青の魔女シャルロット

「殿! 何かが、何かが迫ってきます!」


 晴政の元に頭から血を流した兵士が必死の形相で駆け寄ってきた。礼儀作法を弁えることを忘れるくらいには焦っている。


「何があったのだ? 詳しく教えろ」

「そ、それが――あ、あいつです!」


 鎧兜も着込まずに、全身を真っ赤に染めながら走り寄ってくる少女。伊達の兵士が必死に応戦しているが、次々と跳ね除けられている。


「晴政様、様子が妙です。お気を付け下さい」

 

 源十郎は刀を抜き、馬を晴政の正面に立たせた。


「雑兵の一人や二人に怯える俺ではないぞ」

「雑兵とは思えませぬ。あれは――っ!」


 まだ数十人が壁をなしていたのを飛び越え、少女は――魔女は源十郎の元に飛び込んできた。


「あなたが大将首かしら?」


 彼女の得物は爪だった。妖怪の類のように長く、短刀のようになっている爪を振るい、幾多の兵士を殺してきていた。


「死んで!」

「死ねぬよ!」


 源十郎は何とか爪の攻撃を防いだ。しかし、その刀は簡単に折れてしまった。玉鋼の刀があっさりと折られてしまったのだ。


「あら、私の攻撃を防いだ人間は初めてだわ。でも、あなたは――」

「覚悟っ!」


 瞬間、魔女の背中を数本の槍が貫いた。腹から穂先が顔を出す。血が溢れ、彼女の足元に赤い水たまりが生じる。


 しかし魔女は痛がる素振りすら見せなかった。


「あら。でも残念」

「っ。こいつは一体……」


 魔女は槍の穂先を爪で斬り落とし、血まみれのまま歩き出した。その顔には不気味な笑顔が張り付いていた。


 その悪鬼のごとき姿には、晴政もにわかに戦慄を覚えた。


「そっちが本当の指揮官? きっとそうね」

「鋭いな……」


 源十郎を挟んで、魔女と晴政は睨みあう。その間も何本かの刀が彼女を斬りつけ、矢が刺さり、槍が刺さっていたが、血が噴き出す以外のことは何も起こらなかった。


「じゃあ、死んでもらおうかしら!」

「っ、晴虎様!」


 魔女は飛び、源十郎を悠々と飛び越え、晴政の元に斬りかかった。


「死んで!」

「俺は死なぬ!」


 一瞬にして抜刀し、刃物の爪を受け止める――筈だった。


 ――遅かったか。

 

「ぐっ……」


 晴政の斬撃は僅かに遅れ、爪は受け止められず、シャルロットの手を斬り落とした。しかし、切断された手と爪が勢いのまま飛んできて、晴政の顔に大きな傷を付けた。


「あら、残念」

「何をしている! 晴虎様をお守りせよ!」

「「おう!!」」


 若干遅れたが、晴政の周りを彼の甲冑にならんばかりの勢いで兵士が固めた。これでは飛んだところで手は出せまい。


「もうちょっとだったけど、残念だわ」


 敵陣中だというのに、しかも右手があったところからぼたぼたの血を垂らしながら、魔女は大げさにため息まで吐いて見せた。


「この化け物がっ!」「死ね!」「かかれ!」

「そういうのは効かないって分からない?」


 躍起になった十数の兵が一斉に斬りつけたが、いくら体を切り刻まれようと、依然として魔女は健在であった。とうに人間一人分の血はまき散らされているというのに。


 そのおぞましい様子には勇猛な伊達の武士もじわじわと気圧され、本陣の真ん中でありながら敵兵が平然と突っ立っているという異様な光景が生まれた。


「貴様、名は何という?」


 血濡れの顔を押さえながら、晴政は尋ねた。


「私の名前はシャルロット・エレン・イズーナ・ファン・ブラウ・ド・シルワネクティス。シャルロットと呼んでくれたいいわよ? ふふふ」

「俺は――伊達陸奧守藤原眞人ふじわらのまひと晴政。その名、覚えておこう」

「そう。まあ、ここら辺が潮時よね。帰るわ。じゃあねー」

「…………」


 シャルロットは背中に翼を生やして飛び上がった。いくらかの兵が彼女を射て、いくらかの矢が突き刺さったが、血の雨が降っただけであった。


「晴政様、お怪我の具合は?」

「大したことではない。この様子だと片目は見えなくなるかもしれぬがな」


 晴政の左目があったところからは、透明な液体と血が混じったものが流れ出ていた。


「すぐに医者に見せましょう」

「それよりも、奴は一体何者だ?」

「あの者は先程、名乗りの最後にド・シルワネクティスと言っておりました。これはヴェステンラントの王族が名乗る氏です」


 ヴェステンラントの王族は、大八洲における名字と氏のように2つの家名を持っている。これは大八洲がかつてヴェステンラント大陸に植民地を持っていた時に伝わった文化だ。


 余談だが、氏を名乗ると晴政は藤原晴政で、源十郎は藤原重綱である。


「つまり、奴は王族――奴らの言葉で言うところのレギオーとかいうものか」

「恐らくは。どうやら我らはヴェステンラントで最高の武人と手合わせをしたようです」

「道理で。それなら頷けるな」


 大八洲における高天巫女にも匹敵する存在。それと戦ったのなら生き残っているだけでも十分だ。


 しかし、そこで晴政は憂慮すべき可能性について思い至った。


「まさか、奴が成政のところに行くということはあるまいな」

「……十分に、あり得ることかと」

「まずいぞ。すぐに撤退させろ! 奴らはこのまま逃がしてやれ!」


 この場には晴政と源十郎という優秀な武人が傍にいたから何とかなったが、成政が無事で済むとは考えられない。彼の鬼道の才は凡庸なものだ。


 ○


「兄者が退けって? 本当か?」

「はい。何でもいいからとにかく退けと。理由は後から話すと仰られています」

「わ、分かった。兄者がそう言うんだったら……皆の者、退け! 奴らは逃げるに任せろ!」


 成政は訳が分からぬまま挟み撃ちを放棄した。


 ○


「殿下、敵が退いていきます!」

「こ、これも姉さまが……この好機を逃してはなりません! 全軍撤退! 船まで戻ります!」


 追撃もなく、ヴェステンラント軍は徹底することに成功した。


 しかし当然、その本来の役目である真珠湾奪還は果たせなかった。


「殿下、恐らく敵の目的は、ここを暫く使えなくすることです。ですので、いずれ彼らは本国へと撤退するかと思われます」

「そう、ですか。ここで指をくわえて見ていることしか出来ないのですか……」

「無念ではありますが……」


 結局、真珠湾は大八洲軍によって徹底的に破壊された。軍船は悉く焼き払われ、ヴェステンラント海軍は甚大な損害を被ることとなったのである。

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