惟光は悲劇の女性を減らしたい!

家具付

第1話 惟光、鬼に相談する

こんな夜更けにいかがなさいましたか。初めまして、私は惟光。お仕えしているのは、光の君と名高い、桐壺の帝の掌中の珠。私はその、大事にされている二番目の皇子の乳母子というものです。

乳母子というのは、乳兄弟とも言います。

高貴な身分のお方は、自分で自分の子供にお乳を与えたりいたしません。

そのため、お乳を代わりに高貴な身分の赤ちゃんに与える、乳母と言う物が登場します。

乳母は基本的に、文字からもわかる通りお乳を与えるお役目なので、当然、同時期に子供を産んでいる女でもあります。

女房と言われる方々が、自分の子供をさらに格下の乳母に世話させて、やんごとない身分のお方の乳母になるのは、珍しくないのですよ?

しかし、惟光の母は少し状況が違いました。

母は夫を亡くしたばかり、そして身分的にとても微妙な立ち位置でした。

というのも、母は正妻ではなかったので、頼りになるのは自分の両親でした。

しかし自分の両親が死んでしまったため、身を寄せたのが、両親がお仕えしていたご縁のある、桐壺更衣様のご実家だったのです。

桐壺更衣様は、か弱い風情でありながら、実に野心のあるお方で、自分の子供はいずれ必ず、誰もがうらやむ立場になると信じていらっしゃいましたが、哀しいかな、ご自分の心に降り積もる数多の嫌がらせによって、お乳が出ないでいらっしゃいました。

そこで惟光の母が登場したのです。惟光はなんと、桐壺更衣様の息子君と、たった三日ほどしか違わないのです。三日だけ惟光の方が年上と言っていいでしょう、しかしたかだか三日であります。

そこで惟光の母は、乳母として桐壺更衣様の息子君を育てる事になりました。

何せ桐壺更衣様は、長年のやっかみにより情緒不安定で、子供をかわいがれる心の余裕はありませんでした。

惟光の母と、桐壺更衣様のお母様は、それはそれは丁寧に、子供を育てました。

そして子供を産んだなら戻ってこいとせっつく、桐壺帝のお召しにより、桐壺更衣様は宮中へ戻って行かれました。

無論我々も連れてです。

惟光も連れていく意味あったのか、と思いますが、私はまだ頸も座らない子供であったこと、そして母が乳母を見つけられなかった事が大きいです。

それに乳兄弟というのは何かと、高位貴族の恩恵にあやかれるのがこの世の常識。

母が兄弟のように育てようと思っても何もおかしくありません。

事実惟光は兄弟のように、玉のように輝く光君と育ちました。

余りにも光君はきらきらとまばゆかったので、子供なりにこのお方は別格なのだなあと思って暮らしてきました。

帝も、光君の様子を見に来るために、桐壺の殿舎にお渡りになります。

お渡りになるというには、やって来るという事です。そういう風に言うのですよ。

惟光は帝がお渡りの際には、いつも局の端に隠れて、目に触れないようにしました。

母がそうしたのです。

母なりの配慮でありましたでしょう。母は帝と桐壺更衣、そして光君の三人をこれ以上ないほど敬愛していますから。

しかし、長年の嫌がらせにより、桐壺更衣はすっかり体を弱くしていらっしゃいましたので、たびたびご実家に戻りました。

降りかかる数多の嫌がらせにことのほか参ってしまって、実家に帰ると、桐壺帝が、帰ってこいと矢の催促をいたします。

桐壺帝の愛だけが宮中で信じられる物、桐壺更衣様は何度も戻って何度も体の調子を崩して実家に戻り……とうとう寝込んでしまいました。

おい、桐壺帝、ちょっとは考えろ、自分の嫁さんが何人いるか数えて見ろ、そしてその何人に無礼を働いているか考えろ、なぜ最愛の女性がこんなに体調を崩すのか考えた事があるのか。

と今の惟光だったら思いますが、当時は幼かったので、度々子供を置いてでも、宮中に戻らなくてはならない桐壺更衣様が、本当に不憫に思われました。

そして、とうとう、ある気温差が激しい季節、桐壺更衣様はご実家に戻ってきて、それから宮中へ戻りませんでした。

後宮で体の調子を崩して、そしてずるずると悪くなっていって、死にそう、という時になってやっと帝が、周囲から、御殿で、つまり帝の居住空間で死人を出すのは縁起が悪いという家臣のお願いを聞いて、実家に帰したのです。

