娘と煉瓦の街
幾木装関
娘と煉瓦の街
娘と煉瓦の街
登場人物
私(ジョスター)は足に寒くなると疼きを感じる。四十六才、身長百六十
決まって五時半になると毎日疼く。
ジョスターと親しい野宿者のリック。
足に古傷があり寒くなると、疼きを感じる。六十六才
協会窓口のレンジ 七十才
野宿掏り師、老人二人クレッグ 六十四才とマクラン 六十八才
追われる者
娘 オンリー 十四才、摺り師
父 四十才、両手足が不自由にされた
一
あの日以来、私の下半身が疼く。今日のような寒い朝は、脚の痛みの激しさに耐え切れず毎日、目が覚めるようになった。
時は決まって五時半になると毎日、疼くのである。もうあれから十年目となると、「疼くのはお前の体内目覚まし時計のせいだ」などと、北の子供らに、外套越しに馬鹿にされるのが当たり前となっていった。
私はいつも通り列車の高架橋の下、住まいを構える訳でもなく、ひとりレンガの壁に寄り掛かり外套越しに街の喧騒を見ていた。疼きが治るのは大抵、懐中時計が十二時十分を指す頃だった。
これを過ぎた頃、私はようやく体調が整い、私の毎日の日課を始めた。立ち上がると暗い高架下を行き交う人の中に入り込んで行った。
私は目がよく効く人間だった。人の外套の内側に、どこに何があるか、想像がつくのだ。冷たい掌を二つ、外套の外に手を出した。
すれ違いざま、掌を素早く人々の外套の懐の中に手先を入れると、矢継ぎ早に気付かれず物を次々と僅かずつ、人らから引っ張り取り出していった。
暗い高架下の向こうに抜ける頃には、私の日課が終わっていた。手元の袋を開けると、複数人から集めた金貨、銀貨、黄銅貨が二日以上は持つ程度、手にしていた。
多くは盗まない、気付かない程度に盗むから、私の日々が生活出来ていた。余った硬貨は高架下のレンガ構造体のアーチに溜め込み隠しては、小貴族の邸宅を建てられる程の財をひっそりと隠し持っていた。それがこの十年間であった。
私は家なんかに拘るたちではなく、好んで家なしを続けている訳ではなかった。子供に例え野次られる日々ではあっても。
この掏り師はこの一財を未来のある事の為に貯めてきたからであった。グラスクーク駅はグラスコー駅に良く似た駅た。
ここら北の種族の中では私の背丈は小さく、身長百六十センチメートル程で、かなりの成人小男だった。故に子供らに馬鹿にされる日々ではあったが、少しずつ貯めた硬貨と、掏り師の技は子供なんかには、まったく負けたりしないのだ。
集めた硬貨は今日に限っては金貨が多かった為、最高の幸を振る舞ってくれる南の港のたまに行くレストランで豪勢に使う予定だ。
妙な事に自由であるはずの私は、この生業にして、掏り師補助協会なる組織に組み入られてる。協会はもう一つ奥の煉瓦造の高架下に入り口を構えていた。協会長らに週に一度売上げの一割を納めないとならないからたまらない。
病気や怪我の時に皆が納めたお金で治療費に充てると言うが、私などはそんなへまは、これを生業にやり出して一度もない。結局はなんだかんだの搾取をされているのである。全く馬鹿馬鹿しい。
また協会員も皆で選ばれし腕の持ち主ならまだ納得いくが、棺が待っている様な年寄りだから、これもたまらない。しかし、この制度がこのグラスクークの街の掏り師達の決まりだからしょうがない。
鉄骨造のアーチを走る蒸気機関車の音はかなり響く。煉瓦造の高架下はこもった様な響きで、列車はグラスクーク・ステーションに到着する。
この煉瓦造の高架下には、知っているだけで、老いた掏り師が三人はいた。この三人とは時々喋るが、掏り師を生業にこの高齢まで生きて行けるという自信を与えてくれる存在だったが。
北部のヴァネスと南部の大都市ロングィンをつないでいる蒸気機関車であった。
このグラスクークの街は北部カスケット地方の南部に位置し、この地方の三本の指に入る産業化され、発展した街だった。
グラスクーク・ステーションはガラスのドームに覆われ、硬く細い鉄骨造アーチで幾重にも支えられていた。
そのガラスドームの離れた位置に、小さなドームがあり、その直下は機関車整備工場となっていた。
老いた野宿者の掏り師の中で比較的話す、自分と同じく足に古傷があるリックから最近話を聞いた。
「ジョスター、最近、女掏り師が現れて、ステーションで荒稼ぎをしているらしい。しかも協会にも入らず、幾らも払わず、取れる限りやっている様だ。グラスクークの掏り師の存在が危うくなってしまう。何とかする必要がある」
私が、協会からその事について何も聞いていないと言うと、リックは、
「協会は長年掏り師達を信用し切っているので、そういうルール知らずの者を知ろうとしないのだ、馬鹿な協会だ。我々の界隈ではもう噂の火種になっている」
私もその様な噂は寝耳に水で、ならばその若い娘らしい者に出会った時、街のルールを教えればいいと考えていた。しかしふと考えると儲けの妙案が頭に浮かんだのだ。
「リック。その若い女がステーションに現れ出したのはいつ頃だったのだ」そう尋ねると、リックは答えた。
「二週間前くらいから、ちらほら聞く様になったからな、本当に何も知らない娘だ」
「全くだ、ルールを教えて来てやる。そして掏り師補助協会に放り込んでやる」
