私たちのおうち時間が増えてたった一つだけ困ったこと

つかさ

第1話

「あのさー。キーボードの音カタカタうるさいから、ちょっと静かにしてくれない?眠れないんだけど……」

「仕事なんだから仕方ないでしょ。我慢してよ」

「なんで自分の家で我慢しなきゃいけないわけ」

「ここ、私の家でもあるんだけど」


 世間がまるごと自粛ムードに突入してもうすぐ1年が経とうしていた頃。

 テレワークという言葉が当たり前に使われるようになって、私の仕事も世の流れに合わせて自宅勤務が中心になった。オフィスには月に数回行けばいい。むしろ、それ以上来るなってお達しが出てるくらい。

 化粧も着替えも毎日しなくて良い、満員電車にも乗らなくいい、やったー!なんて思っていたけど、思わぬところに弊害が起こった。


 私の同居人、詩織。

 キャバ嬢をやっている詩織は店の営業が自粛になったことで収入が大きく減った。あの頃は日本中が自分の敵になったって怨嗟の声を毎日のように漏らしていたっけ。最近はお店のほうも再開しているけど、依然として続く自粛ムードで稼ぎも出勤日数も減ったためにモチベーションはだいぶ下がっていて、機嫌が悪いこともしばしば。


 詩織とは学生時代からの友達で、社会人になった頃にあの子からの誘いで同居することになった。同棲していた彼氏と別れて、実家にも帰りづらいから、なんていう理由。今は私が借りた小さめの部屋が二つの築年数そこそこの安アパートに二人暮らし。

 私は昼型、詩織は夜型。生活リズムがきれいに分かれていたから、一緒に暮らしていながらお互いのことを気にしないで済む、そんな都合の良い生活を送っていた。


「ちょっと!画面に映っちゃうから、今こっち来ないでってば」

「いや、あんたの後ろ通らないと冷蔵庫に行けないんだけど」


「そこでラーメン食べないの。こぼしてパソコンにかかったりでもしたら大変なんだから」

「どこで何食べようが私の勝手でしょ」


 重なってしまった生活の不協和音が狭い空間に鳴り響く。

 空回りする二つの心がもつれ合いそうになる。

 はぁー……困った。


 コロナのばーか。早く消えてなくなれ。




 ある日のこと、詩織が仕事をしている私の背後から顔を出してきた。


「ちょっと、なに?」

「へぇー、こんな仕事してるんだ」

「企業情報だから見ないの」

「大丈夫。何やってんのかさっぱりわかんないから。ほら、私バカだし」


 ニコッと笑顔でそう言った。

 詩織の家は貧乏だったので大学に進学するお金が無かった。高校時代、陸上部だった私たち。『大学に行っても続けたいね』って言ったときの詩織の苦笑いの意味を知ったのは少し先のこと。


 詩織は私のベッドに背中を預けて漫画を読んでいた。

 のんびり出来てうらやましいな。こっちは家にいたって仕事で落ち着かないのに。

 

 あぁ……ダメだ。疲れた。

 重力と欲望に負けて、体を後ろに倒して床に寝っ転がろうとすると、頭に何か当たった。クッション、このあたりに置いてたっけ?

 パッと目を開くと見知った顔が目の前にひとつ。


「ん?」

「あっ……」


 私の後頭部は詩織の太ももに綺麗にダイブしていた。


「ごめん。どくから」

「別にいいよ。そのままで。私、暇だから漫画読んでるだけだし」

「あっ……そう……」


 困った。実に困った。

 この状態から抜け出す手段を早々に奪われてしまった。

 いや、どけばいいだけの話。ガバッと体を起こして、何事もないように仕事に戻ればいい。だから、ここでいつも通り仕事の通知が鳴って!会議の呼び出しでもメールの受信でもなんでもいいから!ほら、早く!

 だけど、こんな時に限って、PCもスマホも静寂を貫いている。


「懐かしい」

「……何が?」

「高校の陸上部のとき、あんたが熱中症でバテて倒れてさ。私が介抱したときのこと思い出した」


 暑さで倒れた私は日陰に運ばれて、すぐ近くにいた詩織の膝を枕にして休んでいた。『何やってんの』って顔で手のひらで私の顔を仰いでくれたけど、全然涼しくなくいから『もっと強く』って言ったら、そこそこ強めのデコピンをくらった。ちょっと涙が出るくらい痛かった。

 だから、詩織が漫画本を持っていた右手を眼前に伸ばしたとき、私は反射的に目を瞑った。


「いつもおつかれ」


 前髪が擦れる音。少し冷たい手のひらの温度。

 目を閉じると思い出す。校庭を駆け抜けるシューズの音。乾いた空に木霊するみんなの声。隣で走る詩織の真剣な眼差し。私の鼓動はでだんだんと鐘を打つスピードが早くなる。


 きっと、今の私は熱にやられたあの時みたいな顔色をしている。




 目を開けると詩織がさっきと変わらず漫画を読んでいた。違うのはテーブルの上に置かれた一冊の漫画本。もう一冊読み終えたんだ……って、あぁっ!!


「もしかして、私寝てた!?」

「30分くらい」

「うわぁー、仕事サボってしまったー!」

「いいじゃん、少しくらい。ほら、部活の時もさ。こっそり隠れてすこーし休んでたじゃない」

「あれは詩織が無理やり……先生にばれてめちゃくちゃ怒られたんだよ。そっちはちゃっかり逃げたくせに」

「あぁ~……そんなこともあったね」


 近いけど近すぎなくて、うまい具合にすれ違える。この距離がちょうど良かった。


「そういえば、最近ちゃんと会話してなかった」

「うん……」

「愛想つかされたかなーって思ってた。生活だらしないし、最近はお金の面もそっちに負担かけること多くなったから」

「それは仕方ないって。私は全然大丈夫だから。気にしてない」


 ちゃんと会話しなかったんじゃなくて、出来なかっただけ。

 一緒にいる時間が予想外に増えてしまったから。


「私たちってさ。別々に生活してるだけだったでしょ?あんたが帰ってくる時と私が仕事行く時に玄関ですれ違うくらい。ほら、こういうご時世だし、お互いに寂しくなるときもあるし……さ」


 私にはそれでちょうど良かった。


 いつもとが違う少し不安そうな詩織の声。どうしよう。これは困った。


 重なった生活の不協和音が私からうるさいくらいに鳴り響く。

 空回りする私の心が慌てて転びそうになる。


 コロナのばーか。早く消えてなくなれ。


 この気持ちが気づかれてしまう前に。

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