疲弊

 ACU2309 9/4 ルシタニア王国 ヴェステンラント軍前線司令部


「殿下、ゲルマニア軍の第二防衛線を制圧いたしました!」

「了解しました……」

「殿下……」


 スカーレット隊長は精一杯の空元気を振り絞ってみたが、それもすぐに霧散してしまった。


「全体の損害は?」

「ただいま集計の最中ですが、概ね、死傷者12,000、死者4,000といったところかと」


 マキナは淡々と告げた。だがその数字はヴェステンラント始まって以来聞かれたことのない数字であった。


「桁を1つばかり間違えたのではないかね?」

「いえ。正確には多少の誤差はありますが、概ね、我が軍の30パーセントが死傷したことになります」

「そう、か……」


 沈黙。


 それだけの人的損害に加え、大量のエスペラニウムや資材を消費し、無事な兵士も絶え間ない銃声と爆音に精神をすり減らしている。


 このまま戦闘を継続するのは困難であろう。


「それに、これでやっと半分なのですよね」

「は、はい。まだ我々はゲルマニア軍の防衛線の半分しか突破出来ていません……」


 スカーレット隊長までもが沈痛な面持ちをしていて、彼女という最後の砦が落ちたとなると、将兵の士気を盛り上げられる人間はもういない。


「率直な意見を聞かせて欲しいのですが、これ以上の侵攻は現実的であると思いますか?」


 クロエは諸将に問う。しかし皆、視線を下げて黙り込むばかりであった。予想通りの結果である。


 だがクロエはそんなことをしたいのではない。彼女が議論したいことはその先にある。これ以上の侵攻は不可能であるとの前提の上にだ。


「どうやら私たちは、休戦を必要としているようですね」

「き、休戦など――」


 スカーレット隊長は反射的に否定しにかかったが、すぐに声を引っ込めた。突撃偏重のきらいはあるが、彼女は決して愚将ではない。


 無理なことは無理だと割り切ることくらいは出来る。


「しかし、休戦といってもどのような条件をお考えですか?」

「そうですね……現在の占領地を暫定的な国境としつつ、向こう半年は互いに攻撃を行わないというのでどうでしょうか」

「半年、ですか」

「半年もあれば、兵数も物資も、今回の損害を回復するには十分です」


 マキナが補足を加える。休戦といっても平和に向けた歩みなどではない。双方合意の上で次の戦争に向けた準備をするだけだ。


「問題は、休戦をゲルマニア軍が呑むかということです」

「ええ、そうですね。彼らもまた相当に疲弊していると思いますが……」


 互いが休憩を望まない限り休戦は成立しない。片方が憔悴していてもう片方に余裕があるのならば、余裕のある方は攻撃を選ぶのが最適である。


 クロエはゲルマニア軍も人的、物的な損害を受け、回復に時間を必要としている踏んでいるが、果たしてそれが正しいのかは自明ではない。


 ヴェステンラントの基準で言えば大損害であってもゲルマニアの基準ならば通常の損害の範囲内――ということだって決してあり得ない話ではない。つまるところ、交渉が成立するかは不透明そのものなのだ。


「つまりは交渉の結果次第という訳ですね?」


 スカーレット隊長はやけに明るい声で言う。


「ええ。そういうことになりますね」

「でしたら私に――」

「駄目です」


 マキナがスカーレット隊長の言葉を遮った。


「き、貴様は黙っていろ!」

「これはクロエ様のお考えです」

「な、そ、そうなのですか?」

「ええ。あなたに交渉を任せるのはちょっと……」

「なっ…………」


 スカーレット隊長は絶句した。そんな真正面から全否定されるとは思ってもみなかった。


「えー、まあ、結論から言うと私が行くことにしました」

「で、殿下自ら!? 危険です!」

「私を誰だと思っているのですか、スカーレット?」

「白の魔女であらせられますが……」

「はい。ですので、心配には及びませんよ。第一、軍使を撃つような野蛮な真似はゲルマニア軍でもしないでしょう。それに、念の為にマキナも連れていきます」

「で、でしたら私も――!」


 連れて行って下さいと言おうとしたが、その前にクロエは首を横に振った。


「な、何故です!?」

「だって、あなたはマキナみたいに透明になれないでしょう?」

「そういうことですか……」


 確かにそれはスカーレット隊長には不可能であったし、クロエの意図もその言葉で理解した。つまるところ、クロエは公式には一人だけで乗り込むが、その際の護衛が欲しいのだ。


 それに適しているのは、合州国でも極めて稀な全身迷彩の魔法が使えるマキナしかいないだろう。これにはスカーレット隊長も素直に引き下がった。


 ○


 ACU2309 9/4 神聖ゲルマニア帝国 アルル王国 ゲルマニア軍前線司令部


「我が軍の死傷者はおよそ85,000。死者は32,719名となります」

「最悪の想定に匹敵するな」


 丸々2個師団分の人間が死亡し、4個師団ほどの人間が一時的に戦列を離脱することとなった。これはダキアとの戦争を通して失われた兵力の4倍に相当する。


 ブルークゼーレ基地における局地戦でここまでの兵力が失われたのには、帝国の頭脳も恐れ慄いていた。ザイス=インクヴァルト司令官を除いてだが。


「想定内、なのですか」

「ああ。しかし、人員は損耗し武器弾薬は枯渇、このまま戦闘を継続するのは得策ではないな」

「あ、はい」


 犠牲を顧みずに戦闘を続行せよとでも言いだすかと思われていただけに、その言葉は幕僚諸将を大いに安心させた。


「では、休戦を申し込むとしようではないか」


 ザイス=インクヴァルト司令官は不敵な笑みを浮かべた。

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