そう言うと私は、何も書かれてない狭い木扉を開けて、我が協会の中に入っていった。
掏り師補助協会の中は相変わらず、冬場は蒸気で蒸していた。蒸気ストーブ二、三個置いてあり、その本体で室内を暖めて、不要な蒸気は外に出ている黄銅ダクトで、排気していた。
「よお、ジョスターか、確か今週分の一割分はもらってるな」と協会窓口のレンジが先に声を掛けてきた。協会の男達はそろって若いのがいない。
「身体は大丈夫か、とか開口一番聞いた事がないぜ、まったく」私は軽く憤慨した。
「奥のステーション階段をちょっと使わせてくれないか」と言うと、レンジは、
「ステーションで仕事か、稼いでこいよ」と一言。
「じゃねぇよ、レンジ。人探しだ。いいだろ。困っている人を探すんだから、いい事じゃないか。扉の鍵を開けてくれないか」
そうやりとりをして、左奥の扉がレンジの手で開けられた。中に入ってみると何処にも開口部のない、真っ暗な上り階段が薄っすらと浮かび上がっていた。しかし、それでも暗く、壁面の煉瓦は水分に満ち溢れていた。上っても光が見えない通路を、信じて上っていた。
私にはこの扉の向こうに入ったのは、一度だけ。協会に大量に発生した鼠を片っ端から殺した三年前の事だった。それ以来、中に入る事はなかった。
しかし、あの女盗っ人は協会にも入らずやりたい放題だ。ステーションに繋がるこの全長約五百メートルの階段を急ぐしかなかった。時々傾斜のついた階段天井部分から水滴が滴り落ちてきた。かなり冷え込んだ階段スペースは、また脚の疼きを誘い込んだ。思わず呻き声を上げてしまったが、外套を口に含み、強く噛み何とか声を抑えた。
八割程、階段を上り切った時、未だ暗いがステーションの喧騒が聞こえて来た。これ程までの寒さとは知らず、脚の疼きがあるにも関わらず、急いで私は階段の残りを駆け上がった。
我ながら掏り師としての腕前があったところで、この広いグラスクーク・ステーションは街一番の巨大空間であり、ガラス張りだった。私は無知だった、感情的になりそのまま行動に移してしまったのだ。
この数時間で何十人もの娘を見たのだ。年頃も分からないから、絞る事さえ出来ない。そしてこの駅の広さは、人探しには向いていない。余りにここは大き過ぎる。
そう思った私は「娘」の一言を気にしながら、協会に降って行った。
「言ってた娘の情報なんて掴みようがなかった。特定出来ない。ならばだ、何故に娘である事が皆が知っているんだ?」と私は協会窓口のレンジに問うた。
「おれは聞いた話を言うぜ。こっちにも協会に加入させる責任があるし、掏り師達の秩序が壊れたら、警察沙汰にもなってしまう」
レンジはコーヒー香るカップを一飲みすると、伸びた白髪を掻き上げ、再び話し出した。
クレッグが最初に言い出した。「十幾つの娘で、赤黒い外套を羽織って、胸元に二つブローチを着けていた。髪の毛はやや低めのポニーテールで結んでいたと。歳の割に掏り師の腕は上級だった。よそ者と思い、早く協会員に加盟させるべきだと」
クレッグと言えば私と同じ高架下の野宿者だ。
「後は何か言ってたかな、娘の事」
「まあ、いい。クレッグに直接聞いてくるさ。コーヒー二つもらっていいか?それと最初にその件で言い出したのは、友人のリックだったがな」
私は協会を後にする事にした。
二
外套を来て野宿しているクレッグの元に、少し足を引きずりながら赴いた。
「よう、今日もまた冷えるな。女摺り師の事で詳しく聞きたくて来たんだ。コーヒーやるから、少し聞かせてくれないか?」
するとリックはひと口飲んで話し出した。
「二週間前に、協会窓口のレンジに伝えて、一人騒いだんだが、何日経っても硬貨がなくなったとか言って騒ぎなる事がないんだ。だから俺らと同じ摺り方をしてる玄人だと思ったら、もう気にならなくなった」
そうは言ってもと私は続けた。
「それはあんたの推測で、実際は違うかも知れないじゃないか、どこで見た?」
「そうかも知れないな。色んな見方があるかもな。ステーションの北端にある手荷物預かり所で最初見かけた。そこで娘を見かけた。その三日後は、ステーションを東に抜けた通りの靴磨き屋の集まりでやっていた。それ以来見かけていない」
と言うと、知り合いの店で夕飯を食べて来ると出掛けて行ってしまった。
協会会員で年の功、困った時の会員同士の助け合いなどないのかと我ながら、憤慨が込めてきて、いらいらが溢れてきた。こんな時は過去の成果、そうあの十年間ため続けてきた蓄財を拝もうと笑顔を浮かべながら、高架橋の硬貨置場にひた走った。
来た場所は間違いないが、人の風景が明らかに違う。屯しあった歩行人たちが、一点を見上げて手を掲げて、落ちて来るきらきら光る硬貨を奪い合っているのである。
あの高架下の位置、間違いない。私の硬貨置場に間違いない。
私は咄嗟に硬貨の落下を防ぐべく、高架下を急ぎ上っていった、まだ見ぬ娘のぼやけた顔を浮かべながら。
置場に着くと、忙しなく硬貨の状態を確認した。硬貨はあると言えばあるば、何かがなくなっているようにも映る。
摺り師の掟を娘が持つならば、全てを盗んだりはしないか。一部を盗み下に降り逃げる時にさまざまな硬貨を撒き散らしたに違いない。狙いはなんだったのだ。
