点から線へ
ACU2309 4/10 アルル王国 ブルークゼーレ基地
「では、シグルズ君、君の所感を聞かせてもらおうか」
この策士のような初老の男はヴィルヘルム・オットー・フォン・ザイス=インクヴァルト西部方面軍総司令官。彼が動揺したところを見た人間は古今東西どこにもいないと噂の人だ。
「はい。まず、ゲルマニア軍が用意した兵器は完璧に近く機能し、今回の敗因が城内の兵糧が燃やされたことであるのは明らかです」
「うむ、そうだな」
「そこで僕は、決して補給の途絶えない城を造ることを提案します」
「ほう?」
ザイス=インクヴァルト司令官はニヤリと笑う。一体どんな発想を見せてくれるのだろうと期待していた。
「即ち、ゲルマニアとルシタニアの国境全てを城壁とし、ゲルマニア帝国そのものを広大な城とするのです」
「本気で言っているのかね?」
ザイス=インクヴァルト司令官とて、無論それは頭に浮かんだ。確かに補給の問題は解決出来るだろう。
だがすぐさまに切り捨てた。それが妄言でしかないのは、一般市民ですら理解出来ることだろう。
「はい。しかし、城壁と言いましたが、それはあくまで比喩です。国境と同じ長さの壁を造れとは申しません」
「では何を造れと言うのだね?」
「塹壕です、閣下。城壁など造らずとも、少々体を隠せる溝があればそれで十分なのです」
塹壕という概念自体はこの世界になくもない。だが古代に稀に使われただけで、近代になっては殆ど使われていない。
「それだけでヴェステンラント軍を撃退出来ると考えているのか?」
ザイス=インクヴァルト司令官は懐疑的だ。城壁こそ最大の防御と言うのは、中世以来の常識なのである。
しかしシグルズはその常識に抗う者である。
「はい、必ずや」
「根拠は?」
「まず、ルテティアの戦いにおいて、城壁自体は大して役に立ちませんでした。城壁が果たしたのは、敵を城門に集中させることだけです」
「それが重要なのではないか?」
敵が密集したところに十字砲火をしかけられた。これが勝利の要因であろうとザイス=インクヴァルト司令官は見ていた。
だがシグルズは違った。
「いいえ。ことの本質は、こちらが一方的に攻撃をしかけられたことです。もしもヴェステンラント兵が何らかの手段で城門の中の伏兵の位置を把握していたならば、防衛線は容易く突破されていたことでしょう」
野ざらしの相手を自分は隠れて撃つという塹壕の基本的な機能を、ルテティアでは家屋の中に兵を潜ませるという方法で代替した。
城壁の役割と言えば、外からの目隠し以上のものではなかった。
「しかし、塹壕ではこちらの位置は丸見えだと思うが?」
「もっと本質的な話です。より大きく捉えて、相対する双方の条件に著しい差をつけるということが肝要なのです」
「……なるほど。君の言いたいことは理解した。だが、確証は持てないな」
「それは、まあ仕方のないことかと」
シグルズは塹壕戦がいかに効果的な戦術であるかを知っている。第一次世界大戦では結局、4年をかけても決定的な勝敗は決せられなかったのだ。
しかしこの世界の人々はそれを知らない。塹壕に懐疑的なのも無理はない話だ。
「では君は、どうして欲しいのだね?」
「実験をさせて頂きたいのです。塹壕がどれほどまでに役に立つものなのか、実際に運用してみれば自ずとご理解いただけるでしょう」
「なるほど。その主張は確かに合理的だ。しかしそれは、君に部隊を預けろということを意味するのだろう?」
「まあ、そうなります」
実験をするには、シグルズ直轄の部隊が必要だ。だが今のところシグルズはただの一兵卒である。
「ふむ……となると、総統に裁可を頂く必要があるな」
「はい。それで、その、口添えをお願い出来ますか?」
無理を言っていることは承知の上。しかしシグルズは、何としても塹壕をこの世界に認めさせなければならない。
塹壕を掘らなければ、ゲルマニアはこのまま敗北し、シグルズの夢も絶たれてしまう。
「よかろう。ただし、塹壕については君から伝えたまえ。その方が、私が伝聞を伝えるよりいいだろう」
「ありがとうございます。この恩は決して忘れません」
という訳で、シグルズは再び総統官邸に赴くこととなった。
○
ACU2309 4/11 帝都ブルグンテン 総統官邸
「――という構想です」
シグルズは塹壕と言うものについて語った。
「そんなものでどうにかなるとは思えないが?」
カイテル参謀総長は胡散臭そうに。参謀総長だけでなく、大体の面々がそのようであった。
ヒンケル総統も、シグルズを完全に信用した訳ではなかった。しかし、彼が数々の成功を収めてきているという事実は十分に把握している。
「確かに、参謀総長の言うとおりだ。しかし、であるからこそ、実地検証をさせてみるべきではないか?」
「……しかし、彼は貴族でもないただの兵士。検証には少なくとも――3,000は兵士が必要でしょうが、その権限は彼にはありません。どうするおつもりですか?」
「それについてだが、シグルズを皇帝陛下に直属する貴族に取り立てれば、万事解決するのでないか?」
「そ、そのような例外を認めてしまえば、参謀本部の形骸化に繋がりかねませんぞ」
ゲルマニア軍は構成各国の君主が統帥権を参謀本部に預けるという形で一つに纏まっている。しかし、そうしなければならない法はない。
参謀本部を無視し、皇帝に直属する貴族となれば、現行のゲルマニアの制度を無視して軍団を編成することが可能だ。
だが、カイテル参謀総長の言うように、それが国民軍の破綻に繋がる危険はある。
「その点については、正直、何の保証も出来ない。だが、ゲルマニアが負けては参謀本部も滅びるだろう?」
「――確かに」
まだ大半の人は正しく認識していなかった。このままではゲルマニアは滅ぼされるのだと。そうなれば庶民から国王までが全てを奪われるのだと。
だが、今の言葉で理解した。
今こそ挙国一致の時であると。
「分かりました。そこの手続きは宮内省に話をつけておき、兵員については、ザイス=インクヴァルト司令官。頼まれてくれるか?」
「もちろんです、閣下」
「ということですので、以後のことは軍にお任せを、総統閣下」
「うむ。頼んだぞ」
急かつ前例のない手続きでも、総統の鶴の一声ですぐさま取り掛かれる。それが独裁政権というものだ。
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