第14話 七日目 恋は遺伝と環境と



 タイマーがなった。

茉莉花の来る予定時間の三十分前だ。

寝癖だらけのぼさぼさの髪の毛をガシガシとかきながら、乾いた喉を潤そうと台所へ向かった。大きくあくびをしながら冷蔵庫の前へ立つ。中から、麦茶を取り出してコップに注ごうとした瞬間、目があった。茉莉花と。正確には、リビングのソファに座る茉莉花と。


「なんで?」


「おはよ。夏樹」


「おはよ。なんで?」


「うふふ。驚いた?びっくりしたでしょ~」


「わたしが呼んだのよ。夏樹は約束の三十分前に起きるから、我が家の普通をご覧あれと」


「母さん、預言者かなんかか?」


「母が我が子の行動パターンを読めなくてどうする」


「母さんが、茉莉花とおしゃべりしたいだけだろ。そういうウザい姑は嫌われるぞ」


「あんた、もう結婚した気でいんの?」


「それが、ウザい」


「まあ良いけど。でもここから上演開始だと茉莉花が胃もたれを起こすよ。知らないからな」


「胃もたれって、何?」


「見てればわかる。それとさっきの返事は、してない、だ」


「???」


「びっくりしてない」


「えー、なんで?」


「俺のメッセージに既読はついたのに返事が来ない。しばらく経ってから来たのは、短い素っ気ない文章。ということは、俺のメッセージよりも優先させる誰かと何かしてたということ。

そして同じタイミングで母さんが誰かとメッセージのやりとりをしてた。

尚且つ、世話焼きの母さんが今日のことにあまり触れてこない。突っついてこない。

以上のことから茉莉花と母さんが今日の事についてやり取りをしていて、何かを企んでいた事は明白。以上」


 茉莉花と母さんが悔しがっているとそこへ父さんが顔を覗かせた。茉莉花とはすでに挨拶を済ませていたようで、「おはよう夏樹」と俺にだけ挨拶をしてくる。


「じゃあ、めぐみさん。ご飯の支度しようか」


 着替えを済ませ顔を洗って戻ってくると、台所に立つ二人の様子を茉莉花は興味津々でじーっくり観察中だ。しかも時折二人の会話に入って盛り上がっている。さすが陽キャのハイスペ女子 。人付き合いが苦手な俺と違ってどこにでも直ぐに溶け込む。


「めぐみさん、これさっき八百屋さんでめちゃくちゃ甘いってお薦めされたよ。どう?美味しい?」


 親父は買ってきたサラダ用のプチトマトを水洗いしヘタを取ると母親の口に「あーん」と食べさせる。母親はいつもの事なので全く気にした様子もなく、もぐもぐ口を動かして「うん、甘いね」と返した。

息子の俺や茉莉花がいようが関係ない。至って日常だ。

 親父は隣の大きな町でSEをしていて繁忙期とそうじゃない時の差が激しい。ついこの間までは、アップデートだかリリースだかなんかで週末で無いような状況だった。今はようやく落ち着いたらしく、休みの日に家にいる時は母さんと一緒に台所に立つ。母さんと一緒に買い物に行く。母さんと一緒に洗濯物を畳む。

言ってしまえば、ただ、母さんの側に纏わり付いているだけなのだ。

二人は職場恋愛だったそうで、結婚を機に母さんは在宅ワーカーとなりプログラミングしている。おかげで、夫婦ともに休みが合うので、二人が家でくつろいでいる時は、仲睦まじさが半端なく目につく。


「それからこっちはね、」


と相も変わらず母さんに餌付けしているが、食事前にお腹がいっぱいにならないだろうか、俺はお腹いっぱいです、ご馳走さま。


 食事の支度も整うと親父は「美味しいワインも買って来たけど、どうする?」と聞いている。


「今日は昼はよすわ。夜にゆっくり飲みましょう。ありがとうね」


「ちなみに食後のアイスも買ってある。今日発売の」


「ほんと!ありがと。すごく嬉しい。だからね、和弘さんが今日一人で買い物行くって言うの、珍しいと思ったのよ」


「アイス如きで喜んで貰えるなら、いつでもパシるよ。あ、もちろん二人のも買ってあるから、あとで食べてね。ただ、茉莉花ちゃんの分は、夏樹と若干被っちゃったかな~」


「??」


「わかった、おやじ、ありがとう、あとで、食べる」


「うん、そうして。じゃ、ご飯食べよっか」


 といつも通り「めぐみさん、これどうぞ」「これは今日は辛さ控えめだからね」「お皿貸して。取ってあげる」と大皿の料理を取り分け甲斐甲斐しく世話をする。お客様がいても通常運転だなと感心するが、こんなの目の前で見せられて茉莉花はどう思うんだろう。


「茉莉花、遠慮しないでね。こっちの取り分けるからお皿寄越して」


「ありがとう」


 少し遠慮しているようで、大皿に手を伸ばす回数が少ないようだ。でも美味しそうに食べているし、口に入れる度に目を見開いているから味は大丈夫だろう。そりゃ、彼氏の家で彼氏の両親と一緒に食事するのは茉莉花だって緊張するよな。