特に薄っすらと窪んだ一帯があった。ここは合金の黄銅貨辺り。これを盗んでいる。先ずは特定出来た。硬貨置場の入口を一気に締めると、置場は暗くなり硬貨の落下は収まった。
金貨も銀貨もあるのに娘は黄銅貨を主に狙ったのだ。一番価値が低い硬貨を狙ったのか。そして摺り師の嗜みをちゃんと残して。一部を石畳みに落として、まだまだ技量を付けないといけないが。
何だか娘に振り回された一日だったため、私は硬貨置場にそのままうとうとと、眠りこけてしまった。ここに居れば娘は狙って来ないだろう。
三
夜明け、私はいつものように高架下の壁を背にして、下に落ちた硬貨を外套の中に入れて整理する作業をしていた。
しかし昨夜の硬貨騒動は何処へやら、夜を闊歩する紳士淑女には、機にも止められていないようだ。何処へ急ぐのか硬貨を踏んでも気付いてないときている。
いつもの子供らは、黄銅貨だけ取り上げ私の外套に投げつけるから、癪に触る。何だこの街は。昨日なくした硬貨のせいで、私の心に動けない穴が空いてしまったようだ。しかし、十二時十分を指すまで私の身体が動かないのは変わりない。
結局、脚の疼きが取れたのは二時過ぎて、昨日の一件がどうやら心身に負担をかけていたようだ、情けない。
一旦摺り師協会に寄ったら、誰かあの娘か摺り分の硬貨を人知れず、置いて行ったという事だった。そしたら確かに目の前に置いてあったのだ。私の隠し金が。そう、隠した金をそれは私の金だなどと言えやしない。ただただ肩を落とすだけだった。
頭の回る女だ、ずる賢い。早く見つけなければ。振り回されっぱなしだ。
協会員の面々に娘の足取りを訊いて回っても、手掛かりがない。使えない年寄りばかり。
う、と気付いたのは、娘が置いた硬貨には黄銅貨がなく、金銀貨幣。娘は黄銅貨幣が特別必要としているのか?急いで黄銅貨幣を集め、こぼしている感じ、動きから、斜め上のステーション・ホールに暗い上り階段を伝っているようだ。
前より証拠が揃って来た。黄銅貨幣を何十枚か用意しておこう。
行くぞ、いざ!
摺り師協会の奥の上り階段には、確かに硬貨が落ちていた。急いで上ったに違いない事が分かる。
背格好は十幾つの娘で、赤黒い外套を羽織って、胸元に二つブローチを着けていた。髪の毛はやや低めのポニーテールで結んでいたと言っていた。
階段四、五段おきに硬貨が落ちている。大した跳躍力だ。それにこの急ぐ理由。時間がないと見える。私の硬貨を見つけた事で、行動が加速したのだろうか。
娘の行動にも粗が出て来るか。そう願いたい。
暗い上り階段、暗い高架橋下、暗い外套の中は、私の思索を洗練させる。やや考えが前向きになって来た。
喜び勇んで進んだだろう娘は、喜びを分かつ相手がいると考えられないだろうか。その者に黄銅貨幣を渡す事で、歓喜が増す。そこに何者かとのゴールが設定されているか?
待つ者がゴールなのか、接触して黄銅貨幣を渡すと始まるのか、ここ以上は推測がぼやけてしまう。
更に加速しようと私は上り階段を直走り、思考回転を増そうとした時、暗がりに小さく光るひとつの花柄のブローチが落ちているのが見えた。
これは追いかけている娘の対のブローチの片方に違いない。私は素早く外套の中に入れると、「これで娘を特定出来る!」と独りごちた。
暗い上り階段の天井から錆び混じりの水滴が落ちるがまま、外套を濡らすがまま私はステーションを掛け目指した。
四
上り階段で夢想していた私は、その小さな娘を簡単に捉えて、目的をはかす事はいとも簡単な事と想像していた。この巨大なステンドグラス・ドーム・ステーションのホールと人々の喧騒をまた見るまでは。
やはり此処は広すぎる。小娘と自分とを繋ぐ物理的な接点がほとんど見当たらない広さなのであった。
階段を伝っていた私は、麻薬にでも侵されていたのだろうか。そんな事はない。滴る金属液にでも有害な物が混ざっていたのだろうか。違う。
広大なホール空間が見えていない娘と自分をまるで逆ベクトル方向に、互いを弾き飛ばす錯覚を勝手に引き起こしているのであった。だからといって娘が逆方向にいるという訳ではない。そんな感覚に浸されるのである。
突如、広漠たる円形ホールスペースに、馴染みで私と同じ歳程の男達が立っていた。四十五歳程の摺り師協会の面々だ。
私と親し気な同じく足に古傷があるリック。
協会窓口のレンジ。野宿掏り師、クレッグとマクランがいた。
何故こんな事が起きてしまうのか、不思議だけども、彼らが未だ仲間なら百人力だ。それは表情筋からもうかがえる。頼もしい。細く締まった筋肉質は素晴らしい腕を発揮してくれる事だろう。
頑丈で装飾された革の煌びやかな鎧、クレッグとマクランの顔の正面で俄かに切れたペストマスク。レンジは山高帽を被り、軽装していた。
リックはいつも通りの外套姿で、外套で頭まで埋めていた。調子は良さそうだった。
皆一様に円電波干渉長靴を履いていた。また私の足元にはリックが用意した同じ長靴が置いてあった。
「皆揃いも揃って、肉体も若くなって集まってくれるなんて嬉しいじゃないか。武具も円電波も用意されて」
(円電波干渉長靴とは円電波の回転で、至る物質をカットし、その奥底に人を潜らせる装置である)
つまり協会連中皆んなで、まだ私が遭遇していない娘を凡ゆる方向から索敵する事が可能なのが、予知出来た。
