晴政と桐

 ACU2309 8/19 平安洋上


「ちょっとあんた! 大丈夫なの!?」


 顔の半分ばかりを包帯で覆った晴政に、桐は血相を変えながら。


「平気だ。この程度。第一、俺に死んで欲しいのではなかったのか、桐?」

「え、ええ。そうよ! あーあ、死ななくて残念だったわー」

「ったく、お前も素直に兄者のことを好いているって言えばいいのに」


 成政がそう言い放ったところ、桐は一瞬で頬を真っ赤にした。


「はあ!? 誰がこんな馬鹿のことが好きだって!?」

「鬼庭七赤桐のことだぜ」

「ば、馬鹿なことを言わないで! 誰が――じゃなくて、私がこいつのことを好いてる訳がないでしょ!」

「その割には、兄者が怪我したって聞いた時、顔が真っ青になってたらしいじゃないか?」


 桐は真珠湾からの撤退の際に朔の旗下で殿しんがりを務めており、そのせいで晴政と合流するのが遅れていた。その間はずっと不安げな顔をしていてと、数名が証言している。


「そ、それは……その、今死なれたたら困るからよ! こんな島流しみたいな場所に伊達家の家臣みんなで取り残されるのは御免だわ!」

「俺が死んでも成政なり源十郎なりが軍配を取るがな」

「う、うるさい! どいつもこいつも私をからかって……そうだ」


 晴政の傍で涼しい顔をしている源十郎に視線を向けた。堅物の彼ならば何かマトモなことを言ってくれるかもしれないと期待を込めて。


 しかし、彼もまた向こう側の人間であった。


「桐様が晴政様をお慕いしているのは誰の目にも明らかです」

「あ、あなたまで変なことを……」

「もう少しお気持ちを隠すことを修練すべきでしょう。戦場でも役に立つ筈です」

「この……」


 ――源十郎ってこんな奴だったの……


 桐は悲嘆に暮れた。


 と、その時、空から黒い装束の少女が舞い降りてきた。右大將の朔である。


「晴政様、今は、よろしいでしょうか?」

「構わぬ。何の用事だ?」

「大したことではございませぬが、晴政様のお怪我の具合を伺いに参りました」

「皆そのことばかり聞いてくる。俺もそろそろ飽きてきたのだが」


 気にするなという方が無理があることだろう。叩き上げでもない大名――それも二百万石の大大名がこれほどの傷を負うなど前代未聞だ。


「ということは、お怪我の具合はそう悪くないのですね」

「ああ。まあ左目は見えなくなったが」

「――そうでしたか」


 朔は僅かに俯いた。武士にとって目は命。両目が揃っていなければ、立体感覚を失えば、刀など振るってはいられない。


「わたくしが至らぬばかりに晴政様にお怪我を負わせてしまいました。申し訳ございませぬ」


 朔は頭を深々と下げた。右大將に頭を下げられて、流石の晴政も困惑の色を浮かべる。


「謝ることなどなにもない。俺が勝手に動いたまでのことだ」

「いえ、そうであったとしても、こうしなければわたくしの気が収まらぬのです」

「そうか。なれば、素直に受け取っておこう」

「ありがとうございます」

「それこそ、礼には及ばぬよ」


 晴政と朔は穏やかに微笑み合った。この2人、相性がいいのか悪いのか分からない。


「仲がいいのね……」


 そんな様子を羨ましそうに眺めている少女が一人。朔と似たような黒い装束を纏った桐である。


「本当はあんな感じに話したいのか?」


 成政が耳打ちする。すると桐は半歩ほど飛び退いた。


「っ! 聞こえてた!?」

「ああ。普通に聞こえたぜ」

「べ、別に、羨ましくなんてないんだからね!」

「はいはい。ま、俺から何かをしたりはしないから安心しろ」

「――そう。ありがとう」

「どうも」


 成政は桐のことも晴政のことも嫌いではない。2人の好きにするがいいというのが彼の基本的な態度である。からかいはするが。


「では、お大事になさってくださいませ」

「ああ。ではな」


 最後にまた一礼し、朔は遠くの船に飛び立った。空を飛べるというのはこういう時に大変便利である。


「どうだった……?」


 桐は晴政にそれだけを尋ねた。


「何のことだ?」

「決まってるでしょ。左大將様とお話しして、その、どういう感じだった?」

「どういう感じも何も、見舞いに来たから適当に受け答えをしただけだ」

「そう……」


 それにしては楽しげだったじゃないかとは、桐は言えなかった。


「隻眼の武人……」

「どうした? 源十郎」


 源十郎が何やらぼそぼそと呟きだした。一見すると不気味ですらある。


「いえ、ただ、晴政様に相応しき二つ名について、思い当たるものがありまして」

「何だ? 申してみよ」

「獨眼龍、というのはいかがでしょうか」

「ほう」


 源十郎は漢字を書いて見せる。


「どこから取ってきた?」

「唐土の昔の文書に、隻眼の武人のあだなとして記されておりました。詳しいことは私も失念してしまいましたが」

「まあ、由来など大したことではない。しかし、獨眼龍か……悪くない響きだ」


 晴政はニヤリと笑った。結構気に入ったようである。


「いいんじゃないか、兄者」

「獨眼龍晴政、という感じかしら」

「いいではないか。でかしたぞ、源十郎」


 晴政は源十郎の肩をぽんと叩いた。こんなに上機嫌なのも珍しい。


「よし。俺は今日から獨眼龍だ! 遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ!」

「名前は見るものじゃないでしょ」

「細かいことは気にするな」

「はあ……」


 いつもの晴政だと、桐は幸せそうに胸をなでおろした。

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