鉄甲船か小早かⅡ
「しかし、村上家の者であるのなら無論、それを打ち倒すべき造られたのが鉄甲船であることは、存じておるな?」
「無論のこと」
「なれば、何故に焙烙火矢などを持ち出すのか?」
鉄甲船の本来の目的。それは、木造の船をいとも簡単に焼き崩す焙烙火矢に対抗することである。結果としてそれは成功し、焙烙火矢を用いた戦術は鉄甲船の前に廃れた。
その歴史を、虎吉は当然承知している。
「敵が鉄甲船を持っている訳ではありません。鉄甲船でないのならば、焙烙火矢は海戦において天下無双であること、間違いありません」
「負け犬の遠吠えのようですなあ」
嘉信はわざとらしく言った。
「何だって、貴様?」
「鉄甲船に放逐された焙烙火矢を今頃持ち出すなど」
「大体、鉄甲船なんぞ、相手が焙烙火矢を使ってこないんだったら意味がねえだろうが」
「大砲がありますよ。小早にはとても載せられないようなものが」
小早とは数人が乗る小型の船のことである。焙烙火矢を使う場合、この小回りの利く船で敵に接近し、投げ込む。こうすることで敵を翻弄するのだ。
「このっ!」
虎吉はかっとなって嘉信に殴りかかろうとした。
「そこまでだ、虎吉」
「――信晴様、ですが……」
「ここは力で訴える場ではない。言葉によって訴える場だ。そのことは弁えよ」
「……承知」
不承不承といった感じであったが、虎吉は一応、信晴の言葉を受け入れた。
さて、どうやら、鉄甲船を推す晴虎・嘉信と、小早を推す信晴・虎吉との戦いが始まろうとしているらしい。
「皆様方、どうか落ち着かれよ」
と、その時、落ち着きはらった声がこの四名を静止した。
「松平殿か」
松平四郞兵衞尉元忠。当主を失ったばかりの今川家を実質的に取り仕切る、今川家の重臣である。今川家が果たしてきた上杉と武田の仲介という役もまた、彼が主に継承している。
「どうも私には、皆様が何を争っているのか分かりませぬ」
分からないと言いつつ、その口調は自信を持った力強いものである。
「何が言いたいのだ、松平殿」
信晴は尋ねる。珍しく、本当に元忠の言葉の意味を察しかねた。見たところ、晴虎もそれは同じようだ。
「一つの戦で一つの策しか使ってはならぬという法はございません。なれば、鉄甲船も小早も、どちらも使えばよろしいではありませぬか」
「……確かに、その通りで、あるな」
「……儂も認めよう」
晴虎と信晴が一瞬で説き伏せられた。そんなことはこれまでなかったし、恐らく今後も二度とは起きないだろう、
鉄甲船も小早も、決して競合するものではない。そもそも複数種類の船を使うというのは大八洲では常識である。最初から争うことなどなかったのだ。
「ふう……お分かりいただけたのなら、この元忠の本望にございます」
「で、あるか。今川の次の当主にも、その手腕を教えてやってはくれまいか」
「勿論のこと。私は氏元様の臣に過ぎません。今度も、陪臣の身でありながら、このような真似を致し、申し訳ございませぬ」
「松平殿は義を成したまで。何も悪しきことはない」
「はっ。それでは」
元忠は下がった。
「では、九鬼殿、村上殿、共に鉄甲船と焙烙火矢を用意せよ」
「ははっ」
「承知!」
かくして、大八洲の総力を結集した水軍が、その牙を研ぎ始めた。
○
「今川が討ち死にしたのは、案外痛手であったかもしれぬな」
評定を眺めていた晴政はぼやいた。
「はい。上杉か武田か、大名は二つに割れているように見えます」
源十郎はすかさず応える。
大八洲で最強の大名である信晴と、征夷大將軍である晴虎。力を持った者同士が対立するとそれに応じて閥が出来る。これはよくない兆候だ。
「面倒くさいことになってるわね……で、あんたはどっちにつくの?」
桐は尋ねた。晴政の態度は今のところ中立的だが、どっちつかずがロクな結果に繋がらないのは書を読めば明らかだ。
「俺か。俺はどちらにもつかぬよ」
「伊達のことを少しは考えなさいよ。当主なんだから」
「ではこうしよう。俺が天下をと――」
「真面目に答えて!」
――どうせ『俺が征夷大將軍になる』とでも言い出すんでしょう?
「俺は真面目に言っているのだが」
「どこが真面目よ」
「まったく、心なき奴よ」
「誰が!」
しかし内心では楽しんでいる桐である。
「そうだな、どちらかと言えば武田殿か」
「どうして?」
「上杉の武は他に比類なきもの。もし今、武田と上杉がぶつかれば、信晴についた大名を合わせても、上杉が勝つだろう。それではつまらぬ」
最強の大名とは言え、武田の軍事力は上杉の半分未満。比較的武田に寄っている西国大名のそれを合わせても、上杉には対抗出来ないだろう。
「おいおい兄者、何で乱世が来る前提なんだ?」
「別に戦に限った話でもない。金の流れ、鬼石の流れ、米の流れ。いずれにおいても武田は劣っておるということだ」
「筆を持って戦をするってか?」
「ふむ……まあ、そういうことになるな」
簡単に言えば冷戦ということになるだろう。直接には戦果を交えない冷たい戦い。晴政はそれを肌で感じ取っていた。
「まあ、いざとなれば俺は信晴殿につく。もっとも、俺もそんなことは望まぬが」
「当然よ……」
桐は溜息を吐いた。だが、彼があらゆる可能性を考慮して伊達の将来を考えているというのは伝わってきた。
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