「さあ、集まったんだ、凡ゆるグラスクーク・ステーションを調べ尽くそうじゃないか?」私は声を上げた。
リックが言った。
「生半可な仕事じゃないだろうが、皆四十代の肉体。苦労が返してくれるだろう」
しばらくすると、皆んなの均等に入った円電波盤が長靴を回転し出し、徐々にモザイクタイルの床の中に入り込み、全ての協会員をモザイク・ホールから消し去ってしまった。
五
円電波干渉長靴の円電波の回転は、まるで足ヒレを着けているかのようにステーションの構造下、空間を快適に動き回る事が出来た。
私とリックの足首の疼きは、ほとんどなく、二人は安心していた。他の三人はまるでドルフィンになったかのように、ステーションを泳ぎまわっていた。
索敵人体センサーという機械を五人の頭部に取り付けて、娘の特徴を持つ人体があれば捕捉し、直ぐに捕まえる作戦をリックが用意していた。
索敵人体センサーで重力に従って、ステーションの底の方へと見て回っていた連中は、余りにも小さな小娘が見つからない事にややイライラしていた。
黄銅貨幣に僅かな金貨、銀貨は、ステーションの構造体に飲み込まれていく。良く見える。少女より小さいと言うのに。
五人で彼女がいそうな場所の可能性をあらった。それは余りにも多かった。
もうここのステーションにいない可能性、地上でなく天上にいる可能性、死した可能性……
目的を達成してしまった可能性。忘却してしまった可能性。キリを上げれば無数だった。皆の沈黙だけが続いた……
その時、天上に赤黒い金魚が見えたような気がした。赤黒い外套を纏い、少女のような背丈を持ち、片方だけ輝くブローチを落として舞っているのだった。貨幣を地上に落とし、自らを天上に浮かし混乱を生み出した少女だった。
「名前は?」
私は咄嗟に女の名前を呼びかけてた。
「オンリーである!」
年齢の割にははっきりとした発音で答えた。
「何故黄銅貨幣ばかりを狙う」私は言った。
「黄銅貨幣の別名を知らぬのか。真鍮貨幣だ」
「知ってるさ。が、その呼び方は三十五年前廃止されている事も知っている。私から盗んだ貨幣は今どこにある?」私は深妙な表情で語り掛けた。
「真鍮である事が私にとって重要な事。この呼び方は変えられない」
「呼び名は統一せねば。私の黄銅貨幣はまとめて何処にやった?その事で頭がイライラする、何処だ!」
「ふ、此処にあるのかは確か、しかしここにあるかは分からない。残念だな」と娘。
「お前の喋り方だけは癪に触る。どこでならった。野蛮でムカムカする」
その時、リックが背中にそっと手を置いて来た。荒れた息遣いを落ち着かせようと。リックは娘に告げた。
「ジェスターは興奮すると、自分で落ち着かせる事が出来なくなる点が気になる点なんだ。どうだ、ここでざっくりとした黄銅貨幣のある場所を教えてくれまいか」
間がしばらくあって、娘の大声がホールスペース上に上がった。
「ようやくジェスターからたんまり奪った貨幣をそう簡単に返す訳が全く分からない」娘は言った。「が乗っかった相談だ、有利に進めて貰う。今貨幣が三百キログラムある。パーツを作るのに後、百キログラムはいる。後の分を至急用意して欲しい」
意気揚々と要望を告げた小娘は、二人に突然自分のヒントを告げてしまった事に気がついた。残量の真鍮貨幣が足りていない事。パーツを作るのに必要としている事。
リックとジェスターその二つの事を頭に取り込み、にやにや始めた。二人はヒントを得て、更に小娘が移動して行ったドームの上層部を確認した。
幾つかの重要なヒントを得た。上昇階段の壁に幾つもの輝く配管真鍮製の管。圧縮蒸気を通して、動作を促す機関。
彼女には待たせている人がいそうだ。一人以上。彼女は明らかに焦って、ステーション・ドームに急いで行った。真鍮貨幣がまだ足りてないようだ。そしてパーツが出来た暁には、何が出来上がるのか。これは予想が出来ない。
円電波干渉長靴の円電波の回転を使い、円形索敵センサーを用いて、多くの天上ドームを見回し、あの小娘を見つけさえすれば良いのである。
今日は疲れた。眠ろう。
五
広いの天井ステンドグラスを私以外の仲間で手分けして小娘を探し回った。私は貨幣が置いてある架橋下の蓄財を運びに向かった。しかし要求の多い女だ。精々揃えられたとして、百キログラムがいっぱいだろう。
円電波干渉長靴の電源を入れて、空間内に潜り込んだ。黄銅貨幣の重量が一気に消えて、再びモザイクタイルのホールに泳ぐように、ドルフィンキックで進んで行った。
リックをはじめとする四人は残留して、小娘の消えた天上に向かって索敵人体センサーを掛け、彼女のアジトらしき場所を見つけ出そうとしていた。
グラスクーク・ステーションの天上から七色の光が溢れて、ドームの頂点に黒い点を確認出来た。恐らくここが彼女のアジトであろう。
「何故あんなヘマをしてしまったんだろう。あれでは足がつくし、こうも警戒せずにアジトに逃げ帰っては、もう見つかるのは時間の問題だ。相手は五人もいる。父の計画が終わってしまう」
大いに精神面を崩したオンリーは少しでも心を立て直す為、アジトの中から外部扉を開けて、巨大なステンドグラス・ステーションの天上に足を踏み出した。風当たりはいい。
