第16話
一哉は大学に進学した。市内にあるこの三流大学は片道1時間くらい掛かる山の手にあったが、電車の窓から見える風景は美しく海までもが一望出来る。そんな風景に魅了された一哉は意気揚々と学生生活をエンジョイするのであった。
大学でも水泳部に入ったのだがここでの練習には余り力が入らない。でもその理由は一哉本人も良く分かっていた。今まで水泳で頑張って来たとは言ってもそこまで水泳が好きだった訳でもない、ただ団体行動が嫌いなだけで個人競技である水泳をしていただけなのだ。別に大きな大会に出て凄い成績を残すような志もない。となると大学でまで熱心に水泳に打ち込む理由もなくなり、ただ他にしたい事もないから泳いでいるだけといった感じであった。
梅雨が終わり、いよいよ本格的な夏を迎える7月上旬、部員達はこの季節を待ってましたと言わんばかりに水泳の練習に励んでいたが、一哉は気が向かず講義を終えた後そのまま家に帰る。電車の中で遠くに見える海を眺めていると沙希と交わした契りがつい先日のように思える。
沙希は今頃どうしてるのだろうか? 別の大学に進学したけどあれから連絡もない。自分も何故連絡しなかったのかも分からない。相変わらず奥手な一哉はどうしていいのかすら分からないのであった。
家に帰った一哉は沙希に電話した。だが沙希は出なかった。また俺は失敗したのか? 神経質な一哉は他人に対しても気を遣い過ぎる面がある。もと押しの強い人間に生まれたかったと思ったが、強過ぎるのも嫌だ、あくまでも自分は自分なんだという矜持だけは持っていたのだ。
だが沙希の事は気になる。根強く何日も続けて電話していると四日目になってやっとこさ沙希と連絡が取れたのだった。
「沙希、久しぶり、元気してた?」
「何で今まで連絡くれなかったの?」
「何でって、お互い進学した事だし、色々と忙しいと思ってな」
「ふん、相変わらずね」
「今度会えない?」
「いいわよ」
話はあっさりついたのだが一哉はデートの仕方も分からない。何処に行けば良いのか、何をすれば良いのかすらさっぱり分からないのである。今まで二人の女性と付き合って来た経験があるのにそんな事すら分からない自分が嫌になっていた。
どうしても分からない一哉は、夕食時に母にまでその事を訊くぐらいであった。
「一哉、そんな事お母さんに訊いてどうするの、自分で考えなさいよ」
「それが分からないから訊いてんだよ」
「取り合えず映画でも観に行って来たらどう?」
「映画か~」
一哉は母の言う通りにしようと思った。
陽射しが実に眩しい夏の午後、一哉は駅の出口の壁に隠れて待っていた。10分ぐらいの時間が経った頃、沙希はその眩しい陽射しの中から毅然とした面持ちで現れた。一哉はビックリさせてやろうと沙希が直ぐ近くまで来るのを待っている。だが沙希は一哉のいる方へは来ず駅前のベンチに坐ってしまったのだった。
仕方なくそこへ向かうと沙希は朗らかな笑みを浮かべてこう言った。
「何処から出て来たの?」
「いや、ちょっと愕かせてやろうと思ってあそこの壁に隠れていたんだよ」
「それは見当はずれで残念だったわね」
相変わらず冷静な沙希ではあったが一哉は一安心していた。
「で、これから何処に行く?」
そう訊いて来た沙希の姿をよく見るとそれは実に可愛らしい恰好で何処となく大人びた風采でもある。そう感じた一哉は何か緊張して思うように喋る事が出来ない。
「と、取り合えず映画でも観に行かない?」
だが沙希はそんな一哉の気持ちには一切頓着がない様子で
「映画か~いいわね」
と朗らかに答えた。
次の映画が始まるまでは約30分ある。その間二人はロビーでお茶を飲みながら語らっていた。
「ところで大学の方はどう?」
「私は大した変化もなく順調に通っているけどね」
「そうか、それは良かった」
「一哉君は?」
「俺も同じだよ、ただ水泳はもう辞めようと思ってるけど」
「何で? あんなに好きだったのに」
「そうでもないよ、俺が水泳をしていたのはただ個人競技が好きなだけでそれほど関心があった訳でもないしね」
「それだけ?」
「え?」
「それだけの理由なの?」
「勿論沙希が好きだったからだよ」
「遅いわよ」
沙希は笑っていたが、相変わらずテンポの悪い一哉はまた自分の不器用さを恥じていたのだった。
そうこうしている内に時間が来て二人は映画観賞を始める。その映画はやはりラブストーリーだったのだが今度は何時か読んだ悲劇の恋愛ではなく恋する二人が結ばれるという実に晴れ晴れとした内容であった。
一哉は観終わった後ほっとしていたのだが沙希は何か物足りないような顔つきをしている。それを訝った一哉はこう訊いた。
「沙希、余り面白くなかったのか?」
「いや、そうではないけど、余りにもハッピーエンド過ぎてね~」
「物足りないという事か~」
「でも面白かったわよ」
そうは言った沙希であったがその表情は明らかに満足はしていないのが分かる。一哉はそんな沙希の手を取って歩き出した。
その後も二人で街をぶらつきお洒落なカフェに入ってまたお茶を飲んでいた。
「一哉君、あなたデートするの初めてでしょ?」
「そうなんだよ」
「実は私もなの」
「え! ほんとかよ?」
「本当よ、私もあまりデートは好きな方じゃないのよ、でも一度こういう経験もしてみたいな~と思って」
「それは意外だったけど、でもそう訊いたら俺も安心したよ」
沙希も本来は一哉同様どちらかと言えば几帳面で団体行動が嫌いな性格であったのかもしれない。でも勿論一哉ほど神経質な事もなく、冷静で聡明な沙希ではあったがやはりその人となりは何処かあどけなくて可愛らしい一人の女性である事も確かである。
その後も二人は大学の事やアルバイトの話、友人の話等、他愛もない話をしていたのだが沙希は一哉の顔から少し目線を反らしてさりげなくこう言った。
「ホテル行かない?」
「え?」
「今更愕く事ないでしょ? 行きたくないの?」
「そんな事ないけど、沙希の方からそんな事言うなんて、愕いたよ」
「女からこういう事言ったらダメなの?」
「そんな事ないけどさ、そんなにムキになるなよ」
「冗談よ」
そう言った沙希の顔は相変わらず冷静そのものであったが、ここまで言われると冗談では済まされない、というより済ませたくないといった感情が込み上げて来る。
一哉はカフェを出て帰り路でまた沙希の手を取り
「ホテル行こう」
と言い出したのだった。
すると沙希は小さな声で
「いいわよ」
とだけ言って一哉について来た。
夏の夕方の街はまだ明るい。そんな中、如何にもカップルと言わんばかりの二人の姿は傍からも少し目立つ。
そんな事は一切省みない沙希ではあったが、やはり一哉は気になる。
「一哉君、周りばかり気にしないで普通にしてなさいよ」
「そ、そうだな」
照れながら歩く一哉に、至って冷静沈着な沙希。この二人は本当に相思相愛なのだろうか?
またまた思い悩む一哉であった。
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