第一章 軍人生活に至るまで

義姉エリーゼ

 神は転生後の生活については特に何も考えてくれなかったらしい。


 話によればシグルズは、一糸纏わぬ姿で道端に捨てられていたとのこと。誰かの子供として生ませるとかではなく、赤ん坊を路上に投げ捨てる神の高尚な思考には、シグルズも脱帽した。


 それはACU2291年のこと。


 投げ捨てられていたのは、地球ではだいたい大ドイツ、ポーランド、ソ連から離脱した共和国ども、スカンジナビア半島辺りに跨る広大な領土を持つ大国、神聖ゲルマニア帝国。


 その中核たるグンテルブルク王国の南東部、リンツェ村なる辺境の集落であった。地球ではオーストリアくらいの位置である。


 そこで彼を拾ったのは、辺境にしては少々金持ちのデーニッツ家なる家である。


 この世界には地球におけるキリスト教やイスラームのような宗教は存在しない。故に地球で見られたような養子に対する抵抗はなかった。


 シグルズを拾い養子としたのは、デーニッツ家の一人娘エリーゼの「うちにも男の子が一人くらい欲しいわ」の一言が理由である。


 父は十年前の大北方戦争に軍医として赴き、不運にも戦死。母は病がちであり、もう子供を産めないだろうと宣告されていた。


 さて、捨て子をそのまま養子にとるとなれば、名前を決めねばならない。


 そこで選定された名前が神話の英雄『シグルズ』である。理由はカッコいいからであった。かくしてシグルズは、シグルズ・デーニッツとして、この家で育てられることとなったのである。


