戦略と戦術Ⅱ

「陛下、何とか凌ぎましたな……」


 イブラーヒーム内務卿は安堵の溜息を吐いた。弓隊を前に出すことで大八洲の軽騎兵を撃退することに成功した直後のことである。


「ああ。よくやった」


 スルタン・アリスカンダルは喜んでいるようには見えない。


「陛下、どうかされましたか?」

「敵が何を考えているのか、今一度考えていたのだ」

「敵が?」

「敵はそもそも、中國に籠っていればいいものを、どうしてわざわざ打って出てきたのか……」

「それは……分かりません」


 東西から敵が迫っているのに本国をがら空きにするなど正気の沙汰ではない。軍事的に合理的なのは自分の本拠地で守りを固めることだ。


 だが曉がそれを選ばなかったのは――


「考えられるとすれば、唐土諸侯の真を失いたくなかったから、ということになるだろうな」

「唐人を助けたということですか。しかし、彼女にそんなことをする理由はないのでは?」

「ああ、確かに。助けたところで大した戦力にもならん」


 唐土諸侯の兵は少なく弱く、将軍に経験は足りない。わざわざ自領を危険に晒してでも助ける価値があるとは思えない。


「単純に我々との間に緩衝地帯を確保しておきたい、ということではありませんか?」

「確かにその利はあるが、わざわざ打って出る程の価値はあるものか……」

「或いは……もっと簡単に、自分達が孤立するのを恐れたのでは?」

「まあ考えられなくはないか」


 実のところ、明智日向守も適当な理由を付けて出陣を正当化しただけで、ここに出陣することの軍事的な利益は薄いのである。


 曉ですらよく分かっていない理由を、部外者の彼らに理解出来る筈もなし。この議論に終わりはなさそうだ。


「まあ、敵の思惑を読むのは大事だが、分からないのなら最善の対策を考えるしかないだろう」

「はっ。仰る通りです」

「理由は分からんが、奴らが出陣した目的が唐土諸侯の救援にあることは確か。それを前提に、敵が何をしたいのかを考えようではないか」

「先程の攻撃では、敵は焦っているように見えました。大八洲人らしからぬ危険な策でしたから」


 異民族の作戦を取り入れるなど、大八洲にとっては非常事態も非常事態。そこには確かに焦りが感じられた。


「――となれば、やはり敵はこの戦いを早く終わらせたい筈だ。長引けば諸侯の真を失うだろうし、背後からは武田が迫っている」

「間違いないでしょう」

「となれば、我々がやることはただ一つ。守りを固め、持久戦に持ち込むのだ」

「それは……今の陣形を維持すればよいのですか?」


 ファランクスと弓隊を組み合わせた今の陣形は、かなりの防御力を誇っている。


「まあさして問題はなかろうが、もっと固めようではないか」

「はあ……」

「敵は黙っていても勝手に突撃してくれるのだ」


 アリスカンダルは不敵に微笑んだ。その姿はまるで獲物を前にした獅子のようであった。


 〇


「――私達には長々と軍議をしている時間などないわ。皆の者、陣立てを整えなさい! これより全軍を押し出す!」

「はっ。仰せのままに」

「曉様がそう仰るのなら……」


 明智日向守は何の意志も示さず、昭家は不承不承ながらも曉の命令を受け入れた。曉の周囲に千ほどの兵力だけを残し、他の全戦力でガラティア軍に総攻撃を仕掛けるのである。


「我らには長々と軍議をする時間すらない。この一撃を以て、アリスカンダルを討ち取らん」


 一応は士気を高めようとしているのだろう。明智日向守はそんな勇ましいことを暗い声で言う。まあ彼の家臣達はそんなことにはもう慣れっこだ。


「皆の者、殿に続け!」

「「おう!!」」

「進め」


 今度はしっかり武具を整え、明智日向守の軍勢およそ三千は行動を開始した。彼の隊を含めた麒麟隊二万五千はファランクスの長槍の先に向かって一直線に突撃を開始する。だが――


「ここらがよかろう。兵を分けよ」

「はっ!」


 明智日向守からの合図で陣形が二つに裂け、ファランクスを左右から挟み込むように動き始めた。


「敵は慌てふためいているようです!」

「右と左から攻められれば、長槍持ちとて対処出来まい」

「流石は殿です!」


 正面以外に対処する手段がまるでないファランクス。左右どちらか一方からだけであれば陣形の向きを変えることも出来たかもしれないが、この挟撃には応じられない様子。


 明智日向守は最初の策が上手く機能したことに安堵する。だが戦いは始まってすらいない。


「大きく回り込むのだ。陣立ての脆弱な後背を突く」

「はっ! 皆、気合をいれよ!!」


 明智日向守本人などは馬に乗っているが、部隊の大半が歩兵。彼らの根性が部隊の移動速度と直結するということで、部将達は何とかして兵を鼓舞する。と、その時――


「敵の弓です!」


 敵陣の中から飛来する無数の矢。だが明智日向守は動じない。


「母衣衆で防がせよ。それ以上は要らぬ」

「……はっ」


 ある程度は鬼道で矢を弾き返す。だがそれも走りながらのもので、兵を全て守れる訳ではない。だが明智日向守は進撃の速度を緩めようともしない。


「足を止めるな。倒れた者は置いていけ」

「……はっ」


 激しい射撃に晒されながら、大八州軍はガラティア軍の側面を駆ける。

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