seventy-eight
私はエイミーに近づいていって、彼女の負った傷の手当てを始めた。
「ごめんエイミー、大変なことさせちゃった」
「いえ、大丈夫です。むしろこれくらいで済んでよかったです。死にかけたりしてたらどうしようもありませんでしたり菜月さんも、よく無事で――」
エイミーはそう言いながら、俯いた。伏せられた瞳が遠くを見るみたいに床を見つめていた。血の流れる磨かれた木目の床を。
「リタさんは、残念でしたが」
「……死体を吹き飛ばしたの、幻滅した?」
……ああ、弾が太ももの中に残ってる。引き抜かないとだめだ。
「いえ、しません。私が責めるとしたら、指揮者の人を殺してしまったことです」
「ごめん」
「いえ。殺さなければ殺されていたんでしょう。そういうことは分かります。ただ、殺されていい人なんて一人もいないと、私は思ってしまうんです。それにリタさんの身体がなくたって、私たちの中には――」
言いながら、エイミーもまたリタの真実に気付いたようだった。私と同じように考えようとして、彼女から時間が消えたことを察したのだ。
「エイミー、我慢できる?」
ここには治療道具がない。近くの街まで遠いから、医術師のところに駆け込むことも適わない。弾を撃ち込まれた傷跡をどの程度放っておいていいのか分からないのだから、いまできることをしなきゃならないと思った。
「一思いに、引き抜いてください。それで……なにか、気の紛れる話をしてください」
私はエイミーの脚に空いた穴を覗き込む。そんなに深くめり込んでるわけじゃない。下手なことをしなければ、手で取り出すことができそうだった。けどたぶんめちゃくちゃ痛い。
私は魔法で水を出して、自分の手をできる限り清潔にして、エイミーの傷に指を入れた。それで、なんとなく思い出した。
「愛にピアスを開けてあげたことがあった」
「ぐっ……、いっった……!」
エイミーから苦痛の声が漏れる。彼女からは聞いたこともない切羽詰まった悲鳴だった。
「誰も開けてくれないからって。自分で開けるのは怖いし、でも他人に頼んでも開けてくれないから、怖くって。そういうのを無心でできるのが私だけだからって言ってた」
「……っ、愛さんが、菜月さんを選んだ理由、あ……ぅ、いまなら、分かります」
「そう、私、人が痛そうなのは嫌いで、格闘技とか絶対に見られないんだけど、その人が痛めてくれって言ったら、別にできるんだよ」
血で滑って、なかなか弾をほじくり出せない。失敗する度に水で洗い流して、何度も傷を抉る。
「ええ、なかなか、矛盾してますね……っ、菜月さん、人の痛みに敏感なくせに、いざ頼まれればなんでもするから……はあっ、あ」
「うん、二つ開けてあげたんだ。あ、いける」
苦労の末、弾が取り出された。血の流れるそこをすぐ布で覆い、エイミーは自分でスカートの裾を破って、包帯代わりにした。
「……ああ、痛かった」エイミーは眉を歪ませながら微笑んだ。「出産ってこんな感じですかね、菜月さん」
「大人しい人ほどめちゃくちゃ大声で叫ぶらしいね、分娩室で。お母さんが言ってた」
「子供産みたくないですね」
「ね」
沈黙が訪れる。
「菜月さん、リタさんのことですけど、私なんとなく気付いてて……」
「うん、そうなの。私たち、リタといつ会ったとかいつ何をしたとか、全部ぐちゃぐちゃになってるよね」
「はい」
「私、リタは私たちの過去にいるから、死体なんか吹き飛ばしても一緒だと思ったんだけど、事情が変わっちゃった。リタは、まだもしかしたら死体の中にいたのかもしれない」
「どうですかね。いや、それというよりは、むしろ」
「むしろ?」
「私たちの時間の、全部にいてくれるのかもしれません。過去だけじゃなくて。そしたら、なんか、嬉しいですね。ずっと一緒ですよ。いまも」
「ん、そっか」
「リタさんに叱られないように生きていきたいですね」
「うん、たぶん怒らせたらうるさいし、あの子」
私がそう言うと、エイミーは子どもみたいに、静かに泣き始めた。袖で目を拭いながら、ぐすぐすと泣く。
「仲良く、なれたと、思ったのに」
「そうだね」
