解放交渉

「神聖ゲルマニア帝国陸軍大将、ヴィルヘルム・オットー・フォン・ザイス=インクヴァルトです。此度は再び大公殿下とお話の出来る機会を得ることが出来、光栄に存じます」


 ザイス=インクヴァルト大将は魔導通信機越しのクロエに恭しく挨拶した。クロエは少し引いた。


『え、ええ。クロエ・エッダ・イズーナ・ファン・ブランです。こちらこそ、尊敬すべき将軍とお話し出来て光栄ですよ』

「それはそれは恐れ多い。時に殿下、我々には時間がありません。すぐに本題に入ることとしましょう」

『ええ、そうですね。あなた方にとっては雪が降れば降るほど状況は悪くなるでしょうから』

「それはそちらも同じことでしょう」


 雪は相変わらず振り続けており、装甲列車やアトミラール・ヒッパーにとって大いなる邪魔となっている。


「さて、殿下が仰ったような捕虜の交換は、我が軍としても望むところです。しかしながら、交換なのですから、お互いが手放すものは対等でなければなりません」

『おや、こちらの魔導兵1人に付きそちらの兵士10人では不満なのですか?』

「その通りです。いやはや、貴軍の重騎兵は実に強力と我々は評価しておりまして、とても10人の兵士では釣り合わないと考えます」

『そこまで高く評価して頂けるとは、それは光栄です。それでは重騎兵1人に対して15人程度ではいかがですか?』

「それは余りにも。我が軍の評価では30人が相当であるかと」

『それは流石に多いのでは? 妥協しても、せめて20人程度でしょう』

「ではこちらも妥協しましょう。25人では?」

『……23では?』

「ふむ、まあ、よいでしょう。それではそちらの魔導兵500人と引き換えに、こちらの兵士11,500人を返して頂きます」


 交渉成立である。だがザイス=インクヴァルト大将はこれで満足した訳ではなかった。


「しかし、こちらで預かっているスカーレット隊長については、また別で考えて頂きたい」

『ほう? どういうことでしょうか?』

「彼女はただの魔女ではありません。重騎兵を率いることに長けた彼女には少なくとも1個師団、およそ15,000人分の価値はあるかと我が軍では評価しております」

『15,000? そんな馬鹿な。彼女は確かに兵を統べる者ではありますが、他は普通の魔女と変わりません。精々100人分程度だと思いますが』

「おや、そうですか。それは予想外です。とは言え我が軍ではそのような条件で彼女を返すする訳にはいきません。ただの兵士だと言うのなら、別に返さなくてもよいでしょう。彼女だけは貴重な情報源として我が軍に留め置かせて頂きます」

『不公平です! 一人だけを返さないなど……』

「ご安心を。諸々の条約に従って人道的に遇することをお約束いたします」

『そ、そういう問題では……いえ、その……』


 他の魔女と大して変わらないと言ってしまった手前、クロエはスカーレット隊長を返還せよと強く言い出せなかった。それに、ヴェステンラント軍に全員を解放する気が全くないのに、それを相手だけに要求するのもおかしな話だ。


 クロエはザイス=インクヴァルト大将の口車にまんまと乗せられてしまった訳である。


「さて、これで問題はないでしょう。捕虜の交換についての実務的なやり取りはまた後で。それと、交換を行うまでは一時休戦と言うことでよろしいですか?」

『しょ、少々お待ちを。確かに彼女は1万の重騎兵を率いていました。そういう風に評価されるのも、全く理解できない訳ではありません』

「ふむ。左様ですか。それではスカーレット隊長と15,000の兵士を交換するということでよろしいですか?」

『とは言え、それも暴利であるかと思います。せめて10,000では?』

「10,000なら許容しましょう」

『……分かりました。それでよいでしょう。それで捕虜交換をしましょう』


 かくしてゲルマニア軍は、敵の全体からしたら僅かな500の重騎兵と引き換えに、およそ2万2千人の兵士を取り戻すことに成功した。そしてヴェステンラント軍はアトミラール・ヒッパーを無力化することに失敗し、彼女をマトモに相手にする羽目になるのであった。


 ○


 ACU2313 12/21 カムロデュルム近郊


 捕虜交換は遅滞なく行われ、スカーレット隊長はクロエの下に帰還した。


「クロエ様……申し訳もありません!! かくなる上はこの腹を切ってお詫びを!!」


 スカーレット隊長はいきなり短刀を抜いて脇腹に押し当てた。


「あ、ちょ、待ちなさい!」


 クロエは魔法で短刀を自分の手元に引き寄せた。


「く、クロエ様!?」

「落ち着いてください。戦闘の報告は聞いています。聞く限りでは、あなたに非はありません。寧ろ戦艦への攻撃を命令した私に非があります」

「し、しかし、作戦がどうであれ、失敗したのは私です!」

「じゃあその前に、戦艦の中で何があったのか、もっと詳しく聞かせてください。話はその後です」

「は、はい。承知しました」


 スカーレット隊長は艦内で会ったことを最初から最後まで説明した。しかし、実際のところそれが何であるのかは、彼女には分からなかった。化学兵器などという概念はそもそもヴェステンラント軍にないのだから。

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