おい、その前に具合が悪いうちに実家に帰せよ、と思うのは惟光の勝手であります。

そして桐壺更衣は亡くなられました。帝は大変にお嘆きになり、唐の楊貴妃のたとえを出すほどに悲しまれ、そしてとにかく、光君を猫かわいがりしました。

光君は何でも優れていたため、その優秀さが一層かわいさを産んだのでしょう。

日嗣の皇子である朱雀様が、可哀想になるほどの溺愛っぷりです。

そして光君をかわいがりながら、同時進行で、桐壺帝は落ち込んでいたのを周囲に慰められて、桐壺更衣様とそっくりで、もっと若い女性を妻として召しました。

彼女は先代の帝の血筋をひいていて、なんて言ったって第四皇女様であります。これ以上ない后腹の姫君です。そして桐壺更衣様とそっくりで、もっとうら若い、わけです。

彼女の血筋については誰も文句が言えませんし、後ろ盾もありますので、大納言の父を亡くしていた桐壺更衣様と違い、嫌がらせなんてできません。

つまり何にも問題のない女性を、妻に迎えて、桐壺帝はすっかり慰められたらしいです。

そして、彼女に、いくつも年が違わない光君を会わせて、


「あなたはこの子の母にそっくりなのです、優しくしてやってください」


なんて言ったわけです。

光君も、最初は自分の母にそっくりという事で、純粋に慕っていたと思ったんですが、……数年たって、こいつはまずいな、と惟光は気付きました。

だって男の目で、その女性、藤壺様を見ていらっしゃるのです。男のぶしつけな視線なんて慣れていない藤壺様は、その視線の意味が分からないでいらっしゃるから、警戒もしません。

他の女房達も、まさかそんな大胆な欲望を抱いているとは思いませんから、気にしていません。

年齢差なんて気にならないくらいです、たったの五歳の差、数え年であるがゆえに、もしかしたら実際年齢は三歳差か四歳差か、といった所、そしてそいぶしと呼ばれる、男児成人の儀式の際に、童貞を棄てる時にはもっと年上の女性とそう言った事を行うと考えると、精神的問題は限りなく低いわけですよ。

そして。そいぶしの際の女性が、正妻になる場合、女性はやんごとなき身の上の姫君、男を囲うわけもなし、男性経験なんてないわけでして、その前に男は童貞捨てるわけですよ、例えばそばにいる信頼のおける侍女とかで。

場合によっては侍女がすごい権力を持つ妾になる場合もあるそうな。

何が言いたいかっていうと、若君が藤壺様への欲望を諦められるわけがないって事ですよ、身分の違いとか、年齢差とか、義母だとかいう考えでは諦められません。

そういう世の中だから。

さてどうしよう。

というのが、惟光の相談事になります。

さあ、羅生門の鬼殿、これをいかにしましょうや?




長い長い惟光の語りが終わった。惟光は盃の向こうの、霧の中に隠れた何か、人為的ではない物の答えを待っていた。じっと、じっと、目をそらさないようにしながら、待っていた。

羅生門には鬼が出る。

羅生門の鬼は答えを知っている。

いつの間にか都にひそやかに流れだした噂だ。そして惟光はそれに縋りたいほど退路を断たれていた。

誰にも相談できない、惟光以外誰も気付いていない、若君の欲望の話なのだ。

これが世間に知られたら、若君はただではすまされない。

まだ間に合うのだ、まだ憧れているのだ、で話は済まされるぎりぎりの所に、いるのだ。

若君はまだ十一歳。まだ成人の儀は行われない。来年だと聞いている。

思春期の始まりの、熱に浮かされた欲望だって、まだごまかしようがある。

惟光は若君が嫌いではない。ちょっと問題のある人間に思いを募らせているから、困り果てているだけである。

幼い頃から、仕えてきた若君を見捨てる事も、惟光の立場は許さないし、母からも厳しく責められるであろう。

お前がなぜ裏切るのだ、と言われてしまったら行く当てがない。

それに、惟光にとって光君は、弟分のような存在でもある。

見捨ててしまうのは寝覚めが悪すぎた。

そう思っている時だ。

不意に笑い声がぐつぐつと響く。それが鬼の笑い声だったらしい。

ぐつぐつ、という鍋が煮えるような音がいくつも響き渡り、散々笑ったらしい。

霧の向こうから嗄れ声が放たれた。


「惟光、それはお前の、乳兄弟の破滅を防ぎたいという事か」


「はいそうでございます」


「ならば答えは簡単だ、惟光。お前が本来の性別で、光君とやらに接すればいい」


惟光はぎょっとした顔になる。まさかこの霧の中、それを看破されていたとは。

鬼に嘘は吐けないというのは真の話であるらしい。

胸をとっさに探ってしまった惟光である。そこはほとんど膨らんでいないし、布を当てて誤魔化しているから、まだ絶対に気付かれない。


「惟光は女なのであろう。布地一枚で隠していても、匂いでわかる。鬼にそんなものが騙せるわけがないのだ」


なるほどうかつだったか。惟光は反省した。鬼の鼻は敏感らしい。

しかし鬼は続ける。


「惟光よ」


「はい」


「お前の話は大変に面白かった。答えをやろう。お前が女性として本当の自分になり、光君に接すればいいのだ。お前ならば十分に、藤壺から、光君の欲望をそらせるだろう」


「……」


惟光は黙りました。惟光は確かに、諸事情から男の姿をしている女であった。

だが今更、女に戻れと言われて、はいそうですか、と戻れるわけがなかった。


「惟光よ」


「はい」


「二つの顔を上手に使うのだ。お前ならできるだろう。何なら、周囲が惟光と気付かないようにする術も、いくつか教えてやろうではないか……」


「そんなものがあるのでしょうか」


「あるとも」


そう言って鬼はいくつかの方法を惟光に教え、はっと気づけば、霧は晴れ、盃も酒を入れていた壺も空っぽになっていた。


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