「最初は、私のこと用無しだって言ってきて、酷い人だと思ったけど」
「そんなこと言ったの。一回、はたいとけばよかった」
「叩きましたよ、腕相撲でぶち飛ばしました」
「あはは、やったんだ」
「他にも私のこと、役に立つんだってこと、たくさん知って欲しかったですね」
「リタのことももっと知りたかったよね」
「はい」
言い終わると少し黙って、二人で黙祷するみたいに俯いていた。やがてエイミーは目元を最後に拭って、脚をかばいながらゆっくり立ち上がる。
「倒壊したら敵いません。外出ますか」
私とエイミーは、私の魔法で抜けた穴から、瓦礫の合間を縫って這い出るようにして外へ出た。エイミーの脚を気遣いながら、彼女に痛みはどうかと頻りに声を掛ける。エイミーは「痛い」と度々言った。私がほとんど無傷で済んだのは、かえってなかなかに恐ろしいことだった。
時刻は昼過ぎに差し掛かる。空は今朝から曇天だった。初夏が近い。雨季も近いかもしれない。実際、私たちに追い打ちをかけるかのように、雨がぽつぽつと降り始めた。エイミーの脚から目を離し、雨を落とした曇り空を見上げようとする瞬間に、その視線の真ん中で、赤い光を見て、私は息を飲んだ。
「菜月、お久しぶり」
「……シモーネ」
シモーネが、灰色の世界の中、草原の上に佇んでいた。整った姿勢から、不吉なものを感じる、彼女の目は、変わらず火に燃えていたが、焼け跡の残り火のように燻るのに似ていた。
脚を庇いながら、エイミーが前に躍り出る。
「シ、シモーネさん! いま、王国では貴女が――」
風が起きる。エイミーの呼び掛ける声が途切れて、私の前からエイミーの姿が消えた。エイミーは忽然と姿を消したのではない。支えるものが無くなって崩れ落ちたのだ。
脚を――、
脚を――! 切り落とされた!
「あぁあ……」
エイミーの呻き声が雨と落ちる。血がどくどくと流れて草花を紅く染めていく。
「なに、なに? なにしてんの? シモーネ?」
「菜月、その子は邪魔でしょ」
「は……?」
また風が起きた。頬に温度を持った液体が掛かる。見られなかった。エイミーの姿を――だが、私の視線は事実を確認するために、ほとんど自動的にそこを見た。物みたいに切り裂かれた好きな子の身体と、それで流れる鈍い血を。
エイミー、エイミー、エイミー!
「殺したの、なんで? 意味分かんない、シモーネ!」
心臓が暴れる。いつしかの感覚をすべて思い出す。愛が車に轢かれて死んだあの瞬間の胸痛と過呼吸が、襲ってきた。
「菜月、貴女は自由でなければならないし、運命的であってもならない。だって私を逃がしてくれるんでしょ、運命から。その子は、貴女の邪魔でしょ。部屋の外で私たちのまぐわいを聞いていた時から鬱陶しいと思っていたの。さっきだって、足を引っ張ったんでしょ。貴女が正しいことをするための最中に」
「ふざけないで……ふざけてる……」
「ふざけてないよ。世界を救おう」
「馬鹿なの!」
「貴女がそう言うなら、馬鹿かもね」
ふざけるな。こんな問答意味がない。なんと言っても同じだ、どうせ似たような言葉が返ってくる。この人にはもう正当性なんて必要ないんだ。どうしてこうなってしまった?
私はシモーネの赤い瞳を睨み付けて、エイミーの死骸を見た。
心臓が高鳴る。血が体内で鈍行する。頭が痛む。ありとあらゆる内臓が悲鳴を上げるように痛む。
エイミー……エイミーが死んだ。死んでしまって、もう、動かない――いや、だめだ。そんなの。
リタ、リタ、助けて――、姫、ローゼ、クライネ、イルさん――、私の大事な人と、私の大事な人が大切にしている人たち――。
呼吸が難しくなる。
呼吸はいつだって難しいのに。
「はっ、……シモーネ」
「なあに?」
無垢な女の子の声がする。
「次に会ったら、先にあんたを殺してやる、地獄へ落とす」
「次?」
『――一切の可塑を可能にせよ、』
唱えるんだ。リタがいつだったか教えてくれた禁呪を、過去へ遡る禁呪を。シモーネに出会う前からやり直す。エイミーを殺させはしない。
『――ティーツェ!』
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