 因みにこの時エリーゼは8才であった。


 このおよそ5年後、母は病死した。


 13才と5才の子供が家を支えることになったのである。


 だがこの頃になるとシグルズには転生前の記憶がほぼ戻っていた。


 そして、大天使が言っていたように、この世界の法則に反した奇蹟――魔導鉱石エスペラニウムを使わない魔法が使えた。


 ○


 ある冷えた冬の日のこと。


「寒くなってきたわねー。そろそろ暖炉の用意をしましょうか」


 金髪碧眼と、シグルズとは似ても似つかぬ容姿をしたおっとりとした少女――エリーゼは言った。


「ああ、それなら僕が」

「まだまだ小さいんだから、それはお姉ちゃんが――」


 エリーゼが暖炉を見ると、ついさっきまで空っぽであったそれが、既に完全な状態で部屋を暖め始めていた。魔法で火を起こすどころか、薪から生成してしまったのである。


 姉は一瞬驚いたが、すぐにその現象の正体に思い至った。


「ヴェステンラントとか大八洲の方ではそうやることがあるって聞くけど、直接見るのは初めてだわ」

「まあちょっと、ね」


 しかし姉はすぐ、これ以上魔法を使わないように言った。それもかなり深刻そうに。


「——何でさ?」

「こんな力、見つかったら大変なことになってしまうわ。もしかしたら国の研究材料にされてしまうかも」


 エリーゼは聡い。この年にして、中身は20才くらいのシグルズと変わらない知性を持っていた。


 エスペラニウムなしの魔法。それは異常なこと。いずれ確実に問題を起こしてしまうだろう。


「でもさ……」

「でもじゃありません! 私は本気で止めなさいと言っているの」

「……う、うん。分かった」


 ――こんな小さな子に何をビビっているんだ。


 と思いつつも、エリーゼの本気の思いに、シグルズも今後は魔法を使わないことに決めた。


 こうしてシグルズは、人生設計に若干の変更を余儀なくされた。


 大天使はこの力を存分に使って出世するように言ったが、それは今や不可能となった。その代わりに、単に魔法に高い適性を持った人間として出世することを決めたのである。


 ゲルマニアでも僅かながらエスペラニウムを産出する。


 そしてそれを効率よく活用する為、魔導適性の高い人間には軍内部でそれなりの優遇がされることとなっていた。それを使うのである。


 ○


 シグルズが12才となった頃、学校で行われた簡易適性検査にて、シグルズが突出した才能を持っていることが明らかとなった。


 無論これでもシグルズは力を抑えている。


 驚いた教師には帝都ブルグンテンで軍部が主催する適性検査に出向くよう勧められた。


 渡りに船とばかりにシグルズはこの話を快諾し、近頃敷設されたばかりの鉄道路線を使い、姉と共にブルグンテンに向かった。


 この時エリーゼは既に20才。保護者を名乗るに十分であった。


 ○


 ACU2303 6/12 神聖ゲルマニア帝国 グンテルブルク王国 帝都ブルグンテン


 煉瓦造りの建物、排煙を撒き散らす工場の数々を見物しつつ、両名は指定の場所へと向かった。


 道中、演説をする男の声が聞こえた。


『ここ2年、諸君の活躍は人類史においても目を見張るものであった! 旧い、非効率的な社会制度を変革し、民が皆輝ける、新たな時代の統一国家への道を開いたのだ! この革命の成果を捨て、再び元の堕落した社会へと戻ってよいのだろうか!? そんな筈はない! ゲルマニアの未来を真摯に憂うのならば、是非とも私、アウグスト・ヒンケルに投票して欲しい! 今こそ諸君の意志を世界に示すのだ!』


 アウグスト・ヒンケルは神聖ゲルマニア帝国の現宰相であり、帝国議会第一党たる社会革命党の総裁である。


 次の選挙は、彼がこのまま権勢を誇るか、或いは引きずり降ろされるかを決める選挙らしい。


『ゲルマニア万歳!』『勝利万歳!』『ヒンケル万歳!』


 聴衆が口々に賛歌を唱えるのが聞こえた。


 ○


「ええと……そっちの子が、受験者ですか?」


 事前に書面にして伝えている筈なのだが、初老の門兵は信じてくれなかった。


 ——しかし、『受験者』なる言葉を異世界でも聞く羽目になるとは……


 子供のいたずらなのだろうとでも言いたげに、彼は、複雑な表情をしたシグルズと、不愉快そうなエリーゼを交互に見ていた。


「はい。シグルズ・デーニッツですが」

「シグルズ…… ああ、シグルズ! 確か一人だけ12才のがいたな!」

「……それです」

「……で、通っていいですよね? ね?」


 ――私の弟を舐めやがって、この野郎。


 エリーゼは悪魔的な微笑みを浮かべた。彼女が放つ殺気は実体を持って襲ってきそうである。門兵からみればエリーゼも子供であろうに、あっという間にすっかり気圧されていた。


「ど、どうぞ。ここからまっすぐ進んで、突き当たりを右です……」


 と、震える声で。


「ありがとうございます」

「どうも」


 シグルズが横を過ぎると、門兵はほっと息を吐いた。これはこれで可哀そうに思えてくる。門兵の教えた通りに進むと、大きな大広間があった。


 入口には紙束を机に並べた受付の若い兵士がおり、奥には長椅子が並べられ、今回の受験者と思われる人々が並んでいた。


 やはり、この中でシグルズは圧倒的に若い。殆どが20才くらいの若者と見え、また男女の比率では女性が目に見えて多い。


「はい。シグルズ・デーニッツですね。確認しました」


 さっきの門兵より遥かに紳士的な、受付係の若い兵士。


「では奥で座って、暫くお待ち下さい」


 促されるままに長椅子に座る。待った時間は20分程度。どうやらシグルズはかなり最後の方に来たようだった。


「お前達、聞け!」


 大広間前方の演壇に、濡烏の長髪に珍しい緑の目、着崩した軍服を纏った若い女性——恐らくは高級将校が現れた。


 眼光は鋭く、何者も敵わないような、百万の兵の総帥と言われても疑問を抱かないような風格を持っている。


 さて、ここからが本番らしい。

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