「茉莉花、これ好きだろ。これも」


と皿の様子を見ながら、茉莉花の好きなおかずをぽいぽいのっける。メニュー全般、茉莉花が好きそうなものばかりが並んでいるからどれを選んでも大丈夫だと思うのだけど、この間のご飯デートぐらいではリサーチ不足で精度も低い。


「夏樹、そんな」


「茉莉花、好きじゃない?」


「好きだけど、でも」


「お腹いっぱい?」


「う、ううん」


「わかった。茉莉花も母さんみたく、あーんしてほしい?」


「ち、ちがうっ」


「大丈夫、茉莉花ちゃん。慣れよ、慣れ」


 恥ずかしがる茉莉花は初々しくって可愛いのに目の前の母さんの、さも当たり前のしれっとした様子にげっそりする。


「い、いえ。わたしは初心者なので結構です」


「なんの初心者だよ」


「れ、恋愛の?」


「恋愛に初心者もベテランもないかもよ?二人は二人のペースでね。夏樹、わかっているだろうけど、強引なのは茉莉花ちゃんに嫌われるからね」


「嫌われることはしない、多分」


 そういって、また勝手に茉莉花の皿に取り分ける。


「嫌い?」


「……嫌いじゃない、よ」


「ならよかった」




******




「ご飯終わったら、どうする?茉莉花の好きなことするっていってたけど」


「それなんだけど、夏樹と一緒にゲームしたいなって。ダメかな」


「なんのゲーム?PC?家庭用?」


「出来る事ならPCがいいけど。家にうちのノート取りに行ってもいいし。オンラインも良いけど一緒に隣でできたらいいなって思って」


「別にいいよ。PCも取りに行かなくても俺のノート使えばいいよ。デスクトップ程ハイスぺじゃないけど、一応ゲーミングだし」


「いいの?」


「ああ。茉莉花の望みはささやかだな」


「ささやかかもしれないけど、二年間ずっと願ってたことだから、すごく嬉しい」


「そうだな。俺も思ってた」



「私も。私もゲームしたい、一緒に」



 せっかく良い雰囲気だったのに水をさすような、一気にクールダウンさせられる母さんの声。



「めぐみさん、お邪魔虫だよ、さすがに」



 親父、頑張れ。普段、親父にやれやれと思うことはあっても加勢することなんてない。


「だって、邪魔してるんだもん。一時間だけでいいから、家庭用ゲーム機でパーティーゲームしよ」


「マジで邪魔」


「ふふ、私はいいですよ。楽しそう」


「あのなあ、親父も母さんも接待ゲームなんて無縁だぞ。ガキの頃から俺は、いつもコテンパンに叩き潰されてるんだから」


「パーティーゲームなら、わたしの一人勝ちでしょ。この間は格ゲーだったから夏樹に負けただけだもん」


「この二人の本気を知らないから言える。だいたいいつもワイン飲んで、ほろ酔い気分でゲームに無理やり付き合わされて、それで俺負けるんだからガチでへこむぞ」


「わたしも夏樹をへこませたい~」


「じゃあ、決まりね。四人でしましょう!」


 テーブルの上の食器を流しに突っ込むと「今日は酔っぱらってないから、百%本気だすからね!」と母さんは腕まくりをした。親父はにこにこと食器を運んでいる。いつもの見慣れた景色だけど、今日はそこに茉莉花がいる。そして、茉莉花も「わたしも腕まくり~」と袖をまくり上げると張り切って食器を運び始めた。

 結果は、予想通り、母さんがダントツトップだった。


「今までは、ワインというハンデをみんなにあげてたのよ」と得意顔で腹が立つ。茉莉花は「在り得ない、まさか、私がこんなに大差で負けるなんて」と呟き、うなだれるかと思いきや

「めぐみさん、またゲームしましょうね!楽しかった」と笑顔だ。


「顔を洗って出直してきなさ~い」と母さんも気分が良さそうで俺は腹立たしい。しかも慣れた「めぐみさん」呼びに親父のことも「和弘さん」と呼び始めかなり親しげだ。

なんか不思議な感じ。首のあたりがムズムズして掻き毟りたい。


 茉莉花を先に俺の部屋に促すと冷凍庫からアイスを二人分取り出した。

部屋に入ると俺のゲーミングチェアにゆったりと腰を下ろしてくつろいでいる茉莉花。


「ほら、アイス」


「ありがとう!やたっ。ミルクティー味だ。嬉しい~」



 母さんの部屋から仕事で使用しているゲーミングチェアをゴロゴロ引っ張ってきて、茉莉花の隣に座る。自室の扉は少し開けておくように親父に促された。「大事にしてあげなね」と。

そんなの言われるまでもないと反発したくなったが、そういえば先週はと思い出して言葉に詰まる。互いに好きだとわかって、思いのままに唇を重ねてしまった。付き合い始めてさらに一日ごとに好きが増えてる。確かに密室はやばいかも。

