伯爵もまた戦いを放棄し、壁に囲まれた居館に逃げ込んだのであった。


 ○


「逃げたか。裏切り者なれば、さもありなん」

「殿下……恐れながら、我が方も兵の半分以上を失いました。ジダヴァ伯の居館に攻撃を仕掛けるのは、流石に厳しいかと……」

「ならば、お前達は来なくてよい。その辺の敗残兵を縛り上げておけ」

「ま、まさか、お一人で乗り込むおつもりですか!?」

「ああ、そうだとも。お前達は着いてくるな。足手まといにしかならぬ」

「で、ですが……」

「くどいぞ」


 ヴラド公は兵士に戦後処理を任せ、自らたった一人でジダヴァ伯爵の館に向かう。伯爵の館は壁に囲まれてはいるものの、それは高級な邸宅ならば備わっているような、大した高さもないものであった。城門も貧相な造りで、応戦することなどまるで考えられていない。


 門の上にほんの数人だけの魔導兵が立ち、震えながらヴラド公に短弓を向けている。


「こ、ここを通す訳にはいきません! どうかお引き取りを!」

「何を言う。私はお前達の主を殺しに来たのだ。お前達はジダヴァ伯に仕えるのか、それともこの私に仕えるのか?」

「わ、我々は、伯爵様の家臣! 殿下のご命令に従うことは出来ませぬ!」

「なかなか気骨のある連中ではないか。ならば、私を食い止めてみせよ!」

「望むところ! 放てっ!!」


 短弓に矢をつがえ、ヴラド公に向けて一斉に放った。が、彼にその程度の攻撃が通用する訳もなく、矢は全て叩き落とされた。


「く、クソッ! 放て放て!」

「あくまで戦うか。ならば、こうしよう」


 ヴラド公は魔法の剣を彼らに向けた。すると次の瞬間、城壁から百本以上の槍が生え、魔導兵の手足、胴体、首に絡みついて、身じろぎも出来ないほどに拘束した。魔導装甲があちこちで引っかかり、自力で脱出するのは不可能である。


「う、動けない……!」

「お前達は、殺すまでもない。そこで見ているがよい」

「ま、待て!」


 無力化した兵士のことなど最早気にも留めず、ヴラド公は20本ほどの槍を城門に突き刺して錠前を破壊し、扉を馬に蹴破らせ、ジダヴァ伯爵の館に単身で突入した。


「さて……。ジダヴァ伯爵! どこにいる!」


 雷鳴のような声で呼びかけるが、返答はない。館は静まり返っている。


「ふっ、あやつならば、とっくにこんな城など捨てて逃げたか」


 ジダヴァ伯爵は領地を放棄してゲルマニアに逃げたと判断したヴラド公。一応彼の館を調べようと進むが、その時であった。


「ヴラド公、覚悟っ!!」

「っ!」


 通路の左右に立ち並ぶ小規模な屋敷。その屋上から一人の兵士が剣を持って飛び降りていた。


「愚か者が」


 ヴラド公はすぐさま反応して男に剣を向け、男の落下する先に大量の槍を生やした。男は自身の体重と落下の勢いで魔導装甲が貫かれ、全身に槍が突き刺さり、即死した。槍の生えた地面には赤黒い血溜まりが出来た。


「私に一人で挑んでくるとは、惜しい男を亡くしてしまったな」


 結局、それが最後の抵抗であった。


 ヴラド公は歩みを進め、伯爵の館に入るった。館の中には兵士の姿など全くなく、いたのは武器を持たぬ女や子供ばかりであった。伯爵や重臣の親族達であろう。


「男は皆逃げたか……。痴れ者が」


 館の中を歩き回るヴラド公。すると、見た事のある顔と出会った。


「お前は……確か、ジダヴァ伯爵の妻であったな」

「……はい。我が夫は、殿下に反旗を翻した挙句に、領地も領民もかなぐり捨てて逃げていきました。殿下が裏切り者には情けのないことは存じております。ですがどうか、私の命を差し上げますので、子供達の命は、お助け下さい」

「何を言うか。私は左様なつまらぬ提案は受け入れぬ」

「で、ですが……!」

「慌てるな。私を裏切ったのはあの男だけだ。あやつではないお前達を、どうして罰せねばならない」

「そ、それは……」

「この領地も、館も、好きにするがよい」


 ヴラド公はジダヴァ伯爵その人以外を罰するつもりはなかった。その親族も含めて、彼の家臣には一切のお咎めはなく、反乱はあっという間に終結したのであった。


「殿下、よろしかったのですか? 反乱を起こした貴族など、族滅が基本だと思われますが」

「よい。殺す必要のない者を殺すことはない」

「後々の反乱に対する見せしめ、という役目がありますが……」

「一昼夜で反乱を鎮圧したのだ。見せしめとしては十分であろう」

「……そうかもしれませんね」


 国家の指導者として、寛大な対処は決して良いものではない。だが、反乱の詳報が届く前に鎮圧されたというのは、内外に大きな衝撃を与えたようだ。以後、ワラキア公国で不審な動きを起こす貴族は現れず、挙国一致体制は増々強化された。

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