ルシタニア領内への侵攻

 ACU2310 4/28 帝都ブルグンテン 総統官邸


「本日をもちまして卑劣なる合州国軍に占拠されておりました我が軍の塹壕線を全て奪還することに成功致しましたことを、ここにご報告致します」


 ザイス=インクヴァルト司令官は勝利を高らかに宣言した。


「よくやってくれた、ザイス=インクヴァルト司令官。礼を言うぞ」


 ヒンケル総統はゆっくりと拍手をした。諸将や党幹部もそれに従って彼を拍手で讃える。


「これはこれは、私には過分なものです」

「いや、そんなことはない。君は我が国の臣民と土地を救ったのだからな」

「ありがとうございます。しかしながら、我が国が真に平穏を得られる日はまだまだ遠いと言わざるを得ません」


 祝賀会を開いている暇はない。ザイス=インクヴァルト司令官の作戦は時間が全てである。機を逃してしまえば反撃の機会は二度と巡ってこないかもしれない。


「やはり、このまま攻め込む気か」

「はい、閣下。我が軍はこのままの勢いにルシタニア領内へと進軍し、我が友邦を不当に苦しめる合州国軍に大打撃を与えます」

「また、兵が大勢死ぬのか?」


 ヒンケル総統は余りにも多い犠牲者が出たことを酷く気に病んでいた。低地地方の奪回だけでも4万を超える死者が出たのである。負傷者を加えれば更に増える。帝国の建国以来、未曾有の大損害なのだ。


「はい。それは免れ得ないことかと。しかしながら、その貴い犠牲によって、我が国と皇帝陛下と臣民が救われるのです」

「そうか……分かった」

「陛下、私もザイス=インクヴァルト司令官を支持します」


 軍人では最年長でかつての大北方戦争の英雄、カイテル参謀総長は言った。


「そうなのか? 君はこれまであまり賛成してはいなかったが」

「それは浸透戦術とやらの有用性が分からなかったからです。ですが、これが戦局を覆す大発明であることが証明された今、ヴェステンラント軍が動揺しているこの機を逃すのは愚かなことです。多少の損害を出そうとも、ヴェステンラント軍を徹底的に叩かねばなりません」

「君もそんなことを言うようになったのか」

「最早、臣民の犠牲をいちいち気にしていられる段階ではないのです」

「分かった。参謀総長たる君が推すのならば、疑いようはない。ザイス=インクヴァルト司令官、ルシタニア領からヴェステンラント軍を駆逐せよ」

「はっ。必ずや、我が祖国に栄光をもたらしましょう」


 かくして、低地地方での激戦から殆ど日を置かず、ルシタニア領内への反抗作戦は実行に移されることとなった。


 ○


 ACU2310 5/2 神聖ゲルマニア帝国 ルーア大公国


「まさか、こんな敵陣のど真ん中からの侵攻を命じられるとは……」

「どうせやるのなら敵に衝撃を与えたい、ということだろうな」


 南に向かう列車に揺られながら、シグルズとオーレンドルフ幕僚長は雑談に興じていた。


 今回の作戦はルシタニア王国領内に築かれたヴェステンラント軍の防衛線を突破することを目的とする。だがそこで選ばれた目標は、両国の国境線のど真ん中、ルーア大公国の正面だった。


「しかし、前に噂で海岸沿いに進軍するって聞いてたんだけど、それはどうなったんだろうか……」

「それは…………海岸線に沿っての進軍は、ルシタニア王国の海岸線を端まで攻め込めないと意味がない。だがそこまで攻め込むのは不可能だと判断されたからではないだろうか?」

「だからと言って……ああ、それで敵の士気を挫くことを優先させた訳か」


 防衛線の端っこが破られたくらいならともかく、ど真ん中を突破されたとあっては敵の士気にも影響があるだろう。封建的な軍隊を運用しているヴェステンラント軍にその効果は大きい。


 両名はザイス=インクヴァルト司令官の頭の中を読んだ訳である。


「まあ、僕たちはただ命令に従うだけだ。戦略を考えても仕方がない」

「それもそうだな」


 やがて列車は第88師団を前線へと送り届けた。


 ○


「これは……何と稚拙な塹壕だ……」


 ヴェステンラント軍は魔法の力で国境線を埋め尽くす塹壕を構築している。だがそれはただの直線の溝で、何の捻りもなかった。鉄条網や空堀などもなく、本当にただ、溝を一本掘っただけのものである。


「シグルズ様、これは、稚拙なのですか?」


 ヴェロニカは尋ねた。まあこの世界に塹壕という概念をもたらしたのがシグルズなのだから、その善し悪しが分からないのも無理はない。


「ああ。これじゃ、中に手榴弾とか炸裂弾が入った時、被害が周りに拡大してしまう」

「なるほど……」

「まあ、だからこそ怪しいんだけど」

「怪しい、ですか?」

「敵はゲルマニアの塹壕線をしっかりと観察して理解している筈なんだ。それなのにこんな塹壕を掘っているのは――」


 何か作戦があるに違いない。シグルズは瞬時にそう理解した。だがそれが何なのかについては見当も付かなかった。


「オーレンドルフ幕僚長、何か分かるか?」

「いや、私にも分からない。わざわざ爆風を回避する為の構造を捨てるというのは……」

「だよな……」


 爆風が魔導装甲にも有効であることは既に知られている。ヴェステンラント軍も当然把握している筈で、ゲルマニア軍の砲術が大したことないとは言え、あえて自軍を危険に晒す意味が分からない。


 色々と不安はある。だがシグルズに立ち止まることは許されなかった。

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