「うっす」と小さく俺は返事をした。



「狭い?」


「ううん、全然大丈夫。むしろ夏樹の机広すぎて。もうちょっとくっついてもいいくらい」


「やだ」


「なんで?」


「だって、お前、興奮すると激しく動くだろ」


「あれは格ゲーだったから」


「じゃあ、今日は俺は銃で撃たれるってこと?」


「大丈夫、コントローラーでは人は殺せない。たまに腕を振り回すくらい?」


「何故、銃ゲーで動くんだ?動くの禁止」


「そんなの約束できない」


「動いたら罰ゲームだ」


「じゃあ、負けても罰ゲームね」


「協力プレイだろ」


「あああああ、そうだった。楽しみ~」




******




 ゲーム開始から一時間。



「茉莉花、近くに敵の影がある」

「階段下に敵の姿発見、夏樹援護頼む」

「ポイントBに多数の敵、裕一郎囲むよ」

「すみれcoolだね!」

「禎丞、ウケる〜〜」



 おかしい、なぜみんなとオンラインゲームしてる?なぜこうなった?

親父……、親父の心配は杞憂に終わったよ。俺の期待とときめきも返して欲しい。




******




「あああ、楽しかったね。今日は忘れられない日になりそうだよ」


「ソウダナ。マンゾクシテモラエテナニヨリ」


「ええ、何その感情が籠ってない感じ」


「茉莉花が楽しかったんなら、俺も楽しいよ」


「なら、いいけど」


 夕方「このままうちで晩御飯も食べていけば?」という両親の誘いを断った茉莉花を送っていく。

「恋人繋ぎって知ってる?」って聞いたら茉莉花が「もうっ」て言いながらおずおずと手を差し出してきてそっと指を絡めてくれた。これはSか?腹黒なのか?自問しながら茉莉花の家までの帰り道を歩く。送り届けると手に持ったビニル袋を茉莉花に差し出す。


「ねえ茉莉花。これうちで食べて」


「?アイス??おやつにも違うミルクティー味の食べたよね?」


「あれは親父が買って来た今日発売したやつ。これは俺が昨日買って置いたやつ」


「夏樹が買ってくれてたんだ。嬉しい」



「……俺、今日は朝起きて買いに行くの無理だからって昨日のうちに買っておいたやつだから。親父は母さんの為にちゃんと」

「夏樹!!ありがとう」


「茉莉花……」


「夏樹がわたしの為にしてくれたこと全てが嬉しいんだよ。それに夏樹は、夏樹だよ」


「……」


「わたし達、高一だよ。和弘さんは倍以上も生きてるの」


「そうだけど、なんか悔しくて」


「夏樹の気配りは普通の高一ではないよ、きっと」


 茉莉花は花が開くように笑った。


「それにしても。わたしがミルクティー大好きだって和弘さんに言ったの?」


「んー、親父にも母さんにも言ってない。でも多分、母さんが教えたんじゃないかな。今日の昼飯のメニュー考えるのに、この間ご飯デートした時のセレクト聞かれたし。あと、茉莉花がその前の日うち来た時の様子で分かったんだろ」


「様子?」


「茉莉花が洗ってくれたティーカップが二組、二セット。ティーポットとミルクポット。俺がお茶好きなのはもちろん知ってるし、そしたらミルクポットは茉莉花の為って気づくんじゃないかな」


「……流石夏樹のご両親だ。夏樹が親に会えばわかるって言ってたのがよくわかった。遺伝子と環境。理解した」


「そう?」


「そう。私が夏樹に甘やかされて、掌の上で転がされる未来図しか今のところ描けない。でも、今のところ、だよ」


 わたし、伸びしろはいっぱいあるからと胸を張っている。


「期待してるよ」


 繋いだ手を強く握りしめる。この手はもう離さない。茉莉花を甘やかして、ドロドロに蕩けさせる。ドSで腹黒な俺の心が喜びで震えていた。

あの頃の自分はこんな日が来るなんて思い描けなかったし、掌の上で転がす未来図なんて考えもしなかった。いつも下を向いて、たまに茉莉花の笑顔を遠くから見られるだけで良かった。それがささやかな幸せだった。



「初恋はさ、叶わないっていうから、俺ちょっと諦めてた」


「え、びっくりだよ」


「ナニガ?」


「夏樹が普通のこと言ってる」


「俺はいたって普通だが」


「ソウデスネ」


「でも、俺は、普通じゃない」


「ソウデショウネ」



「だって俺は、初恋を実らせた男だからだ」




「……あははっ。そうだね。さすが夏樹だ。じゃあ、私たちは普通じゃないカップルだ。私も初恋の相手と結ばれた!」


 心の奥底からの気弱な気持ちを口に出したのに、茉莉花にあっさりとネタにされ、笑われた。だけど、それが居心地が良くて、結局最後は二人ともいつもの口調に戻ってしまった。


「このままずっと、二人で歩んでいきたいな」


「うん、私も」


 茉莉花もぎゅっと手を握り返してきた。



 これが俺の高一の普通の恋愛。そして、初恋であってきっと最後の恋だ。










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