太陽の光が東から伸びる。オンリーはその光を浴びると、活力がみなぎって来た。振り返って今迄いたアジトを見返した。数年で二人で作った少々快適なスペースだった。まさかという所に作った。
それは、意表を突いた地底ではなく、天上に伸びる形で作ったステンドグラス・ステーションの外の世界に東屋の様なガラスの掘立て小屋である。
そして小屋の中には、真鍮貨幣が山と詰まれ、キーパーソンの父親がうなだれており、もう一人のキーの人間が、真鍮貨幣を溶鉱炉で溶かしていた。
彼の名前はギースと言い、真鍮を使った金属加工を得意としている。
この三人で父の復活を試みていたのである。しかし敵機がもう直ぐこの場所に近づいて来る襲来を最優先に、今から撃墜する事が大問題だった。
時間が足りない問題があった。オンリーは切羽詰まった気持ちから、精神面が安定し出し、扉から東屋の中に入ると、集中し父のケアをして、ギースの力を借りて扉の外に一先ず父を出した。
ギースのほぼ作り上げたパーツは、彼のバッグに丁寧に詰めた。
ステンドグラス・ステーションの屋上には七色滑走路とプロペラ機が用意してあり、ここから避難する事が出来るようになっていた。
後は時間内に急ぎ、プロペラ機の中に父、ギース、オンリーを詰め込み、逃げ去る事だった。父をストレッチャーに乗せ、ギースを乗せ、最後に追っての摺り師協会の面々がまだ居ない事を確認した。
フルスロットでプロペラの羽根を回転させると、自然とエンジンが付いた。最短の滑走路を加速して直走ると、ステンドグラス・ドームを離陸した。
手術をしながら、ギースは規則に乗っ取って執り行った。サポートは、ロンリーが入った。
古いエンジンの振動から来る施術は、余りにも苦行だった。今迄の中で一番のきつさを争っていた。
六
施術が終わったのは三時間ほど後で、その姿は素晴らしいものであった。父親は機械化真鍮ロボットになっていた。両手指先は頑丈な真鍮製で、肩まで腹回りとが、電池式で可動する様になっており、兜がこの先身を守る術となっていた。
足首から先は頑丈な真鍮製になっていて、歩行時のショックを緩和する様に、脛の部分に緩和材を施していた。
敵の索敵人体センサーは高性能で、ステンドグラス・ステーションの天上にて作業をしていたギースら三人を見事に索敵していた。タイミングを図った五人は、ドームを突き抜け、ほぼ垂直飛行でステンドグラスドームを突き破るかの様に、停止した。
奥に見えたプロペラ機を確認すると、中に何があるか索敵した。近づき、より精度を上げると、黄銅製の金属塊が確認出来た。
一度、上昇気流に乗って五人で編隊を組み直すと、再び滑走路へとダイブして行った。
通常の歩行長靴モードに切り替えると、索敵人体センサーでプロペラ機内をより凝視した。五方向から見たプロペラ機中で行われている事が、余りにもにょ術に展開されていた。
黄銅貨幣塊は、明らかに私のものであり、そして混乱を来たす小娘、これは良く検討が付かない刀鍛冶の様な老人が中にいた。
ロンリーと他の二人(鍛冶屋の様な老人は名をギース、黄銅塊の生命体はロンリーに父と呼ばれていた)は操縦桿側の下側から、急ぎ逃げ出そうとしていた。
私は叫んだ。
「もうこの場所で君らは詰んでしまっている。もう我々から逃げ出す事が出来ないと言っている。見るも浅ましい。自分の父親を生長らえす為に、専門の黄銅貨幣職人に鍛治をとらせ、父親は助かったかも知れないが、その浅ましい姿に何も思わないのか?」
「専門の黄銅貨幣職人はそこまでして、人の生命を長々とさせようとしているのか?それは誇りの持てるしごとなのか?」
と、相手達の精神面に三発食らわしてやったが、相手から思わぬ仕返しが、返って来た。
相手はロンリーだった。
「あんたも言うな。グラスクークに勝手に摺り師協会など作って老後にそなえようとし、その摺り師事体が立派な犯罪行為というのに。あんたのお陰で父も元気になった。義足義手のギースの旦那にはとても感謝している。ここにいる皆の力で父の復活が遂げられたと思わないか?」
摺り師協会のレンジが我慢出来ず、口火を開いた。
「俺は協会の会計をつけているが、今回の一件で最も大損を食らったのは、ジョスターだ。あいつは大量に貨幣を摺られ、上納金として摺り師協会に一割納められた。残りの抱えられる貨幣はここのプロペラ機の中に運ばれている。しかももう元には戻らない形状に変化させられている。義足義手のギースは、金貨、銀貨でたんまりと礼を貰っている。どうだ、平等でもないだろう。損得が大いに入っている詐欺行為だ」
そう言っている前に、三人はバランスを崩しながら、プロペラ機から脱出しようとした瞬間、飛行機ごとモザイクホールの方へと音を立てて落ちて行ったのであった。
詐欺師達でもその命に変えられないと、五人は落ちてくるプロペラ機を、円波長靴をフルスロットルで、落下しない様に力の限り踏ん張った。
落下が収まったのだが、黄銅貨幣部分だけ助ける事が出来ず、ロンリーの父の金属体は、ホールの至る所に粉砕してしまった。
飛び散った貨幣パーツのケーブル、パイプ、配線類などを命には変えられないと、義足義手職人に纏めて渡すと、命が繋がるのを祈った。そして皆意識を失った。
七
待ち合いホールで皆、意識を取り戻していた。
「私の父!私の実験体!金貨!銀貨!」
