開戦の決断

 ACU2308 2/9 神聖ゲルマニア帝国 グンテルブルク王国 帝都ブルグンテン 総統官邸


「半年以内にダキアより完全に撤退せよ、か」


 ヒンケル総統はヴェステンラントから送られてきたその文書をまじまじと見つめていた。


「まあ、半年以内という条件は比較的現実的ですが、到底受け入れられる内容ではありませんね」


 リッベントロップ外務卿はやれやれと肩をすくめながら。


「これは、最後通牒というものだと見ていいのか?」

「はい。彼らはついに、我々との戦争を決意したようです」

「そうか。やはり、こうなるか」


 魔法がものを言うこの世界でゲルマニアが異質な存在であることは、総統も自覚していた。だから、魔法の国であるヴェステンラントがいずれ戦争をしかけてくるであろうことも、最初から予期していた。


 であるからして、驚きはなかった。ただ、少々の疑問が浮かんできただけである。


「しかしだ、リッベントロップ卿、初めに戦争をしかけてきたのはダキアだ。そうだな?」

「はい。その通りです。最後通牒もなしに、いきなり戦争をしかけてきました」


 実際のところ、ダキアが戦争準備をしていることは把握していたが、そんなことは関係ない。


 何の予告もなしに卑劣な戦争をしかけてきたのは紛れもない事実である。


「では、我々がダキアを――我々の安全の為に占領しているのは、正当な権利の行使に過ぎないのではないか?」

「はい。その通りです。我々は道徳的にも法的にも、何ら不当な行動はしていません」


 ダキアに対して高圧的な態度を取っていたことは確かだ。だが、対話で解決することを諦め、武力に訴えたのはダキアである。


「では、ヴェステンラントに正当性などないな?」

「はい。ありません。総統閣下にご理解頂けたようで、外務省としては光栄です」


 ゲルマニアの論理は完成した。ゲルマニアは正義に悖る行動は一切取っていない。


 リッベントロップ外務卿は、総統にこれを説明しておく為にここに来た訳だが、総統は勝手にその結論に達してしまった。


 やはりこの人こそ国を率いるに相応しいと、外務卿は確信した。


「となれば、『勝てば官軍負ければ賊軍』という奴か」

「はい。それが歴史というものです」


 ヴェステンラントにもゲルマニアにも、自らが正義であると主張出来る論理がある。それはどちらも間違ったことは言っていない。どちらも正しい。


 ではどちらの主張が歴史書に掲載されることになるのか。


 それは勝者である。いかに強引なこじつけであろうと、勝者の論理は絶対だ。


 歴史書を見て『いつも正義の味方が勝つのだな』という感想を抱いた人は正しい。何故なら勝者が自らを正義の味方に仕立て上げるからである。


 という訳で、何が何でも勝たねばならない。


「参謀総長。率直に言って、勝てるか?」


 ヒンケル総統は、ここで一等老人のカイテル参謀総長に尋ねた。


「率直に言えば、防衛ならば可能で、侵攻は不可能かと思いますな」

「ふむ?」

「まず、防衛について。ええ、ヴェステンラントの総兵力はおよそ64万。世界の魔導士の1/3です。この兵力をもしも自由自在に派遣出来るのなら、世界はとうに彼らの支配下に置かれていたことでしょう。しかしそんなことにはなっていない。その理由をお考え下さい」

「輸送の問題か」

「はい。そういうことになります」


 ヴェステンラントは新大陸の国である。


 新大陸を挟む平安洋とアトランティス洋は、旧大陸諸国に対する防壁ともなるが、反対にヴェステンラントの進出を阻む障害でもある。


 ヴェステンラントはこの大洋を超えて兵士や物資を送らねばならない。だが経済的に弱小であるヴェステンラントに、数十万の兵士の兵站を維持する力はない。


 エウロパに来るとしたら、どんなに多くても10万が限度だろう。


 であれば、ブリタンニア及びルシタニアとの同盟軍の数で圧し潰すことが出来る。


「ならば、侵攻が不可能というのも頷けるな」

「はい。とても無理です」


 反対に、ゲルマニアがヴェステンラント大陸に攻め込む場合、合州国はその全ての戦力を前線に投入出来る。


 これを跳ね除け内陸にまで侵入するのは、まず不可能。それについては誰にも異論はない。


 しかし防衛の方について、懸念を持った人物がいた。


「お言葉ですが、参謀総長閣下、防衛についての見込みが甘くはありませんか?」


 ジークリンデ・フォン・オステルマン師団長である。


「何だ?言ってみろ」

「ダキアとの戦いにおいて――より正確にはメレンでの戦いにおいて、我が軍は敵のたった1万の魔導士に対し、終始不利な戦いを強いられました。シグルズがいなければ、恐らく勝てはしましたが、相当な犠牲が出ていたことでしょう」


 ジークリンデ自身、魔導士を舐めていた。


 レモラ一揆の時に参謀本部の魔法への理解のなさに呆れていた自分に呆れ果てている。


 魔導士のみによる軍団は、強い。しかもヴェステンラントはその全軍が魔導士で構成されている。


「――ですから、油断は出来ません」

「何だ。前には『我が軍ならば余裕を持って対処出来る』と言っていたではないか」

「そ、それは……」


 ――言い返せん。


「ええ、それは、私の判断が軽率でした。実戦への考慮が足りなかったと言わざるを得ません……」

「しかしです、総統閣下。ダキアで遭遇したのは、ほぼ全員が百人隊ケントゥリア級以上の魔導士で構成される部隊でした。対してヴェステンラントは、その殆どが十人隊デクリオン級です。心配し過ぎることもないでしょう」

「そう、か。だが、オステルマン師団長の言うように、油断はするな」

「はっ。無論です」

「お、おお……」


 自分の意見が採用されて、更には間接的に参謀総長に命令も出来て、ジークリンデは子供っぽく喜んでしまった。


 最終的な結論としては、ヴェステンラントに売られた喧嘩は勝ってやるということになった。またその為に万全の準備をすべきであると。

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