ダキアとヴェステンラント

 ACU2310 9/10 大突厥國


「――余に従わぬというのか?」


 禍々しい紫の外套を纏った少女は、雑多な武具で武装した数千の蛮族の前で不敵な笑みを浮かべた。


「無論! 貴様ら白人などに我らが膝をつくとでも思ったか!」


 大突厥可汗、山賊か海賊と説明された方がしっくりとくる男、阿史那染圖あしなせんとは叫んだ。


「このヴェステンラント女王に向かって、そのような不遜な態度を取るとは……」


 少女の名はニナ・ヴィオレット・イズーナ・ファン・オブスキュリテ・ド・ヴァレシア。ヴェステンラント合州国の女王その人である。


「女王? それがどうした? 我ら大突厥は、白人などには従わぬ!」

「なるほど。まったく、つまらぬ奴らだ」

「抜かせ! 者共、そいつを殺せ! その首には大金を約束する! それとそいつを好きにしていいぞ!」


 阿史那染圖は蛮族らしい洗練されていない刀を抜いてニナに向けた。ニナはたったの1人でここに来ており、対して阿史那染圖は千人の魔導兵を連れてきていた。


「「「おう!!!!」」」


 女王は確かに世界で最強の魔導士である。しかし1対1,000ではどうしようもあるまい。


 大突厥の兵は一斉に剣を抜き、目に狂気を浮かばせながらニナに襲い掛かった。女王を殺した褒章がどれほどのものになるか、想像するだけで涎が垂れる。


 しかしニナが怖じ気づくことはなく、つまらなさそうに蛮族を眺めていた。


「馬鹿どもが。死ね」


 ニナはパチンと指を鳴らした。すると次の瞬間土煙が上がり、彼女に向かってきていた兵が、消えた。


「は……? ど、どうなってる!?」


 阿史那染圖は狼狽する。何がどうなっているのか全く分からなかった。


「いや、落とし穴……?」


 消滅の現場に近づいてみるとそこには大きな穴が開いていた。その中は一切の光のない暗闇で、兵士の姿は確認できなかった。


「こ、これほどに深い穴を用意していたというのか?」

「さあな。貴様ごときに種を教えてやる訳がなかろう」

「……」

「それで、どうする? このまま余と戦って死にたいか?」

「クッ……分かった……従おう」

「それでよい。貴様の臣も報われよう」

「クソッ……」


 阿史那染圖はニナの前に跪いた。


 ○


 ACU2310 9/12 ダキア大公国 首都キーイ


「まったく、いつまでこんなお飾りを続けなければならないんだか……」


 若きダキア大公、ピョートル・セミョーニョヴィチ・リューリクは、机に山積みになった書類を睨みつけながらぼやいた。それらの書類は全てゲルマニアの総督が用意したもので、ピョートル大公にはその可否を決める権限などなく、ただただ署名するか判子を押し続けていた。


「ここは耐えるのです。いつか必ず、我々に好機は巡ってきます」


 ピョートル大公の腹心、ピョートル大公の父くらいの歳のニコライ・ヴァシリーエヴィチ・ハバーロフ大元帥もまた、書類仕事を手伝っていた。最早ダキア軍などというものに実体はなく、大元帥としての仕事もほぼ消滅していたのである。


「そうは言うがな……この戦争が終わるまでに奴らがここから帰ってくれるとは到底思えないぞ」


 ピョートル大公は窓の外を眺めた。首都であるキーイは人で賑わっていたが、かなりの割合で真っ黒い軍服を着た人間が混じっている。どこを見ても視界に中に1人はいるくらいの割合だ。


 それらはゲルマニア親衛隊の兵士であり、人が集まる大都市で騒動が起こらないように監視し、いざとなれば即座に親衛隊の主力部隊が鎮圧に来るという算段である。


「まあそこら辺は、何とかなりますよ」

「楽観的だな、我が大元帥は」

「そうでもなければやってられませんて」

「――まあ、そういう精神も大事か」


 大公と大元帥もまた親衛隊の監視下にある。下手な行動を起こすことなど到底不可能。逆転の好機などどこにも見えなかった。


「誰か、残存部隊を率いて反乱でも起こせんのか?」

「軍の高級将校は悉く監視されています。無理かと……」

「はあ……」


 ダキア軍という組織が壊滅状態とは言え、兵士の全ての武装解除が完了している訳ではない。寧ろ大半は武器を持ったままだ。それが反乱を起こせばそれなりの勢力にはなるのだが、それを率いられるような人材はもれなく監視されている。


 まあそんなことはとうに分かっていることで、定期的にぼやいているだけだ。


「……それでは民衆の力を使うというのはどうだろう?」


 ピョートル大公は思いついた。ゲルマニアがブルグンテン市街戦で使った民衆を動員するという手。これはどうだろうかと。


「それは……残念ながら、我が国の民衆はあまり国への忠誠心というものがないもので……」

「そうか……」


 この世界で全国規模の学校教育を実施しているのはゲルマニアだけである。つまり、自分の命を国家に捧げられる国民を育てているのもまたゲルマニアだけということ。


 民衆による自発的な蜂起など期待できそうにない。


「これもダメか……」

「ダメですね……」

「何を嘆いている、お前たち」


 その時、どこからか少女の声が聞こえた。


「は?」

「な、何だ?」

「お前たちを助けに来てやったぞ、ピョートルとニコライ」


 その両名の他に誰もいない筈の執務室で、紫の外套を纏った少女が平然と机に腰かけていた。

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