皆が叫んだとしても相手は呼びかけに応じない。
せめて高額硬貨だけでもあれば、何とか生活がなるのだが。見渡す黄銅貨幣では摺り師を一からやらないと、と私は呟いた。
皆そうだろうが、身体中が痺れて痛くて何も出来ない状態で、うわ言ばかりだった。
しばらくしていると、怪我した我々を一気に運ぶ車椅子車両が繋がって十台程、我々に横付けされた。
救命委員達にロンリーの父以外を一斉に車椅子に乗せた時の、皆の呻き声は凄まじかった。まるでゴミ捨てされてる様だった。
娘はロボット化した父と一生の別れが訪れたと思い込み、泣き叫んでいた。
父親は娘との一生の別れとはさらさら思っていなかった。金属の笑みを浮かべていた。彼はギースに最後に施されて、自己修復装置を胸元のボタンに仕組んで貰っていたのであった。
父親を本当のゴミにしようと近づいて来た清掃員に青ざめ、急ぎ磁力の付いた胸元のボタンを、顎で押した。
その瞬間、数百メートルと散らばったボディパーツの破片まで、一気に身体に向かって、猛烈なスピードで集まり出したのである。
各破損したパルブ、ワイヤー、パイプ、バネ、ネジ類が、ボディに集積していき、繋がっていき、ボディと脚部を固く引き締めた。
その景色を見ていたロンリーは、泣き顔から明るい笑顔に顔立ちが変わっていった。
全てのボディパーツが一つになった時、顎と胸のボタンが外れ、身体が頸椎側にのけ反り大きく音が鳴った。両眼が光るとそこに力を宿した。
父親は真鍮の者として復活した。娘は更に笑みを増した。
西に傾きった太陽は、徐々にグラスクーク・ステーションから光を奪い、その光をガス灯へと変えていった。十連車椅子の先頭に一瞬にして移動していたロンリーの父は、後ろで苦しむ仲間や連中達に罪悪感を抱いていた。
自分の身体の為にその復活の為に、娘や他人を巻き込んでしまった事を。時間が彼等に治癒を与えられるのなら、それを忍耐で待つしか方法がない。この金属の身体では、癒せないのだから。
彼は金属の笑みを精一杯浮かべて、今は仲間の心を溶かそうと。
《四か月後》
グラスクーク・ステーションのドームが派手に破壊された後、その三か月後には美しく改修されていた。前以上に輝かしく。
ロンリーの父は機械化してメンテナンスを定期的に受けていれば、元気であった。
時に忘れてしまう時は、蒸気機関部からきついお叱りを受けていた。
義足義手屋のギーズは筋や腱の移植で時間が掛かったが四か月にはリハビリを終えていたという大したしぶとい人体の持ち主だった。
残りの六人の身体は、ギース同様グラスクーク総合病院に移送され、その並み外れた医学力で二ヶ月程の期間をもって、摺り師協会の面々達身体を治癒させた。
私、リック、ロンリー、父親、レンジ、クレッグ、マクランは総合病院での生活ですっかり仲が良くなった。心配だったギーズの腕もリハビリで良くなった。
皆そうだったが、摺り師稼業は、目立ってはいけない、闇夜で働く地味な仕事。こんな仕事をロンリーは幼くして初めていたのだった。皆、そんなロンリーに何かを思い、ロンリーもまた皆に思っていた。
九
皆が集まる中、ロンリーがベッドで跳ねながら、大きく声を上げた。
「皆んな皆んな、今から言うから聞いておくれ。ずっと言いたかったのだけど、私は父の身体の為にずっと摺り師裏稼業を追われ、日光の元堂々と仕事をして来た事がない。だから!そういう仕事を皆でやりたいと思っていたところなんじゃ。ああ、言うてしもうた、すっきりした」
そう言い終えると、ベッドに深々と寝てしまった。
これを聞き及んだ面々は、娘の夢をどうして上げるか、ひとりひとり悩んだ。裏稼業の摺り師の技術で、日中明るい中、人を喜ばせられる様な仕事が、果たしてあるものか思い悩んだ。
「娘を省いても知恵が六人はいる。更に娘の金属父を入れると七人。これだけいれば堂々と働ける仕事のネタが生まれるさ」とリックは言った。
私以外の面子もかわいいロンリーの為ならと、新しい人生を開く準備が出来ていた。いかんせん、日中堂々と働ける仕事を今の技術で開拓しないとならないのである。
そこを考えているのはどうやら、私だけの様だった。
摺り師はこっそりと貨幣を隠し取るから、後ろめたさや日中に動けない仕事になってしまうのである。どう思いっきり摺り師の手はずを人たちに見せれば、堂々と貨幣を人から貰う事が出来るのか、思案した。
摺り師の最大の技術は手早い手の動き。これを芸に蒸気機関車なりで、動き回って見せたら、そしてロンリーの愛嬌があれば、そこそこ貨幣、品物を手にできるとイメージが湧いて来たのである。
しかしいきなり人手が賑わう場所で仕事をするのは、新参者として受け入れて貰えるかが、はなはだ怪しい。最初は街の片隅で余興がてら、こじんまりとやるのがいいだろう。少しずつ少しずつ。
摺り師魂で。
十
「ここで取り仕切って、我々の新しい仕事を説明してもらうのは、ギース師にお願いしたいと思います。年の功というところから。皆も納得し易いだろうし。よろしくお願いします!」と私は部屋に言い放った。
ギース師は紹介通り、新しい我々の堂々とした仕事の足掛かりを話し出した。
「先ずはこじんまりと、大々的に成らず手先の器用な我々の大道芸を見せて、ロンリーの笑顔で締めて、拍手喝采を浴びて、見物料をもらっていくのさ」
