第2話 神器の栞
修学旅行のバスが土砂崩れに巻き込まれ、「瑞国」とかいう異世界に転移…
あんまりな展開にへたり込んだ僕に、巫女さんが手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「いや…」
巫女さんの白い手をつかんで立ち上がる。同じ人間とは思えない、つめたくてすべすべした手だった。巫女さんは僕の手をとったまま、祭壇のところまで連れてきた。
「
「
初めて聞く用語の連打を浴び、頭が疑問符で埋め尽くされそうな僕を一切無視して、巫女さんは祭壇の反対側に回り込み、小さな黒い箱を取り出した。
「これが貴方の
「ちょ、ちょっと待ってください、そもそも…」
さも当然のように黒い箱を僕の手に乗せようとしてくる巫女さんに、僕は慌てて手を引っ込め、質問した。
「元の世界に帰ることはできないんですか…」
「できません。」
即答だった。
にべもなかった。初めて巫女さんの顔に、人間的…というか、少し苛ついた表情が浮かんだ。
「だいたい、元の世界に帰って、何がしたいのですか?」
「それは…本を読んだり、とか…」
「書物はこちらの世界にもあります。文化水準は非常に高いですよ。」
ゆるぎなき断言だった。そこまで言われると、「異世界の書物」がどんな代物なのか、興味が芽生えてくる。
「だ、だとしても…か、家族とか、学校とか、いろいろ…」
家族や学校は本の次か、と我ながら呆れながらも必死に言葉をつなぐが、巫女さんはお構いなしに言い切った。
「結論を申し上げますが、現時点で、元の世界に戻ることはできません。かつ、
「つまり、とにかくそれを受け取れ、と…」
「そういうことです。」
巫女さんは言うなり僕の手を握り…というより手首を掴むと、黒い箱を掌の上に押し付ける。
肌に触れた瞬間、箱は掌の上で熱を持ち、黒い光を放ち始めた。
「あちっ…」
「少し我慢してください。すぐ終わります。」
手を引っ込めようとすると、巫女さんが見た目以上の怪力で腕を抑える。僕は黒い光を放射する箱をただ黙って見ているしかなかった。
光が収まったあと、箱は跡形もなく消え…掌の上に載っていたのは、銀色の、
栞、だった。
◆◆◆
「これは…」
「こちらでの手続きは以上です。あとの説明は、丘の下の
巫女さんの言葉とともに、社殿の背後の戸…祭壇があるのとは反対側の壁面…がするすると開き、外気が入ってきた。巫女さんは、箱を渡し終えた後は僕への興味を失ったらしく、こちらをちらりと見ることもなく、祭壇の奥、御簾のような仕切りの向こうに消えていった。
(あ、あれ?それだけ…?)
巫女さんがいなくなり、一人取り残されて、ようやく我に返る。
「ちょ、ちょっと不親切じゃないですか…?何の説明も…っていうか、これは何なんですか…?」
御簾に向かって呟いてみたが、反応はなかった。
僕は仕方なく、その不可思議な栞を握りしめたまま、とぼとぼと社殿から出た。
「おお…」
社殿の外は夜で、ひんやりとした空気が頬に心地よい。社殿は外から見ると瓦葺、白木造り、柱と梁が朱塗りの木造建築で、小高い丘の上に建てられているらしかった。境内を出て、だらだらと長い坂道を下った先に、町の明かりのようなものが見えた。
「とりあえず、街の方に向かってみるか…」
巫女さんは「現時点で、元の世界に戻ることはできない」と言った。現時点で、ということは、時が経ち、条件が揃えば、元の世界に戻るチャンスがないわけではないということだろう。まずはここにいても仕方ない。説明をしてくれる人がいるという、
僕は坂道を下りながら、右手をそっと開き、さきほど授与された栞を覗き込んだ。
栞といっても、文庫本におまけでついてくるような安っぽい紙の栞ではない。
銀…でできているかは分からないが、とにかく銀色で、光沢をもった柄、先端に雫のような飾り石がついたフォルムは、簪のように見えなくもない。ただ簪と違うのは、柄全体がクエスチョンマークのように緩やかに弧を描いているところだ。洗練されたデザインで、一見して栞とは分からず、アクセサリーと言っても通るかもしれない。
それでも僕がすぐに栞だと分かったのは、もともと、これと同じような、凝った意匠の栞をもっていたからだった。本読みの僕にとっては相棒のような存在で、かなり気に入って使っていた。
とはいえ。
「これが
神器とは、神の器と書くのだろう。だが、確かに凝ったデザインとはいえ、栞は栞だ。読みかけの本に挟むくらいしか用途がない。他に、何かの役に立つのだろうか?
現段階では、分からない。
というより、何も分からない。
ここはどこなのか…それは分かった。ここは僕たちが元いたのとはまったく異なる世界にある、瑞国という国らしい。だが分かったのは国名だけで、どれくらいの広さなのか、どんな人たちが住んでいるのか…そもそも他に人が住んでいるのか、すらも分からない。
そして、あの巫女さんが言っていた、
同じバスに乗っていた早矢をはじめ、クラスメートたちはどうなったのか。
本当に元の世界に戻ることはできないのか…などなど、疑問は尽きない。
だが、とりあえず、街に行けば、問題のいくつかは解決するだろう。
このときは僕もまだ、少し楽観的な気持ちで、異世界の地を歩いていた。
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