「そしてゆくゆくは蒸気機関車の中でガイドをしながら、もっとたくさん儲けて行こう!」
「行こう!」
「そうか、我々の技術は明るい場所で堂々と広め認める事が出来るのか。わくわくするな!」とレンジ。
「暗闇からさらばか」とクレッグ。
「みんなとわいわいやれそうなとこが、一番楽しそうだな!」とロンリーが笑みを浮かべた。
各自貨幣を使ったコインマジックを何通りも出来る様にし、そしてスペースを取らずに出来る様に練習した。
この初歩のチャレンジで、皆んなで八枚の金貨を得ることが出来、上々であった。こうした事を繰り返し繰り返し、摺り師の居場所は明け方から、昼間の暖かい時間帯に代わり、収入も人の大い時間帯となった為、摺り師の頃より増収していった。
この頃には協会窓口のレンジが実質経営者になり、お金のやり繰りをしていた。
ロンリーの愛嬌は狙い通りで、街にファンが付くほどで、最後の公演で沢山の貨幣を貰える程だった。
ギース師の真鍮と貨幣の細かいワザはどうなっているのか、皆分からず、ただただ拍手し、貨幣が舞うのだった。
経営者に認められたレンジは、遂に蒸気機関車内での興行に乗り出す事を皆に発表した。兎に角、旅路の人々を楽しませて、迷惑をかけず、安全に気をつけてチャレンジして行こうと声高に鼓舞した。
この頃には社屋も設けていた。駅近くの煉瓦倉庫を間借りしていた。
摺り師から技術は変えずに、相手のお客さんを変える事で、ここまで人生が開けるんだと皆つくづく思っていた。
さあいざ明日から一大目標にしていた蒸気機関車内の愛嬌たっぷり、渋さたっぷりの大出し物催しの日だ。皆の旅の思い出に一役買ってくれたらとても嬉しい。
そう願い皆で床に就いた。
それにしても一度体得した技術は何十年経っても、人の役に立つと確信する日々だ。明日からの列車興行も上手くいくと私は願ってはならなかった。
十一
いよいよ初の列車興行で、皆心臓がどきどきしていた。私は深呼吸でなだめようと、ゆっくりと呼吸させた。先ずはひとつずつ達成し、経験に繋げようとする事とした。
その日の興行は、収入こそ少なかれ、一回目の催しとしては成功だった。乗客の笑顔がとてもいいものだった。旅客鉄道会社に明日もお願いして、反省点を踏まえて、皆でやろうと倉庫で発破をかけた。
二日目、三日目、四日目と順調に興行を伸ばしていた。五日目は雨降りの為、収入が減った。やってみないと分からない事が多いが、列車興行を広く本土に広げる事が、経営計画なのだった。
摺り師がここまで組織だって売り上げを上げていくなんてことは、想像もできなかった。私はレンジと話しながら、感慨深かった。
ギース師はもう随分な年齢となり、本土全体興行を道半ばにして、惜しまれつつ引退することとなった。
余り多くを求めない、静かな印象だったギーズ師は、皆の大きな心の支えだった。
経営者のレンジを中心に再度、興行団を運営して行くことになった。
興行団の人数も徐々に増えて行き、煉瓦倉庫を二つ借り、興行範囲も、売り上げも右肩上りだった。
こうも順調に興行売り上げが上がるはずがないと思った時、レンジの耳に悪方が飛び込んで来た。列車がカーブに差し掛かった時、全て地底深く落ちてしまったのである。
半年間、復旧作業とで、興行は上げられず、心は荒み落ち込み、多額の賠償支払いを団員達にもする事となり、一部団員は辞める事を選んだ。全体のレールの構造を見直す事や、重さや外への重さの開きの危険度などを上げて、全ての資料をまとめ上げるのに、事故から一年半掛かった。
そして辞める乗員も二割増えた。ここが一番の正念場だったと思う。
足掛け三年、人々が列車に戻り出すまで掛かった時間は。そして興行再開までは三年半掛かった。
この三年半で煉瓦倉庫はレンタル出来ない様になり、興行団内の空気はまるで変わり、重くなってしまった。
側にいるのは、レンジと、ロンリーとリック、彼ら以外はもういなくなってしまった。またあの摺り師協会の規模から始める事となった。
十二
「ああ、空気が辛気臭い。どうしたよ。またこの協会に戻って来たっていうだけじゃないか。何をそんなに暗い顔を浮かべているんだい。」ロンリーが言った。「私は事故で父を亡くしてしまったんだぞ」
「元気だけはあるやつだな、ロンリー」とレンジが呟く。「多かれ少なかれ、ここにいる者は似た者同士だ」
「なら、その似たもの同士で、もう一度やり直したらいじゃないか?」
「なあ、大人の事情を理解してとは言わないけど、我々は三年半、蒸気機関車を止めて徹底的に修理をしてしまったんだぞ!余りにも罪が重い」レンジが言った。
私は言った。
「今これ以上の谷の底は先ずない。後は上がるだけだ」
様々な方法で上がる事ができる谷。
「下を見てはいけない。多くのクレバスが口を開けている。天上だけを見上げ、我々は上るのだ」私は皆に叫んだ。
「先ずはこの協会員全てを信じよう。そしてその証として、私に跪くのだ。これは簡単な儀式だ。性別も年齢も関係ない。ただ膝を突こう。そこに何か躊躇いが有れば、私は躊躇なく槍でお前達の眉間を突き刺そう」
しばらくの間があった。ただ誰も動こうとしなかった。大いなる威圧感。誰も私に楯突く事が出来ない証拠。信じよう!
三年半前は皆に笑顔を与えて、その対価として硬貨を頂いた。
しかし今度は元に戻す。笑みを奪い取る様に、摺り師の能力で次から次へと硬貨を奪い取り返しに行こう。
駅舎で、地下で、ホールで、大胆に。
さあ、賛同してくれてありがとう。敵だと思ったものから相手の硬貨を奪い去って、二度と世界が見られない様に両眼に硬貨を埋めてやってくれ。
我々は黄銅性の合金で出来たメリーゴーラウンドを借りて来た。公園に設置するとさも豪華に見える。
しかし、黒い馬が横切る時は必ず手を止めるのだ。それに限って黒曜石の馬だからだ。
白い馬が横切る時は必ず手を止めるよう。それはミスリルの身体をした馬だからだ。注視すべし。
青い馬が横切る時は必ず手を止めるよう。それは青銅で出来た脆い馬だ。一気に切り捨てよ。
メリーゴーラウンドと馬が、私たちを救いになってくれるはずなのだ。
十三
はいさあ、紳士淑女の皆さまお立ち合い。目の前の馬とメリーゴーラウンドご覧あれ。私は言った。
突如ここには蒸気駆動式のメリーゴーラウンドと回転する沢山の馬が、見える。その動く速さに容易に着いて行く事が皆さん難しくなっている様だ。
馬をを我々大道芸が剣の瞬発力で切るか切らぬかの判断を下すのは、とても難しい事だけを告げておきたい。
この時点でメリーゴーラウンドは既にこの瞬間、三回転していた、お気付きの方は?仲間達は何が出来ただろうか?黒曜石の馬に綻びが走っていた。
これは正しかった。
今度はメリーゴーラウンドに対して縦に剣を構えて、切り裂ける馬を狙うのだった。ミスリルと鋼の鎧を持った馬を狙った者がいた。これは切る事が出来ないのだ。
このメリーゴーラウンドと多種類ある馬達の回転数が増えて行くにつれ、仲間達は益々付いて行く事が出来なくなってしまっていた。
メリーゴーラウンドの回転数は際限なく止まる事なく加速して、太刀打ち出来ない渦中に入り、メリーゴーラウンドの軸がぶらつき出した時、皆んなどうする事も出来なくなっていた。
そして馬を乗せたまま、半垂直方向へと突き上げながら宙へと、メリーゴーラウンドは放たられて行き、既に燃え盛り、天上へと消えて見えてなくなってしまった。
ロンリーはこの状況を見るにつき、煌びやかなメリーゴーラウンドと馬が落ちて来て崩壊するのを想像するに連れ、泣き喚いた。
メリーゴーラウンドが破片から、太い鋼管までをも飛ばし出した時、全身真っ黒になったロンリーがその中心で放電し出した時、あの父親はまたしても外周軌道から、中心に向かってメリーゴーラウンドの部材として、全て集まって来たのである。
これを目撃したロンリーは、無意識に「ギース!ギース!」と叫んでいたが、彼はもう引退していたことを思い出した。皆の前にはスクラップと化した馬とメリーゴーラウンドが、燃えながらぼろとなって落ちて横たわった。
するとこつこつと私の元に足音が近付いて来た。
「貴方は管理者の方だったですよね。メリーゴーラウンド運営会社の、トマスです。今まで色んな方たちと仕事をして来たが、ここまで粉々にメリーゴーラウンドを壊してくれたのは、貴方たちが初めてだ。故にここまでの状態を想定した保険に入っていないのです。率直に損害補填してもらいたい。これは契約書の通りで」
と、トマスが話を区切った。
「さっきまで磁気の反応が強かったが、まったく感じられなくなってしまった。実はそれにそそられここまで来たのもあるのだが、磁気メーターに反応がみられなくなった」
肩を落とし小刻みに震える彼の後ろ姿は、まるで笑っているかのようだった。「契約書通りお願いしますからね」
そう呟くと、瓦礫の上を来た方向に足取り悪く戻って行った。
ロンリーはにたつく。外套の中から父親の光る両眼を見ながら、
「父さんは絶対離さない。絶対、隠し持たないと」そう言うと、他の仲間たちの元に駆け寄って行った。
「レンジ、リック、ジョスター、親の真鍮貨幣をまた、手分けして集めてギース、あ、引退したんだよな……」
ロンリーは口を食いしばり、自分の思いを叶えられないことを改めて知った。
私はレンジに訊いた。
「レンジ、契約書でメリーゴーラウンドを破壊した場合は、どうなると書いてある?」
「ありがちだな、ありとあらゆる全額賠償を求められている」
「蒸気機関車の次は、メリーゴーラウンドか。ま、古めかしい機械で良かったが」とリック。
「何で賠償するんだ?」と私が言うと、レンジが答える。
「色々ある。摺りの再開に、こじんまりした大道芸、摺り師協会の蓄え、ジョスターの蓄え、最大はこのメリーゴーラウンドの下の硬貨だろう。これを集めたらなんとか」
私は言った。
「ロンリーは父親の状態も、ギースがいないことも受け入れている。しかし、この作業はどんなにやっても終わらないぞ!私もそうだが、皆んな硬貨の隠し場所位、持っているだろ?この際、それも工面して同時スタートだ」
そう言うと、皆んな青ざめた。
これでこの話の大きくも、二つの機械仕掛けの不始末(蒸気機関車とメリーゴーラウンド)が、摺り師たちの踏ん張りにさえ叶わなかった。メリーゴーラウンドは雨の降る気配もないまま、快晴の月明かりのさす、ただばちばちと燃え、模造の馬たちは黒いススを上げながら、天上に混ざり合っていた。
娘と煉瓦の街 幾木装関 @decoengine
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